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本編
18話
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※投稿予約時に18話と19話の投稿する順番を間違えてしまいました。ご迷惑をおかけしてすみません!
※三人称視点(誰の視点でもありません)
あまりにも膨大な魔力を前に指一本動かすことが出来なくなってしまったクロヴィスは、床に膝と手をついて四つん這いのような格好になっていた。手や足だけではなく、体全体が震えている。クロヴィスの前にいたディモルフとドミニクは床に全身をつけるようにして伏していた。
教皇はその端正な顔に冷笑を浮かべながら、床に這いつくばるクロヴィス達に冷え切った眼を向ける。右手に持った杖の頂に填められた闇のように黒く丸い石を、左の掌で緩く撫でた。
そして、カツンと杖を床について一歩、また一歩とクロヴィス達へと近づいていく。ディモルフの真横を通り過ぎようとした時、教皇の足は歩みを止めた。いや止めたのではない、止められたのである。ディモルフは這いつくばった状態にも関わらず、自分の側まで来た教皇の左足を左手で掴んでいた。
教皇は表情を消し、零度の視線をディモルフに向けた。しかしディモルフには顔を上げる余裕がないのか、未だ床を向いたままである。ふっと口角を僅かに上げた教皇は、ぐっと足を引っ張ってその手を解かせた。
クロヴィスは一歩一歩確実に距離を詰めてくる教皇の動きをじっと見つめていた。緊張と恐怖からか、固く握りしめられた手はじんわりと湿り気を帯びており、彼のまろやかな額には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。あと数歩でクロヴィスの前まで来ると言う時だった。
教皇は片眉をぴくりと上げ、赤い絨毯の上で蹲るように倒れているドミニクに視線を落とした。胸が痛むのか、ドミニクは胸を鷲掴むように押さえながら倒れていたが、その手の隙間からは淡い黄色の光が漏れている。ほお、と僅かに感心と嘲笑を含んだような声音で呟いた。そして徐にその膝を折ってドミニクへと手を伸ばす。
「黄百合の魔法か……なるほど、これは都合がいい。どれ、一つ面白い事をしてやろう」
クロヴィスは声を出そうとしたが、喉からはヒューヒューと隙間風のような音が出るだけで、悔しさにぐっと唇を噛み締めた。そんなクロヴィスには目もくれず、教皇は黄百合の魔法がかけられた胸元へと手を伸ばす。教皇が口の中で何かの呪文を唱えた瞬間、黄百合の紋様が黄色の光を放ち、あまりの眩しさにクロヴィスは咄嗟に目を瞑った。
光が収まった時、辺りの様子は愚かドミニクの様子にも変化はない。クロヴィスの額から汗が滴り落ちる。
もう興味はないとでも言うように、すっと立ち上がった教皇は今度こそクロヴィスの元までやってきた。頭を上げているのも辛かったが、このまま地面ばかりを眺めていれば何をされるかわかったものではない。ぐっと背中と首に力を入れて頭を持ち上げ、高い位置にある教皇の顔をギッと鋭く睨みつける。しかし教皇は喉の奥で笑うだけだ。
「本当にいい眼をしておるな。ここで手折るのはちと勿体無い気もするが……のちの脅威にならぬとも限らぬからな……悪く思うなよ」
そう言って振り上げられた杖を見て、咄嗟に横へと倒れるように転がった。いつもよりも体が重く、言う事を聞くかどうかは一か八かではあったが、重心を少しずらすだけで横に転がり込めたのは僥倖だった。
ほう、と息を吐き出し、素早く手のひらを教皇に向ける。父と同じような火の玉を幾つも空中に出現させて、教皇へと放った。
しかしそれらは全て、光魔法の膜によって防がれた。
「全く……危ないですね」
「……は……?」
