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本編

12話

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 ふわりとした浮遊感のあと、俺達は地下迷宮へと入っていた。転移前の声のことを考える暇もなく、ここが地下迷宮の中でも中層に位置する場所だと説明される。
 クラヴィス殿下とカミーユさん先導の元、アルマン殿下と離れてしまった場所まで歩いていくことになったのだが、どうもさっきから背筋がぞわぞわとする。ここが地下迷宮だからだろうか。
 
 少し歩くと低ランクの魔獣や魔物が現れ、それを皮切りに次々と現れるようになった。聖女である俺とカミーユさんは魔力温存のため今は魔法を使うことを控えなければならず、見ていることしかできない。それがなんと歯痒いことか。

 進めば進むほど敵のランクは低ランクから中ランクに上がり、目的の場所に着く頃には高ランクの魔獣達が姿を現した。狼のような姿をした魔獣達は皆一様に鋭い歯を剥き出しにして唸り声を上げている。その口からはだらだらと粘り気のある唾液が垂れ、床を汚していた。

「グルルルル……ッ」
「詠唱開始!」
 
 団長の掛け声に、魔道騎士団が詠唱を開始した。一点に魔力を集中させて撃ち放ち、その隙を狙って騎士団が斬り込んでいく。これを幾度もなく繰り返し、そうしてどのくらい時間が経っただろうか。
 各自持ってきていた分も、俺達が持ってきていた分のポーションも底をつきかけた頃、俺達を囲んでいた高ランクの魔獣達はいつの間にかいなくなっていた。その代わり辺りには魔獣の死骸が幾つも転がり、血の匂いが漂っている。その匂いに胃が引き攣るような感覚を覚え、思わず口に手を当てた。

「……っ、う……」
「大丈夫ですか?」

 団員達が倒した魔獣から素材となる皮や爪や歯、そして少しの肉を回収していく様子から目を逸らし、吐き気を押さえるように膝を抱えてしゃがみ込んだ。そんな俺の背中をカミーユさんが優しく摩ってくれたお陰で少しだけましになったような気がする。
 
 三十分ほど歩くと、所謂中間地点と呼ばれるだだっ広い空間に出た。不思議なことに、ここには魔獣も魔物も一切出ないらしい。

「もうこんな時間か……」

 クロヴィス殿下は腰に付けていた金色の懐中時計を確認した後、騎士団長と魔道騎士団長の二人を呼び出して何かを話し始めた。そして話し合いの結果、今夜は一旦ここでテントを張って野営をすることになった。

 テントは全部で5つ。クロヴィス殿下と聖女である俺とカミーユさん、そしてそれぞれの団長二人が同じテントに入ることになった。残りはそれぞれ団員達が5人一組で使用するそうだ。ただし見張りをする組のテントは二組が交互に使うらしく、中には10人分の荷物が置かれていた。



 みんなが寝静まった頃、俺は一人眠れずにいた。
 少し身体が火照っている気がして、俺は肩掛け鞄に入れていたヒート抑制剤と避妊薬を少し多めに口に入れ、持っていた飲み水で一気に流し込んだ。今ここでヒートになるのはまずい。多少無理矢理だが薬を多く飲むことによって、ヒートになる可能性を少しでも減らすしかない。

「……っ」

 身体が熱い。頭がぐらぐらと揺れる。
 どくん、どくんと大きく音を立てる心臓がうるさくて、服の上から鷲掴むが一向におさまらない。隣で眠るカミーユさんを見ると、彼はすやすやと眠っていた。

 ころんと寝返りを打ったカミーユさんの首が顕になる。首には俺と同じ金属製の首輪が付けられていて、やはり聖女は皆つけるのかとぼんやりと見ていると、不意に頸にある何かに気がついた。

 ……歯型?噛まれたのかな?痛そうだな……。

 首輪によって首の半分は隠れているので頸を噛むのは難しい。なのにどうしてこんなところに歯形があるのだろうか。しかしぼんやりとした頭では大した思考も出来ず、俺は外の空気を吸いに外に出ることにした。

