不遇な神社の息子は、異世界で溺愛される

雨月 良夜

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第六章 最後の精霊の棲み処へ

何も失くなった

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しゃぼん玉の大きさは大小、様々だ。大きいモノだと、俺の全身を覆うことができるものもある。
俺に近づいてきたのは、拳大ほどのしゃぼん玉だ。よく見るとしゃぼん玉の上には、小さな人が乗っている。


『やあ、こんにちは。ミカゲ。僕は『裁決者』だよ。ここは“真実と試練の間”って言うんだ。』

しゃぼん玉に乗った小さな少年は、にっこりと口角を上げてそう言った。

『裁決者』と名乗った年頃は中学生くらいの少年だ。紫色の髪と瞳。黒色のブレザーに半ズボン。胸元には瞳と同じ紫色のネクタイをしている。

オーロラ色のシャボン玉の上に、足を組んで優雅に座っていた。


「真実と試練の間?」

精霊の地図には部屋名は記載が無かった。
『裁決者』の名前は表示されていたが、こんなに小さいとは思わなかった。
どうやら、この部屋は魔物を倒すとか、トラップを解くとかでは攻略できないようだ。


『よく人間は言うじゃない?“知らないほうが良いこともある”って。……知らないほうが良いってどんなこと?じゃあ、それを知ったらどうなるのかな?』

『裁決者』は優雅な仕草で、右手の人差し指を口の端に当てながら、こてんっと首を傾げた。

心の底から不思議に思っているその声は、純粋だ。
ただ、純粋すぎるあまりに、残酷な言葉に聞こえるのはなぜだろう。

人を意図せず迷わせるような、怪しげな雰囲気。
『裁決者』の印象は、昔絵本で読んだチャシャ猫に近い。人懐っこくて、目がにっこりと笑っている。

紫の瞳は、奥に何も見えない。ただ、純粋に不思議で、それでいて何も感じていない。


『真実を知って、ミカゲならどうするかな?……真実を見てみるかい?』

いつの間にか、ヴェスターとフレイの姿が見えなかった。
そういえば、しゃぼん玉を見たときから、二人の気配を感じなかった。各々で、この部屋を攻略しなければならないのか。


柔らかい草の草原には俺と、シャボン玉に乗った小さな『裁決者』。相変わらず笑顔なままの『裁決者』は、俺の返事を待っていた。


「……見る。」

俺がそう答えると、『裁決者』はさらに口角を上げた。そして、紫色の髪が僅かに興奮で逆立ったように見えた。


『フフフっ。……キレイな瞳、キレイな心。いいなあ。……じゃあ、見せてあげる。』

そぉれっ、と『裁決者』が言い、何かを呼び起こすように両手を下から上へ動かした。
しゃぼん玉の群れが俺の目の前を覆い隠す。『裁決者』の姿がシャボン玉の壁で見えなくなった。


たくさんのしゃぼん玉が、魚群のように渦を巻く。やがて一つの大きなしゃぼん玉になった。
しゃぼん玉の中が、水滴を落としたようにゆらりと揺れた。揺れていた中が段々と形を整えていく。


しゃぼん玉には、泣きたくなるほど懐かしい建物と、風景が映し出された。

時間帯は夜。実家の神社だ。
月明かりのぼんやりとした光に照らされた境内。

俯瞰的に空から見ていた視野が、どんどんと狭まっていく。そして、宝物庫に視点を当てた。


『……チっ。どうせ、お前は俺から逃げられない!観念して早く出てくることだな!!』

悪態をつく、一人の男の声が聞こえた。
その声を聞いた瞬間、俺は全身にぶわっっと鳥肌が立つ。意識せず、身体が小刻みにカタカタと震えた。
とっさに自分の身体を掻き抱いていた。

