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本編
36話
しおりを挟む「っ……そんなわけあるか」
リアムは教皇が入っている鉄格子を叩きながらそう言った。聖女の全てが性に貪欲な人ばかりではない、リアムはそう小さく呟く。
「ラウルも、そこにいるルネさんも皆、お前のような奴らに好き勝手されて苦しんで……心を壊したんだ。そうしたのはお前だ、クソ教皇」
「……そんなわけがなかろう?あいつらは獣と同じ、そういうふうに作られた者たちだ」
「っじゃあなんで!なんで、治癒魔法を使えなくなった聖女が後を経たないんだよ!?」
ガンッ、と握り拳が鉄格子にぶつけられる。
白くなるほどに握りしめられた拳は、爪が食い込んでいるのか赤色が僅かに滲み、魔法で強度を増している鉄格子に直接ぶつけた箇所も赤みを帯びていた。
俺達は獣と同じ、か。確かにヒート中を見ればそうなのかもしれないと思う。自分の気持ちとは関係なく周囲を誘惑して行為に及ぶ、それはまさに獣なのかもしれない。
けれど俺達は人間だ。アルファやベータと同じ、人間だ。オメガであるというだけで蔑まれるのだと聖女になって初めて知ったことだが、それでも人間なんだ。
リアムの言葉に教皇は驚いたのか、僅かばかり目を丸くしていた。教皇ともあろう奴が、心が壊れれば治癒魔法はなくなるということを知らなかったとでも言うのだろうか。そんな筈はないと思っていた俺やリアムの予想に反して、教皇は視線を自身の掌に落とした。
「……あれは、そういうことだったのか」
ぽつりと呟かれた言葉には覇気がない。すとんと何かが落ちたような、教皇の中で何かがはまったようなそんな様子が感じられ、俺達は戸惑った。
「まさか……知らなかったのか?」
「……ああ。治癒魔法が使えない聖女なんてなんの価値もないからな、原因を調べる気にもならんかったわ。だから神の目が届かぬ場所に聖女ではなくなった者を集め、魔力を増やすために使っていた」
「お前……っ」
だからルネさんのように、複数の人格を形成して再び聖属性魔法が使えるようになった人がいることを知らなかったのか。教皇にとって聖女とは、愛する人の心を壊した極悪人。そんな聖女をどう扱おうが心は全く痛まなかったんだろう。
俺の中のイザベルの残滓が俺の考えに同調する。間違っていなかったことに喜べばいいのか憎めばいいのか、感情がぐちゃぐちゃだ。
「……聖女とは、人間だったのだな」
三百年という長い年月を生きてきた教皇は、まるで初めて知ったと言わんばかりの声色で呟いた。リアムはその言葉に怒りを露わにしたが、当事者である俺は正直何も思わなかった。
人間だと思っていれば、あんな人の尊厳を踏み躙るような真似はしないだろう、心のどこかでそう思っていたからかもしれない。せいぜい奴隷か家畜か、もしかすると本当にただの道具だと思っていた可能性も否めない。
ふと俺の中のイザベルの残滓が、ルネさんの中にあるイザベルの魔力の正体に気付いたと言った。どうやら百年前にイザベルの魔力を受け継いだ聖女の魔力残滓らしい。三回目の転生時、憎しみのあまり彼女の想いを含んだ魔力だけがルネさんの魔力の中に入ってしまったのだと言う。手違いか不具合か、そうイザベルは言った。
教皇を憎む理由はわかるがイザベルを憎む理由は、と尋ねると、苦笑じみた声音で「私の生まれ変わりじゃなかったら、あそこまで酷いことはされなかったからじゃないか」と返され、納得した。確かにあのままだったら俺もそうなっていたかもしれない、否定はできなかった。
「……そう言えば貴方は、リアム達と対峙している時に突然動きを止めたと聞いたんだけど、あれはどうしてだったんだ?」
今まさに掌を見つめたまま動きを止める教皇の姿に、不意にその疑問を思い出した。
リアムの話によれば、あの時動きを止めずに攻撃を続けていれば教皇はその場の全てを殺して逃げられた筈だった。しかし現実はそうではなく、動きを止めたことによってこうして投獄されている。
俺の静かな問いかけに、教皇は初めて俺という存在に目を向けた。
「あの時、魔力の流れが止まったのだ。体内で燻る魔力を外に出そうとしたが、手の辺りで止められているような……そんな感覚だった」
「魔力の流れが止まった、だと?」
「ああ。……あれは、よくわからない感覚だったな。体内の魔力が動きを止めたにも関わらず、体を食い破ろうとしているように動いていた、ように感じた」
まるで憑き物が落ちたようにぽつりぽつりと言葉を溢す教皇。動きが止まっているのに動いているとはどういうことか、そんな思考を巡らしていると、イザベルが成程と溜息を零した。
『……やはりテオは、聖女を抱き過ぎたんだ。今こうして私の魔力の残滓が変わらない意思を持っているのと同じように、テオの中に残っている聖女達の魔力の残滓にも意思が残っているということだ』
恨み辛み、そんな負の感情を抱えた聖女達の魔力残滓が教皇の中に残っている。そしてそんな魔力残滓が今教皇への恨みを果たそうとしているということのようだ。