 ふらつく体をなんとかテントの外に出すと、冷たい外気が火照った身体を優しく撫でた。今まで地下迷宮に入ったことがないので知らなかったが、少し地上よりも涼しいらしい。もう少しこのひんやりとした空気を味わっていたくて、テントから少し離れたところにある岩陰にそっと腰を下ろした。

 魔獣や魔物の気配もないし、ここならテントからさほど離れてはいないので危険はないだろうと息を吐き出した時だった。

「何かいい香りがすると思ったら……聖女様、こんなところでどうかしましたか?」
「……っ!?」

 岩陰を覗くようにして二人の騎士達が俺に話しかけてきた。誰かに声をかけられるなんて露ほどにも思っていなくて、びくんっと大きく身体が跳ねる。にこにこと愛想の良い笑顔で大丈夫かと聞かれ、戸惑いながらもこくりと頷く。

「俺たち見張りなので、もしよかったら一緒にいましょうか?その方が安全ですし」
「えっ……いや、あの……」
「遠慮しなくても良いですよ?俺たちがお守りしますから」
「あ……そうじゃ、なくて……」

 とても優しそうな笑顔なのにどうして恐怖が湧いてくるのだろう。背筋がぞわぞわとする感覚に、ぶるりと身体を震わせる。

 そんな俺には構わず、騎士二人は俺をぴったりと挟むように岩陰に座り込んだ。驚いて左右を交互に見ると、くすりと笑われる。喉から引き攣ったような声が出るが、それは本当に小さなもので誰かが気づく様子はない。

 不意に右側に座る騎士が俺の首元に顔を寄せ、すんと匂いを嗅いだ。驚きと気持ちの悪さに体を仰け反らせると左側にいた騎士に当たった。咄嗟に謝罪を口にしようとするがそれよりも早く、彼の大きな手で口を覆われてしまい、恐怖に体が強張る。

「声、出さないでくださいね?……それにしても良い香りですね……もしかして聖女様、ヒートですか?」

 ヒートと言われた瞬間、ぶわりと身体が熱くなる。
 ただ前回のヒートとは何かが違うような気がした。頭の中が性行為のことでいっぱいになるわけでもないのに、腹の奥がずくんと疼く。自分でも訳がわからない状態に自然と涙が滲んだ。

「……いや、これヒートじゃなくて……隊長達のアルファのフェロモンに当てられただけじゃないか?」
「どちらにしても俺たちには好都合だな」
「くくっ、まあな。こんなフェロモン撒き散らせてるんだから、ちょっとぐらいいいだろ」
「……んんっ!」

 アルファのフェロモンに当てられた?つまりあのテントでアルファに囲まれていたから、今こんな状態になっているのか?

 熱でぼんやりとする頭で必死に考えていると、不意に俺の萎えた陰茎を服の上から握られて喉から悲鳴が漏れた。背後から羽交締めにされているため身動きが取れず、恐怖のあまり頭が真っ白になる。

 誰か助けてと心の中で叫ぶが、当然誰もきてはくれない。もう諦めた方が楽なのだろうかと、溢れた涙が頬を伝ったその時だった。

「そこで何をしている!」
「やばっ……!」
「いや、そのっ……聖女様が辛そうだったので介抱を……がはッ!」

 俺の前に座って陰茎を触っていた男が勢いよく飛んでいった。俺を後ろから抱き込むように口を塞いでいたもう一人も俺から手を離して逃げようとしたが、足がもつれて上手くいかないようで、地面を這っていく。そしてその状態のまま、現れた人物によって顔面を思い切り蹴られていた。

 俺は一連の流れについていけず、ぺたりと地面に座り込んだままぽかんとその人の顔を見つめていた。その人――クロヴィス殿下はその美しいかんばせに何の感情も浮かべず、倒れ込んだ二人をただただ無感情に見下ろしている。