この、ねっとりと纏わりつくような、下卑た視線。
口角をあげた下品な笑顔。
他でもない、伯父だった。


醜く太った肉を揺らしながら、伯父が宝物庫の前で陣取っていた。叫ぶのを止めた伯父は扉の前に座って、俺が出てくるのを待っているようだ。


これは……。
俺の18歳の誕生日の夜か。
伯父に襲われそうになった俺が、宝物庫に逃げた後の光景だろう。


季節は冬。外に長い時間入れるような気温ではない。

伯父は俺が宝物庫から出てこないと分かると、一度家に帰ることにしたようだ。おそらく、コートか何かを着込んで来ようとしていたのだろう。

神社から逃げるには、必ず家の前を通らなければならなかった。俺が逃げたとしても、家からであればすぐに気がつくと踏んでのことだ。


何処からか、時を刻む音が聞こえる。
カチ、カチ、と時計の秒針が規則的に進むように。
時計なんてないのに、一定のリズムのそれは、ずっと鳴り響いていた。

伯父が家に向かって歩き出す。ほんの数歩、宝物庫から離れたときだ。

カチッ、と響いていた秒針の音が、止まった。


視線が神社の建物に移る。嫌な予感がした。

神社の祠から、黒い邪気がぶわりと立ち上った。
黒煙のように一気に、邪気が勢いよく噴き出したのだ。


まずい。
邪神シユウの封印が解けた。


膨れ上がっていく黒煙は、神社の境内を覆い尽くす。
月さえも隠して、墨で塗りつぶされたような、漆黒の闇に変わる。


邪気の中から、ゆらり、ぐらりと、生き物が這って出てきた。その手は、人間にも見えるが、変に筋ばって爪が異様に鋭く長い。

魔物とも、人間とも似ても似つかない、
何とも凶悪で狂暴な妖の影が顔を出した。

耳まで裂けた大きな口。目はギョロりとして、瞳孔は血走っている。鼻は潰れ、体型は手足が細いのに、お腹がふくれていた。手にはこん棒や斧、鉈を持っている。

あれは確か、餓鬼というやつではなかったか。


涎を滴ながら、餓鬼たちはのっそりと歩き出した。
祠の邪気からは、次々に醜い異形のものが這い出てくる。


歩いている伯父は、異変に気が付いていない。
もともと、伯父には霊感もなければ、神通力もなかった。
鍛えれば別だったのかもしれないが、毎日の祈祷も、鍛練も怠っていたからだ。


餓鬼たちは、人間の命に反応した。


祠から這い出て辺りをさまよっていた餓鬼たちが、一斉に伯父がいる方を向いた。大きく裂けた口を半開きにして、だらりと涎を地面に垂らす。


古に邪神シユウと共に封印されたのか。
長い飢えが、餓鬼たちを支配する。


鈍かった動きが嘘のように、餓鬼たちは走り出した。
跳び跳ねるように嬉々として。数千年ぶりの、獲物を求めて。向かった先は、宝物庫方向。
不思議なことに、宝物庫には人がいない。寝ていたはずの俺の姿がなく、空っぽだった。


視点が宝物庫周辺に変わる。家に向かっていく伯父の後ろ姿が見えた。その右腕に、後ろから異形が鉈で切りかかる。


「ギャアァアアァーーー!!」

空気をつんざく悲鳴と共に、腕だったものが空中を飛んだ。伯父から勢いよく飛沫が飛ぶ。血の臭いに釣られて、次々と影が伯父に群がった。
餓鬼たちの口元が、赤い液体で染まっていく。


伯父だけでは、餓鬼の飢えを満たすのには全く足りなかった。次なる獲物を求めて、餓鬼たちが鳥居を抜け出そうと足を進める。

鳥居を出る寸前のところで、餓鬼の身体が透明な壁に阻まれ、弾かれた。


邪気で漆黒に覆われていた神社に、強力な神力が発動し、地面が大きく揺れた。半球体の強固な結界が神社全体を覆う。
神社の外に漏れだそうとしていた邪気も、異形の者たちも結界に阻まれて出れなくなる。

そして、それはいきなりだった。

ドゴォオオオーと大地が削られるような、地割れの大きな音がした。球体の結界が、地面を削りながら圧縮されるように小さくなっていく。

やがて、餓鬼や邪気を道連れにしながら消滅した。異形たちの断末魔が聞こえる。

 
そこに残ったのは、半球体に抉られた地面だけだった。神社も、家も跡形もなく失くなった。
大きな穴だけだった。

 
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