「ふふっ、なんて顔してるんですか?綺麗な顔が台無しですよ?クロヴィス殿下」
クロヴィスは人を馬鹿にするようなこの声を知っていた。いや知っているなんてものではない。クロヴィスの背中に冷たいものが走る。
煙が徐々に収まり、その防いだ人物が顕になっていく。クロヴィスは呆然とその姿を見つめながら、ドミニク、と力なく呟いた。光の膜で教皇を守っていたのは他でもない、先程まで行動を共にしていたドミニクだった。
困惑を隠せずに動きを止めるクロヴィスを、ドミニクの後から教皇は面白そうに見下ろしている。ドミニクの胸元は黄色く光っており、それを見たクロヴィスはドミニクがイエローリリィの呪いに侵されていることに気が付いた。
恐らくラウルと交わった際に魔力量が上昇して一時的に解けていた呪い、もとい洗脳が、再び教皇の魔力を与えられたことによってドミニクの魔力量を上回ったのだろう。これではドミニクの加勢は見込めないどころか、敵になってしまったとクロヴィスは唇を噛み締める。
「……イエローリリィの呪い、か」
「この黄百合の魔法――いや、今はイエローリリィの呪いと言われているのか?まあどちらでも良い。これに新たに魔力を込めてやることによって再び洗脳することが可能だ。知らなかったであろう?これを完全に解くには色々あるが……まあ無理であろうなあ」
人を馬鹿にしたような笑みを浮かべながらそう宣う教皇に、クロヴィスは腑が煮え繰り返るほどの怒りを感じた。
ここに来たのはラウルやカミーユの金属の首輪の仕掛けを解き、首輪を取り除く為だった。しかしこの様子だと、新たに魔力を込められてしまい彼らが危険なのではないかという考えが思い浮かび、ぐっと握り拳に力が籠る。ここは一旦首輪を取り除くことを諦めて、話し合い――いや、それすらも今は叶いそうにない状況だ。
攻撃の手を緩めれば、こちらの命が危ないとクロヴィスは本能で悟る。
目の前にいるのは先程までとは違い、胡散臭い笑みを貼り付けたドミニクと、その後ろで下卑た笑みを浮かべる教皇の二人。クロヴィスはもう一度教皇に向けて、火の塊を凝縮した小さな火の玉を幾つも作り、放った。
ドドドッと音を立ててドミニクが展開した光の壁にぶち当たり、全てが跳ね返される。しかしその壁には少しのひびが入っていた。
「……くっ……!」
手応えを感じたクロヴィスは、先程と同じ凝縮した小さな火の玉を倍の数程作成して、ひびの入った一点に集中するように放つ。すると徐々にひびは広がり、ついにパリン、と音を立てて光の壁が割れた。しかしドミニクは咄嗟に横へと倒れ込むように転がって難を逃れたようだ。
後ろの教皇に当たったか、と僅かに期待を滲ませて煙の奥を見るが、そこに人影はない。どこだ、とクロヴィスが辺りを見回すと、少し離れたところで冷笑う教皇の姿があった。
そして教皇は徐に杖を持っていない方の手のひらを上に向けるように開き、何かを唱えた。すると手のひらの上に黒の光と黄色の光が渦を描くように混ざり合い、きゅっと手のひらを握るとその混ざり合った光が凝縮され、何かを形作る。
再び手のひらを開いた時には光は消え去り、黒光りする鋭いナイフが静かに手のひらに落ちた。それを隣に立つドミニクに手渡して何かを耳打ちする。するとドミニクはにやりと口角を上げ、ナイフを右手で握った。
「……なんの真似だ?」
冷や汗が頬を伝い、顎から下へと落ちていく。それなのにクロヴィスの喉はからからに渇いていた。
それでもクロヴィスは少しでも余裕があるように見せる為に口角に力を入れる。しかしそれは痩せ我慢だとすぐに気付かれたようで、くくくっと教皇が笑った。
「なに、この特殊なナイフでクロヴィスを刺せと言ったまでよ。このナイフにあたればひとたまりも無いぞ?精々逃げ回る事だな」
「逃げ回られると面倒臭いので、俺はそのままでもいいですけどね?」
「……あとで覚えていろよ」