「この下衆どもが」
「ひっ……す、すみま……が、あっ」
「た、たすけ……っ、ぐ、ああぁっ」
「喋るな」

 恐怖に喉が引き攣り、うまく言葉が出せないのだろう。二人は地面を這いながらクロヴィス殿下からどうにか離れようと足掻いている。しかしクロヴィス殿下はそんな二人を見下ろしながら二人に近づくと、思い切り腹部や股間を踏みつけた。俺がされているわけではないのに、思わず股間を抑える。
 まだ会って二日目なので本性や普段の様子は知り得ないが、少なくとも俺が彼と関わった少ない時間の中で抱いた印象や雰囲気とは全く異なるその様子に、戸惑いが隠せない。
 
 痛みや衝撃で気絶をしてしまったらしい二人を見て小さく舌打ちをした彼は、俺を振り返って近づいてきた。。反射的に腰を引いてしまったのは、多分不可抗力だ。
 クロヴィス殿下は俺の前まで来ると、ぺたりと座り込んでいる俺に目線を合わせるようにしゃがみ込み、頭を下げた。

「来るのが遅くなってしまってすまない。大丈夫かい?」

 気遣わしげにそう声を掛けられ、こくりと頷く。

「立てるかい?」
「はい……あれ、あ……」

 差し伸べられた手に手を重ねて立ちあがろうとするが、情けないことに腰が抜けてしまっていた。そんな俺を見かねたのか、クロヴィス殿下は俺に触れても良いかと確認をしてきた。その問いに困惑しながらも頷くと、彼は徐に俺の背中と膝裏を手で支えるようにしてから立ち上がった。

 急に目線が高くなったことに驚いて咄嗟にしがみつくと、頭上から降ってくる控えめな笑い声。見れば、眉尻を下げながら笑うクロヴィス殿下の端正な顔がそこにはあった。

 クロヴィス殿下は俺を横抱きにしたまま、ゆっくりとした足取りで歩いていく。恥ずかしいが、腰が抜けて立てそうにない。せめて邪魔にならないように大人しくする他、俺には選択肢がなかった。

「あ……あの、助けていただいて、ありがとうございます」
「いや、こちらこそすまなかった。連れてきた二つの団の中にあんな奴らがいたなんて……どうお詫びすれば良いか」

 あんな奴ら、と言いながら床で伸びている奴らを、まるで塵芥でも見るかのような目で見た。そして見ている時間すら勿体無いとでもいうようにすっと視線を俺に戻して、再び申し訳なさそうな表情になる。

 クロヴィス殿下の話によると、テントから出た俺に気付いていたらしいが、初めての所だし眠れないのだろうなと思って最初は追いかけなかったそうだ。しかしそれから少しして、テントの中が聖女以外全員アルファであることを思い出し、慌てて俺を追いかけたのだとか。
 テントを出てすぐに周囲を見渡すが俺の姿はなく、少し行った所で座っていた見張りの騎士たちを見ると数が少なく、話しかけたところ皆一斉に視線を泳がせたらしい。そして三人の中の一人が俺がいる岩陰を指差し、助けてくれたという流れだった。

「知っていて見ないふりをした三人も含め、奴ら五人は全員騎士団から退団とする。本当は死罪にでもしてやりたい所だが、未遂だと出来て懲罰房行きだろう。すまない」

 それよりもまずは奴らを縛るための縄を持ってこようと呟いたクロヴィス殿下の顔からは表情が抜け落ちていた。

 俺は聖女だ。聖女はオメガで、どんなに怖くても身体を抱かせろと言われたらそうしなければならないのだと思っていたが、もしかして違うのだろうか。

 失礼なことかもしれないという考えが過るが、クロヴィス殿下が聖女の役目――もとい奉仕と呼ばれる行為に関してどう思っているのかが知りたくなった。

「あの……失礼なことかもしれないんですけれど」

 そう前置きをすると、どうぞと優しげな声が続きを促す。

「聖女の役目、を……その、どう思いますか?」
「どう、とは?」
「大聖堂の人達や皇族への奉仕……について、です」

 クロヴィス殿下は紛れもない皇族だ。その皇族との交わりを役目とするならば、きっとこの方も聖女を抱いたことがあるのだろう。そう思うと幾らか気分が沈んだ。

 歩みが止まり、クロヴィス殿下の方をちらと窺うと、目をぱちぱちと瞬かせてこちらを見る目と視線がかちあった。

「奉仕……ああ、大聖堂の上役達が重んじているあれか……これを言っても信じてもらえないだろうが、私の父の代から私を含んだ直系皇族は皆その奉仕を利用していない」
「……は?」
「アイツは……リアムは優秀過ぎて目を付けられたんだろう。恐らくあのジジイ共が唆したんだろうが……あいつ、手は出したか?」

