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第四章 火精霊の棲み処へ
開戦
しおりを挟む観光客や住民で賑わっていた温泉街には、今や人影はなく静まり返っている。
異様な静寂の中、ピンっと糸が張りつめたような緊張感が漂っていた。
火精霊カリエンタの棲み処を訪れてから、2日後の日が高く昇った時間帯。
武装した騎士団員と魔導士たちが街門の壁に登り、皆が南西側にある火山方向を睨んでいた。
物々しい雰囲気の中、皆が来るべき時に身構えている。
突然、耳を劈く様な低くて重い、緊迫した警告音が鳴る。低く重いサイレンの音は、静かな街に轟き渡った。
領主館の魔道具から発せられた、スタンピードの合図である。
武器を取る金属の擦れる音が、街の至る所で発せられる。
「来たか。」
隣にいるヴィオレット辺境伯が、静かに告げた。
開戦の狼煙が上がる。
遠くから、地面を踏み鳴らし揺らす地響きが聞こえてくる。やがて、地を這う振動は大きくなり、敵が近づいていることを知らせてきた。
地響きと一緒に、魔物たちの獲物を求める咆哮が響く。
多種多様な群衆の本能の叫びは、錆びた金属を擦り合わせたような、甲高くも劈く様な不快極まりない喚声だった。
俺は、領主館の見張り塔の上にいる。街で一番高い場所だ。ここからは、街の外の状況が良く見える。
火山のある南西から、土煙が立ち上がって辺り一体を砂で覆っているのが見えた。
俺は和弓を構えて、いつでも矢を放つ体勢を取る。
番えている矢は、白銀色の光の矢だ。実体のある矢ではなく、俺の魔力によって生み出されたもの。
鳴り響け。
射切れ。
清めよ。
俺が考えた作戦とは、鳴弦による浄化だ。
鳴弦とは、弓の弦を引いて鳴らす穢れを退散させる方法だ。
実家の神社でも良くやっていた。
浄化するにも、舞や言の葉でする方法もあるが、音は空気を震わせて遠くまで届く。人間に聞こえる音はもとより、空気の振動はもっと遠くまで届くはずだ。
魔物を浄化の波紋状の風で弱体化し、その魔物を冒険者たちが討つ。
矢は破魔の矢をイメージした。鳴弦をする場合、矢を用いないことが多い。
破魔の矢自体も一般的には先が鋭く尖っていないが、今回はあえて攻撃性も備えさせたかった。
魔物の数を少しでも減らしたい。
だから、確実に射貫くようにと、先を切っ先のように鋭利にして、追跡能力もイメージする。
ギリギリと音を立てて弦を引き、弓が軋むほど引き絞る。
それに伴って、白銀色の矢の輝きが増していく。
南門に向かう土煙の霞から、さらに魔物たちが分岐する。
二つに別れた魔物は、一方は南門に、もう一方は冒険者たちが守る東門へと迷うことなく向かっていった。
東門へ向かう魔物の群衆を率いている、黒く蠢く異形の姿が視界に入った瞬間、自然と矢が手から離れた。
ヒュンっと、刹那で空気を切り裂く音が聞こえるのと同時に、弦が弾かれる音が振動として空気を震わせた。
白銀色の鋭利な弓矢が瞬時に放たれ、一線の光となって疾風のごとく魔物に向かっていく。
光の矢は瞬く間に、黒色の蠢く波の先頭にいた魔物の身体を射貫いた。
魔物の四肢を貫通し地面に縫い付ける。矢尻が地面に刺さった瞬間、波紋状の浄化の風が矢を中心として地面から広がった。
浄化の風を受けた狂暴化した魔物は、邪気が弱まり本来の姿へと戻っていく。
前を先導していた魔物たちは、一瞬困惑したように挙動不審になった。それでも狩猟本能と、後から迫る邪気を帯びた魔物の流れを受けて東門へと近づく。
東門へとあと50メートルに迫った瞬間、駆けるために地面に足を着いた魔物の身体が、火柱と爆音と共に吹き飛んだ。
東門付近の地面には、地雷型の魔道具がいくつも埋められていた。その爆撃が魔物たちのいく手を阻む。
一方、南門へと突進する魔物たちを、待ち構える存在がいた。
『ここは通さないから。』
魔物とは格が違う、荘厳な遠吠えが一帯に響き渡る。地の底から響かせまいとするその咆哮は、清廉な突風とともに肌を突き刺すような衝撃を起こした。
南門に現れたのは、見事なまでに神々しい巨大な黒狼だ。大きさは街門の巨大な扉を覆うほどで、5階建てのビル程はあるだろうか。
高貴な長い毛並みは流々と風に靡かせ、蒼色の炎が残滓のように揺らめく。
肉を突き、引き裂くためのかぎ爪は艶のある濡羽色で太い。
一等美しい宝玉である琥珀の瞳は、闘志と神気で鋭く光っている。
切れ長の眼光は獲物である魔物をひたと見据えて、喉からは唸り声が聞こえてきた。
足元からは、烈火の蒼い炎が火柱を揺らめかせていた。
神聖なる存在が、牙を剥いていた。
「……あれはただの黒い子犬ではないな。」
コマの完全なる精獣の姿に、俺は感嘆の息を吐いていた。
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