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元婚約者は王子の安らかな眠りを祈る 後①

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 それからのことはよく覚えていない。

 ルークが過呼吸を起こして、俺はあいつに何かの魔法を掛けられて……そこからの記憶がぷつりと途切れている。無理矢理思い出そうとすると頭に鋭い痛みが走り、身動きが取れなくなった。

 ここはどこだろう?
 あれからどのくらい経った?
 ルークは……ルークはどうなった?

 ……何もかもがわからない。
 頭はまるで靄がかかったようにぼんやりとしていて、何かを考えようとしてもすぐに思考が散漫としてしまう。

 重い体を何とか起こすと、そこは見たこともない豪華な装飾が施された見慣れない部屋だった。少なくとも俺がルークといた場所ではないし、俺が暮らしている学園の庶民専用の寮でもない。ここはどこだとゆっくりと見回していると、キィ…と軋んだ音がして扉が開いた。

 現れたのはハニーブラウンの髪に赤紫の瞳――第四王子のジェイクだった。

「お目覚めになったのですね。ユベイル様、気分はいかがですか?」
「……最悪だよ」
「ふふっ、そうですか。元気そうで何よりです」
「……チッ」

 今の俺の姿を見て元気そうだと思うのなら、一度目と頭の病院に行った方がいいと思う。
 
 ジェイクは舌打ちをした俺を楽しそうに見つめながら、俺の近くへと歩みを進めてくる。何をされるのかと身構えていると、彼はすとんと俺のいるベッドに腰を下ろした。そして徐にベッド脇のキャビネットから何かを取り出し、にこにこと笑みを浮かべながら俺を見る。

 ……嫌な予感がした。
 今まで感じたことのない悪寒が背筋を走る。

「――」

 ジェイクが何かを呟く。
 それと同時に、俺の身体は小柄なジェイクによってベッドに沈められていた。一瞬の出来事で何が起こったのかわからない。ただ身体がまるで氷漬けにでもされたかのように一瞬で固まり、瞬きをした時には既に押し倒されていたのである。

 ジェイクの魔力属性を俺は知らない。けれどこの魔力の気配は水属性と闇属性だった。
 掴まれた腕から魔力が流れ込んでくる。自分のものではない魔力が強制的に入ってくる感覚が気持ち悪い。足元からぞわぞわと駆け上がってくるような何とも言えない感覚に、思わず眉間の皺が深くなる。

 何をする気だと言いたいのに声が出ない。それどころか口すらも全く動かなかった。そんな俺の様子に、俺を押し倒したままのジェイクが不敵な笑みを浮かべる。

「動けないでしょう?ふふっ、これ僕の魔法なんです。自由を奪う魔法ロブフリーダムと言うのですけど……ご存知ですか?」

 知らない、と言いたくても言えず、俺はただ俺を見下ろすジェイクを睨みつける。

「この魔法はね、ぼくのお母様が僕に教えてくれた魔法なんですよ。……さて、今から僕と取引をしましょう」
「……?」
「あ、取引とは言っても難しいことではありません。ぼくの願いはただ一つ、ユベイル様がぼくの婚約者となること」

 その言葉に、まだ諦めていなかったのかと内心溜息が溢れる。何度言われても、何度懇願されようとも俺はルークの婚約者を辞めるつもりはない。それなのにどうしてこいつはこんなにも余裕そうなんだろうか。

 薄気味悪さを感じながらも、俺はジェイクを睨み続ける。絶対に嫌だ、そう思いを込めて。

「その為には一つ条件をクリアしなければならないことに気がつきました。……それは、あの邪魔な忌み子を排除するということです」
「……!?」
「……ずっと邪魔だったんです。あいつさえいなくなればユベイル様はぼくの婚約者になれる。だから……もしユベイル様が断るというのであれば、あの忌み子を消さなければなりません」

 ……こんなのは取引なんかじゃない、ただの脅しだ。

 俺はルークが好きだ。ルークのことを愛しているからこそルークの婚約者という立場であり続けたいと思っている。けれどもし俺が嫌だと言えば、ルークに危害が及ぶことは確実だ。それだけは絶対に避けたい。これ以上ルークが傷つく姿を見たくなかった。

 俺は、無力だった。

「……今、顔周りの拘束魔法を解きました。これで話せるはずですよ」
「……わかった」
「何がわかったんですか?」

 ジェイクは表面上は穏やかに見える笑顔で俺を見ている。不気味なほどに優しく穏やかな声音に、顔が歪む。

 俺はどうにもならない悔しさに言葉を詰まらせながら口を開いて、血を這うような声で言葉を紡いだ。
 
「……ルークとの、婚約を……破棄をする」
「ふふ……あははっ、そんなにあの忌み子が大事ですか?……でしたら、こういうのはどうでしょう?もうすぐ開かれる卒業パーティーで婚約破棄を宣言するんです。パーティーの最中、参加者全員の前で破棄を宣言してください。それまでは悟られないように婚約者として振る舞ってくださいね」

 開いた口が塞がらなかった。
 なんて残酷なことを思いつくんだろうか。あの子は何も悪いことをしていないのに、そんな悪役のような扱いをするなんて本当にどうかしている。

 俺は反論しようと口を開いたが、ジェイクが続けた言葉に口を塞がざるを得なくなった。

「もし悟られた場合、忌み子はこちらで処理します。卒業パーティーで婚約破棄を宣言しなかった場合においても同様です。……して、いただけますね?」
「……っ」

 もう頷くしか選択肢はないというのに、それでもジェイクは俺に選ばせたいようだった。一つしか用意されていない選択肢を自ら選び、それを宣言する。それはもはや拷問に近い行為だった。

 俺は歯を食いしばりながら、首を縦に動かした。俺の心は悲鳴をあげて泣いているけれど、決して外には出さないようにどうにか耐え抜いた。

「僕と会った時の記憶ですが、あの忌み子にはありません。医者によれば自己防衛反応が働いたようで、勝手に記憶から消したようです。だからあれは僕と会ったことを覚えていません。……ね?好都合でしょう?」

 ジェイクは心底楽しいといった様子で満面の笑みを浮かべている。反対に俺の顔はきっと血の気が失せて、絶望一色になっていたに違いない。

 頭がくらくらとする。甘ったるい香りが鼻をつき、俺の意識がぼんやりとぼやけていく。

「……さあ、今から僕と楽しみましょうね」

 そんな艶やかさを含んだ声が耳に届いた瞬間、俺の意識は闇に落ちた。
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