 答えて良いものなのだろうかと逡巡した後、いいえと否定する。すると彼はほっとしたような表情を浮かべ、前を向いて再び歩き出した。

「私達の父が皇帝陛下に即位する時に大聖堂の奴らと……そうだなあ、わかりやすく簡潔に言えば喧嘩をしたんだ。聖女を何だと思っているのかと父が教皇のもとに怒鳴り込みに行ってね」
「……怒鳴り込み」
「うん、怒鳴り込み。実はね、ここだけの話なんだけど私達の母親は聖女だったんだ……まあリアムは知らないんだけどね。父はそんな母を愛していたから、どうにか救おうとしていたよ」

 聖女は妊娠し、出産をしてからも他の男達と交わらなければならなかった。クロヴィス殿下の父君である現皇帝陛下とは幼い頃からの友人で、彼らはお互いに心を交わした結果4人の子供が産まれた。しかし毎度産まれた赤子が生後10ヶ月になると同時に大聖堂に連れ戻されてしまったのだそうだ。一番上のクロヴィス殿下は母親と一緒にいたくて現皇帝陛下に何度も言いに行ったそうだが、その度に申し訳なさそうな顔で謝罪されたのだという。

 だから直系である彼ら兄弟は奉仕に関しては一切知らずに育ったが、クロヴィス殿下は薄々勘付いていたらしい。

「母が……母がいつも白いローブを纏った男の人を見る度に体を強張らせていたから、何かあるのだろうなと思ってはいた。ただその時は幼過ぎて、それが奉仕と聞こえの良い言葉を使ったただの性的暴行だとは思わなかったけれどね」
「……そう、ですね」
「私とアルマンが、聖女が奉仕という名目で性的暴行を加えられていると知ったのは、カミーユが聖女になった時だった」
「……カミーユさんが?」

 カミーユさんはアルマン殿下の友人であり婚約者でもあるので理解できるが、どうしてクロヴィス殿下もその時に知ったのだろうか。するとクロヴィス殿下はその頃を思い出しているのか、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「私とアルマン、そして第一皇女のソフィアはカミーユと幼馴染なんだ。特に婚約者同士であるアルマンとカミーユは仲が良かった。でもある日、カミーユが聖女になった」

 カミーユさんが聖女に選ばれた時、アルマン殿下は反対し、大聖堂に乗り込もうとした。それを止めたのがクロヴィス殿下だったそうだ。
 クロヴィス殿下は母のことを思い出し、すぐにアルマン殿下と共に皇帝陛下である父の元へ直談判に向かった。アルマン殿下の必死さに心動かされたのか、それとも過去の自分と重ね合わせたのかはわからない。けれど皇帝陛下は、大聖堂へ抗議文と誓約書を送りつけた。

 誓約書の内容は、聖女に奉仕という名の性行為を強要しないことなど、精神や身体を傷付けないようにしろといった内容が書かれていたが、大聖堂から返事が返ってくることはなかったそうだ。

 ただカミーユさんが元とはいえ公爵家の令息であり、アルマン殿下の婚約者であったため、扱いに困っていたのだろう。まずは婚約破棄をしろという抗議文が送られてきたそうだ。それが届いた瞬間にアルマン殿下がブチ切れ、大聖堂に乗り込んでしまったらしい。追いかけたクロヴィス殿下が見た光景は、まさに地獄だったと言う。