絞り出した声はやはり震えていた。
にやりと口角を上げ、ナイフを構えて一直線にこちらに向かってくるドミニクの攻撃を、土魔法を駆使してどうにか躱わす。足が思うように動かず、何度ももつれそうになるもなんとか躱し続けていたがそれも長くは続かなかった。
不意に足に何かが当たってそちらに意識が向いた隙を狙い、ドミニクの持つナイフの切先がクロヴィスに触れる瞬間だった。
――チリン。
空気を震わすような涼やかな鈴の音が響いたと思えば、その瞬間にはこの場にいるすべての人間が動きを止めていた。それはドミニクや教皇も例外ではない。
クロヴィスは詰めていた息を一気に吐き出し、荒く息を繰り返した。今この場で動けているのは鈴を鳴らした本人であるクロヴィスだけ。この鈴が本当に言った通りの効力があるか半信半疑ではあったが、一か八かで鳴らしてみて良かったと胸を撫で下ろした。
この鈴をくれた彼女の言葉に嘘偽りがないのであれば、止まっている時間は三分間のみだ。取り敢えずナイフを持つドミニクから距離を取るように動き、父であるディモルフを引きずるように扉の横へと向かって移動させる。だがまるで岩のように重く固いディモルフを動かすのは容易ではなかった。
やっとの思いで扉の前まであと少しというところまで運び終えた時、止まっていた時間が動き出した。
ナイフを手に振り上げたままの角度のまま止まっていたドミニクは、動き出した瞬間にものの見事に空振り、そのままよろめいて膝をついた。クロヴィスは内心ほっとしながら、皇帝を運ぶ際に少しだけ痛んだ手を摩っていると、真横の扉がぎぎぎ……と音を立てて少し開く。開いた扉の隙間からひょっこりと顔を出したのは、カートルだった。
「呼んでくださってありがとうございます、クロヴィス殿下」
彼女の言葉に嘘偽りがなかったことに驚くクロヴィス。カートルは驚くクロヴィスを見ながら、呼んでもらえないと入れなかったので助かりました、と無機質で無感情な声でそう事もなげに言葉を発した。そして未だ運び途中だったディモルフの身体に、ユイットにぶつけたものと同じ闇属性魔法の塊を気持ち優しく当てる。
人差し指をすっと下から上に動かすと、その動きに合わせて人形のようにディモルフは立ち上がった。続いてすっと扉の前まで指を横に滑らせると、同様にディモルフも動く。最後に手前から奥へと滑らせるように指を動かすと、ディモルフは扉の外へと出ていった。
「……闇魔法か」
「はい。正式名称は知りませんが、私はダークパペットと呼んでいます」
ぽつりと呟いた教皇に対して、カートルは声音や表情も変えずに淡々と真面目に答える。闇魔法や光魔法には人の脳に作用して、洗脳のように人を操ることが出来る魔法がいくつかあるが、今見た魔法は教皇にとっては初見だったようだ。口を僅かに開けて、一瞬ではあったがぽかんとカートルが操ったディモルフを眺めていた。
「……カートル大司教、だったか?」
「ええ。それはそうと教皇様、この顔を覚えておいでですか?」
そう言いながら白い仮面に手を翳すと、パキッと陶器が割れるような音が鳴った。それは一度だけではなく、徐々に音が重なり合い、全体にヒビが行き渡ると最後にパキンと高い音が響いた。カタン、カランと幾つもの白の破片が散らばっていく。
赤いカーペットの上に無造作に散らばる白い欠片たちは遠目から見ても気づくぐらい、色が浮いていた。
顔から仮面が取り払われた彼女の顔は、この場にいる全員に見劣りしないほどの美貌を携えた美女だった。顔が露わになった瞬間、教皇は驚きに眼を見開いて彼女を凝視する。
「……リ、ナ?……いや、違うな……あれは壊れたんだったか……?」
ぶつぶつと一人小さく呟きにカートルは、その表情がなかった顔に薄らと笑みを纏わせ、こんにちはと眼を細めて挨拶をする。
「私の名前はソフィア。貴方の言うリナというのは、私の姉です」