今の教皇の魔力の殆どが、聖女と交わったことによって増えた物だ。三百年という長い年月をかけて、元々あった教皇自身の魔力をじわじわと食い尽くしていったのだろう。今、彼の中にある魔力の中に彼自身の魔力は如何程も残ってはいない。
このままいけば、餓死や寿命を待たずして一週間も経たぬうちに体内で魔力が暴発して死に至るだろう。イザベルはなんの感情も篭らない声色でそう言った。
このまま手を下さなくとも死ぬのか、そう知ってもなんの感情も浮かばなかった。俺にとってこの人は諸悪の根源だ。憎むことも怒ることもできる筈なのに、現実はなんの感情も出てこない。ただ、この人は死ぬのかとぼんやりと思うだけだった。
『……そんなものだ。こうして長い年月を見てきた私でさえ、そう思っているんだ』
リアムは鉄格子を握りしめながら、教皇を鋭い眼差しで睨み続けている。俺はそんなリアムの白くなった手にそっと手を重ね、名前を呼んだ。
「っ、ラウル?」
「リアム、リアムがこんな風になってまで怒ってくれて俺は嬉しいよ。でももういい……もういいんだ」
「……よくないだろ。ラウルは、沢山苦しんだのにこいつは……っ!」
「この人はもう長くない。もうすぐ、いなくなる」
座り込んだままの教皇にゆっくりと視線を向けて見下ろし、俺は口を開いた。
「聖女達の恨み辛みがこの人を殺す」
そう無感情に呟くと、リアムが息を呑んだ気配がした。因果応報、自業自得――そんな言葉が頭に思い浮かんだ。今まで散々まるで人を人とは思わないような酷い扱いをしてきたのだから楽に死ねると思うなよ、と俺の中の何かが呟く。
リアムは何か言いたげに口を開いたが、何も言葉が見つからなかったようですぐに口を閉じた。その間も教皇は俯いたまま動かない。俺はリアムの手を鉄格子から丁寧に剥がして、掌を見た。
「血、出てるね」
「……そう、だな」
手のひらに手を重ねて魔力を送る。今の俺は聖属性の魔力で満たされているからか、治癒の速度が速い。一瞬で跡形もなく傷は消え去り、俺はほっと息をついた。
一連の流れを見ていたかのように、牢の入り口が開かれて雪崩れるようにクロヴィス殿下達が入ってきた。全員が焦ったように息を切らしていることから何かがあったのだろうと推測できるが、それが何なのかまではわからない。
突然入ってきたクロヴィス殿下達をきょとんとした表情で見ているリアムは、珍しく年相応だった。目をまん丸にして驚いているリアムに思わず笑みが溢れる。
「三人とも無事か?!怪我は……ルネ?!」
慌ただしいクロヴィス殿下達の声に、そう言えばと思いながら床に突っ伏しているルネさんに視線を移した。そこにはリアムに制圧されたまま倒れているルネさんの姿があり、クロヴィス殿下は焦ったようにルネさんを譲っている。固まるリアムを置いて、俺はクロヴィス殿下の側にしゃがみ込んだ。
「気を失っているだけなので大丈夫ですよ。ただ今のルネさんは、その……少々危険なので離れておいた方がいいかと……っ?」
「な……っ」
はらりとホワイトブロンドの髪が数本落ちる。首にぴったりと添えられた冷たい感触に視線をずらすと、赤く染まった瞳と視線がぱちりと合った。酷く憎しみの籠ったその瞳は、真っ直ぐに俺を射抜いている。
「……ルネ?」
呆然としたクロヴィス殿下の声にぴくりと反応を示す目の前の人物――ルネさんは、さらにぐっと俺の首元に添えた何かに力を込めた。
「動くな。……動いたらこいつの首を刎ねる」
「ルネ?一体何を……っ」
「動くなと言っただろ、この氷剣でこいつの首を飛ばすぞ」
首に添えられていたのは氷剣だったようだ。当たった箇所は冷たいのに、どうしてか熱を帯びていく。何だ、と気付かれないようにローブの中からそっと鎖骨あたりに手を伸ばすと、ぬるりとした感触が指に触れた。指を擦り合わせて感触を確かめていると、ふいに鉄臭い匂いが鼻をつき、漸くそれが血である事に気がついた。
リアムに背を向けているため、彼が今どんな表情をしているのかわからないけど、背中に感じるピリピリとした魔力が彼の怒りを表しているようだった。眼前のクロヴィス殿下は、これがあまり良い状況ではない事を理解したようで、額から汗を流しながら両手をあげている。
俺はと言えば、どうしてか冷静だった。
動けば俺の首を刎ねると言っているが、要望が通った後は確実に俺も殺す気だろうことは気を失う前の彼の言葉からも明らかだ。その考えにはイザベルも同意している。
『これは厄介だな』
ぽつりとそう呟いたイザベルに、俺は内心首を傾げた。
『触れた事で分かったんだが、こいつは不完全な転生だな。転生というか……さっきも言った通り不具合や手違いと言った方が正しいかもしれない。ラウルが聖女に選ばれた時に偶々入ってしまった、つまり事故だ』
なんて適当な。さも深刻そうに言ったかと思えば、偶々入ってしまったとか事故とかそんな……。
俺は愕然としながら、目の前でこちらを睨みつけてくるルネさんを見やった。
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