「だってカミーユが身体を暴かれている最中にアルマンが乗り込んでいったんだよ?向こうもそりゃあ焦るよね。カミーユがあられも無い姿で組み敷かれ、涙を流す姿を見たアルマンは凄かったよ。そんなことがあって、皇族は礼拝禁止になったんだ」
「……大聖堂を出禁にならなくて良かったですね」
「ははっ、本当にそうだな。実は最初は出禁になったんだけど、アルマンが脅……交渉して出禁だけは回避したのさ」

 笑うよね、と笑っているクロヴィス殿下の目は笑っていなかった。怒りや憎しみといった負の感情を纏った瞳は今、何を見ているのだろうか。

 テント付近に用意したベンチに俺を座らせたクロヴィス殿下は、優雅な所作で隣に腰を下ろした。

「リアムは今年17になるんだけど、私とは10も離れているからかあまり関わりがなくてね……だからあの時もよくわかっていなかったんだろうな」
「カミーユさんが聖女に選ばれたのはいつなんですか?」
「ええと……アルマンが16の時だったから……6年前かな」
「……6年前」

 聖女は短命だと聞いていたが、実際どれほど生きられるものなのだろうか。カミーユさんは少なくとも6年は聖女をやっていることになる。俺はいつまで生きられるのだろう。

 考えていることが顔に出ていたのか、クロヴィス殿下は困ったような表情で俺の頭をそっと撫でた。

「……聖女は短命だと言われているが、聖女になってから20年以上生きた人もいる。逆に魔力量が少な過ぎて一年程で亡くなった方も……中にはいる。君は見た感じ魔力量はカミーユと同じくらいあるから、少なくとも同じくらいは生きられるはずだ」
「……はい」

 6年前、カミーユさんが身体を暴かれたことをきっかけにアルマン殿下は大聖堂に乗り込み、結果、皇族全体が大聖堂を出禁になった。しかしアルマン殿下による脅しという名の交渉により大聖堂への出禁はなくなり、代わりに礼拝禁止となってしまったというわけか。だから秘密だと言われたんだなと一人納得していると、ふと疑問が思い浮かんできた。

 ドミニクとクロヴィス殿下は知り合いのようだった。礼拝への参加もドミニクは黙って見ているだけだったし、もしかして……と思ったが、アイツはアイツで俺を犯した奴だと思い出してなんとも言えない気持ちになる。

「実は昨日リアムが私の部屋に来て、聖女について教えて欲しいと言ってきたんだ。……とても思い詰めたような表情をしていたよ」
「……俺、リアムに何も言ってないんです。言いたくないというよりも、知って欲しくない……というか」
「まあ……君からしたらそうだろうね」

 苦い笑みを浮かべ、ここではないどこか遠くを見つめながらクロヴィス殿下はぼんやりとそう言った。

 俺は、今まで俺がされてきた事をリアムに知られたくなかった。知られたら最後、俺から離れていくかもしれないし、そうじゃなかったとしても同情の目で見られるかもしれないことが辛い。

 俺は、俺に優しくしてくれたリアムに感謝している。俺を抱かず、他愛ない話をしてくれたり、身体を慮ってくれたり、好きと――愛してると言ってくれたことに。

「……私も、何も知らないままだったら幸せだったのかな」
 
 クロヴィス殿下は遠くを見つめたまま、言葉を紡いだ。しかしそれは呟いたというよりも、ふとした瞬間にぽろりと心がこぼれ落ちてしまったかのような響きで、虚しさを孕んでいた。

 きっとこの人は沢山知って、沢山考えて、そして沢山苦しんだのだろう。
 恐らくアルマン殿下もカミーユさんが聖女になった時に色々と知り、苦しんだのだろうと思う。それでもカミーユさんを愛すると決め、婚約破棄を絶対にしないと誓った。

 ――羨ましい。妬ましい。
 そこまで想ってくれる相手がいて、どんなことがあっても受け入れてくれる人がいて、助けてくれる人がいることが羨ましくて、辛い。

「リアムが私の部屋に来た時、私は……リアムも同じように知って、考えて、苦しめば良いと思ってしまったんだ……嫌な兄だろう?」

 自嘲するような笑みを浮かべたクロヴィス殿下に、俺は何も言うことが出来なかった。

 
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