「リナの……妹、だと?なるほど……確かによく似ておる」
妹、とカートルが発した直後、くすくすと教皇は笑った。壊れたあの女か、と馬鹿にするように笑う教皇に腹が立っているだろうカートルは、しかし何も言い返さずにただただ薄らと笑みを浮かべているだけだ。
教皇はそんなカートルから視線を逸らした直後、カートルは素早く手にナイフを持ち、教皇に向かって駆けた。一瞬の隙をついた攻撃を糸も容易く光の防御壁で防ぐ教皇。カートルの口からは思わず舌打ちが漏れる。
「狙いは良かったぞ?」
人を馬鹿にしたような笑みを浮かべながらそう言った教皇に、カートルはすかさず至近距離から闇の攻撃魔法を繰り出す。小さく凝縮した黒い球が教皇に降り注ぐが、やはりすべて防がれてしまった。
それを見ていたクロヴィスは床に手を当てて、土属性魔法を使って床を割る。教皇の足元が盛り上がり、バランスを崩した瞬間を狙ってカートルは攻撃魔法を叩きつけた。ランダムに闇の魔力を込めた球を放っていく。
「くくくっ、自棄にでもなったか?こんなものではいつまで経っても当てられんぞ?」
それでも、教皇にはかすり傷一つ負わせることは叶わない。しかしクロヴィスはそんな余裕綽々といった教皇に対して、にやりと口角を上げた。
「貴方がそうでも、こっちはどうかな?」
「……なに?」
クロヴィスが指差した方向をみた教皇は、目を軽く開いたあとすぐにその目を細めた。
「……そちらが目的だったというわけか」
視線の先にいたのは、力無く横たわったドミニクだった。カートルが先程ディモルフにしたのと同様に人差し指を動かすと、ドミニクはその動きの通りに動く。それはやはり意思のない人形のような動きでこの部屋を出ていった。
「く……くくくっ、あっはははは!」
突然笑い出した教皇の声に、クロヴィスの体がビクッと震えた。
※三人称視点(誰の視点でもありません)
あまりにも膨大な魔力を前に指一本動かすことが出来なくなってしまったクロヴィスは、床に膝と手をついて四つん這いのような格好になっていた。手や足だけではなく、体全体が震えている。クロヴィスの前にいたディモルフとドミニクは床に全身をつけるようにして伏していた。
教皇はその端正な顔に冷笑を浮かべながら、床に這いつくばるクロヴィス達に冷え切った眼を向ける。右手に持った杖の頂に填められた闇のように黒く丸い石を、左の掌で緩く撫でた。
そして、カツンと杖を床について一歩、また一歩とクロヴィス達へと近づいていく。ディモルフの真横を通り過ぎようとした時、教皇の足は歩みを止めた。いや止めたのではない、止められたのである。ディモルフは這いつくばった状態にも関わらず、自分の側まで来た教皇の左足を左手で掴んでいた。
教皇は表情を消し、零度の視線をディモルフに向けた。しかしディモルフには顔を上げる余裕がないのか、未だ床を向いたままである。ふっと口角を僅かに上げた教皇は、ぐっと足を引っ張ってその手を解かせた。
クロヴィスは一歩一歩確実に距離を詰めてくる教皇の動きをじっと見つめていた。緊張と恐怖からか、固く握りしめられた手はじんわりと湿り気を帯びており、彼のまろやかな額には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。あと数歩でクロヴィスの前まで来ると言う時だった。
教皇は片眉をぴくりと上げ、赤い絨毯の上で蹲るように倒れているドミニクに視線を落とした。胸が痛むのか、ドミニクは胸を鷲掴むように押さえながら倒れていたが、その手の隙間からは淡い黄色の光が漏れている。ほお、と僅かに感心と嘲笑を含んだような声音で呟いた。そして徐にその膝を折ってドミニクへと手を伸ばす。
「黄百合の魔法か……なるほど、これは都合がいい。どれ、一つ面白い事をしてやろう」
クロヴィスは声を出そうとしたが、喉からはヒューヒューと隙間風のような音が出るだけで、悔しさにぐっと唇を噛み締めた。そんなクロヴィスには目もくれず、教皇は黄百合の魔法がかけられた胸元へと手を伸ばす。教皇が口の中で何かの呪文を唱えた瞬間、黄百合の紋様が黄色の光を放ち、あまりの眩しさにクロヴィスは咄嗟に目を瞑った。
光が収まった時、辺りの様子は愚かドミニクの様子にも変化はない。クロヴィスの額から汗が滴り落ちる。
もう興味はないとでも言うように、すっと立ち上がった教皇は今度こそクロヴィスの元までやってきた。頭を上げているのも辛かったが、このまま地面ばかりを眺めていれば何をされるかわかったものではない。ぐっと背中と首に力を入れて頭を持ち上げ、高い位置にある教皇の顔をギッと鋭く睨みつける。しかし教皇は喉の奥で笑うだけだ。
「本当にいい眼をしておるな。ここで手折るのはちと勿体無い気もするが……のちの脅威にならぬとも限らぬからな……悪く思うなよ」
そう言って振り上げられた杖を見て、咄嗟に横へと倒れるように転がった。いつもよりも体が重く、言う事を聞くかどうかは一か八かではあったが、重心を少しずらすだけで横に転がり込めたのは僥倖だった。
ほう、と息を吐き出し、素早く手のひらを教皇に向ける。父と同じような火の玉を幾つも空中に出現させて、教皇へと放った。
しかしそれらは全て、光魔法の膜によって防がれた。
「全く……危ないですね」
「……は……?」
「ふふっ、なんて顔してるんですか?綺麗な顔が台無しですよ?クロヴィス殿下」
クロヴィスは人を馬鹿にするようなこの声を知っていた。いや知っているなんてものではない。クロヴィスの背中に冷たいものが走る。
煙が徐々に収まり、その防いだ人物が顕になっていく。クロヴィスは呆然とその姿を見つめながら、ドミニク、と力なく呟いた。光の膜で教皇を守っていたのは他でもない、先程まで行動を共にしていたドミニクだった。
困惑を隠せずに動きを止めるクロヴィスを、ドミニクの後から教皇は面白そうに見下ろしている。ドミニクの胸元は黄色く光っており、それを見たクロヴィスはドミニクがイエローリリィの呪いに侵されていることに気が付いた。
恐らくラウルと交わった際に魔力量が上昇して一時的に解けていた呪い、もとい洗脳が、再び教皇の魔力を与えられたことによってドミニクの魔力量を上回ったのだろう。これではドミニクの加勢は見込めないどころか、敵になってしまったとクロヴィスは唇を噛み締める。
「……イエローリリィの呪い、か」
「この黄百合の魔法――いや、今はイエローリリィの呪いと言われているのか?まあどちらでも良い。これに新たに魔力を込めてやることによって再び洗脳することが可能だ。知らなかったであろう?これを完全に解くには色々あるが……まあ無理であろうなあ」
人を馬鹿にしたような笑みを浮かべながらそう宣う教皇に、クロヴィスは腑が煮え繰り返るほどの怒りを感じた。
ここに来たのはラウルやカミーユの金属の首輪の仕掛けを解き、首輪を取り除く為だった。しかしこの様子だと、新たに魔力を込められてしまい彼らが危険なのではないかという考えが思い浮かび、ぐっと握り拳に力が籠る。ここは一旦首輪を取り除くことを諦めて、話し合い――いや、それすらも今は叶いそうにない状況だ。
攻撃の手を緩めれば、こちらの命が危ないとクロヴィスは本能で悟る。
目の前にいるのは先程までとは違い、胡散臭い笑みを貼り付けたドミニクと、その後ろで下卑た笑みを浮かべる教皇の二人。クロヴィスはもう一度教皇に向けて、火の塊を凝縮した小さな火の玉を幾つも作り、放った。
ドドドッと音を立ててドミニクが展開した光の壁にぶち当たり、全てが跳ね返される。しかしその壁には少しのひびが入っていた。
「……くっ……!」
手応えを感じたクロヴィスは、先程と同じ凝縮した小さな火の玉を倍の数程作成して、ひびの入った一点に集中するように放つ。すると徐々にひびは広がり、ついにパリン、と音を立てて光の壁が割れた。しかしドミニクは咄嗟に横へと倒れ込むように転がって難を逃れたようだ。
後ろの教皇に当たったか、と僅かに期待を滲ませて煙の奥を見るが、そこに人影はない。どこだ、とクロヴィスが辺りを見回すと、少し離れたところで冷笑う教皇の姿があった。
そして教皇は徐に杖を持っていない方の手のひらを上に向けるように開き、何かを唱えた。すると手のひらの上に黒の光と黄色の光が渦を描くように混ざり合い、きゅっと手のひらを握るとその混ざり合った光が凝縮され、何かを形作る。
再び手のひらを開いた時には光は消え去り、黒光りする鋭いナイフが静かに手のひらに落ちた。それを隣に立つドミニクに手渡して何かを耳打ちする。するとドミニクはにやりと口角を上げ、ナイフを右手で握った。
「……なんの真似だ?」
冷や汗が頬を伝い、顎から下へと落ちていく。それなのにクロヴィスの喉はからからに渇いていた。
それでもクロヴィスは少しでも余裕があるように見せる為に口角に力を入れる。しかしそれは痩せ我慢だとすぐに気付かれたようで、くくくっと教皇が笑った。
「なに、この特殊なナイフでクロヴィスを刺せと言ったまでよ。このナイフにあたればひとたまりも無いぞ?精々逃げ回る事だな」
「逃げ回られると面倒臭いので、俺はそのままでもいいですけどね?」
「……あとで覚えていろよ」
絞り出した声はやはり震えていた。
にやりと口角を上げ、ナイフを構えて一直線にこちらに向かってくるドミニクの攻撃を、土魔法を駆使してどうにか躱わす。足が思うように動かず、何度ももつれそうになるもなんとか躱し続けていたがそれも長くは続かなかった。
不意に足に何かが当たってそちらに意識が向いた隙を狙い、ドミニクの持つナイフの切先がクロヴィスに触れる瞬間だった。
――チリン。
空気を震わすような涼やかな鈴の音が響いたと思えば、その瞬間にはこの場にいるすべての人間が動きを止めていた。それはドミニクや教皇も例外ではない。
クロヴィスは詰めていた息を一気に吐き出し、荒く息を繰り返した。今この場で動けているのは鈴を鳴らした本人であるクロヴィスだけ。この鈴が本当に言った通りの効力があるか半信半疑ではあったが、一か八かで鳴らしてみて良かったと胸を撫で下ろした。
この鈴をくれた彼女の言葉に嘘偽りがないのであれば、止まっている時間は三分間のみだ。取り敢えずナイフを持つドミニクから距離を取るように動き、父であるディモルフを引きずるように扉の横へと向かって移動させる。だがまるで岩のように重く固いディモルフを動かすのは容易ではなかった。
やっとの思いで扉の前まであと少しというところまで運び終えた時、止まっていた時間が動き出した。
ナイフを手に振り上げたままの角度のまま止まっていたドミニクは、動き出した瞬間にものの見事に空振り、そのままよろめいて膝をついた。クロヴィスは内心ほっとしながら、皇帝を運ぶ際に少しだけ痛んだ手を摩っていると、真横の扉がぎぎぎ……と音を立てて少し開く。開いた扉の隙間からひょっこりと顔を出したのは、カートルだった。
「呼んでくださってありがとうございます、クロヴィス殿下」
彼女の言葉に嘘偽りがなかったことに驚くクロヴィス。カートルは驚くクロヴィスを見ながら、呼んでもらえないと入れなかったので助かりました、と無機質で無感情な声でそう事もなげに言葉を発した。そして未だ運び途中だったディモルフの身体に、ユイットにぶつけたものと同じ闇属性魔法の塊を気持ち優しく当てる。
人差し指をすっと下から上に動かすと、その動きに合わせて人形のようにディモルフは立ち上がった。続いてすっと扉の前まで指を横に滑らせると、同様にディモルフも動く。最後に手前から奥へと滑らせるように指を動かすと、ディモルフは扉の外へと出ていった。
「……闇魔法か」
「はい。正式名称は知りませんが、私はダークパペットと呼んでいます」
ぽつりと呟いた教皇に対して、カートルは声音や表情も変えずに淡々と真面目に答える。闇魔法や光魔法には人の脳に作用して、洗脳のように人を操ることが出来る魔法がいくつかあるが、今見た魔法は教皇にとっては初見だったようだ。口を僅かに開けて、一瞬ではあったがぽかんとカートルが操ったディモルフを眺めていた。
「……カートル大司教、だったか?」
「ええ。それはそうと教皇様、この顔を覚えておいでですか?」
そう言いながら白い仮面に手を翳すと、パキッと陶器が割れるような音が鳴った。それは一度だけではなく、徐々に音が重なり合い、全体にヒビが行き渡ると最後にパキンと高い音が響いた。カタン、カランと幾つもの白の破片が散らばっていく。
赤いカーペットの上に無造作に散らばる白い欠片たちは遠目から見ても気づくぐらい、色が浮いていた。
顔から仮面が取り払われた彼女の顔は、この場にいる全員に見劣りしないほどの美貌を携えた美女だった。顔が露わになった瞬間、教皇は驚きに眼を見開いて彼女を凝視する。
「……リ、ナ?……いや、違うな……あれは壊れたんだったか……?」
ぶつぶつと一人小さく呟きにカートルは、その表情がなかった顔に薄らと笑みを纏わせ、こんにちはと眼を細めて挨拶をする。
「私の名前はソフィア。貴方の言うリナというのは、私の姉です」
「リナの……妹、だと?なるほど……確かによく似ておる」
妹、とカートルが発した直後、くすくすと教皇は笑った。壊れたあの女か、と馬鹿にするように笑う教皇に腹が立っているだろうカートルは、しかし何も言い返さずにただただ薄らと笑みを浮かべているだけだ。
教皇はそんなカートルから視線を逸らした直後、カートルは素早く手にナイフを持ち、教皇に向かって駆けた。一瞬の隙をついた攻撃を糸も容易く光の防御壁で防ぐ教皇。カートルの口からは思わず舌打ちが漏れる。
「狙いは良かったぞ?」
人を馬鹿にしたような笑みを浮かべながらそう言った教皇に、カートルはすかさず至近距離から闇の攻撃魔法を繰り出す。小さく凝縮した黒い球が教皇に降り注ぐが、やはりすべて防がれてしまった。
それを見ていたクロヴィスは床に手を当てて、土属性魔法を使って床を割る。教皇の足元が盛り上がり、バランスを崩した瞬間を狙ってカートルは攻撃魔法を叩きつけた。ランダムに闇の魔力を込めた球を放っていく。
「くくくっ、自棄にでもなったか?こんなものではいつまで経っても当てられんぞ?」
それでも、教皇にはかすり傷一つ負わせることは叶わない。しかしクロヴィスはそんな余裕綽々といった教皇に対して、にやりと口角を上げた。
「貴方がそうでも、こっちはどうかな?」
「……なに?」
クロヴィスが指差した方向をみた教皇は、目を軽く開いたあとすぐにその目を細めた。
「……そちらが目的だったというわけか」
視線の先にいたのは、力無く横たわったドミニクだった。カートルが先程ディモルフにしたのと同様に人差し指を動かすと、ドミニクはその動きの通りに動く。それはやはり意思のない人形のような動きでこの部屋を出ていった。
「く……くくくっ、あっはははは!」
突然笑い出した教皇の声に、クロヴィスの体がビクッと震えた。
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瀬川香夜子
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―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
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