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元婚約者は王子の安らかな眠りを祈る 中②

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 倉庫から出た後、俺はルークを連れて医務室に向かった。しかしどうやら校医は留守のようだ。部屋には誰もいなかった。
 用事か何かで出ているだけなら何か書き置きがあるのではと室内をぐるりと見回してみると、案の定、校医が使用している机の上に少しの間席を外す旨が書かれた紙が置かれていた。
 
 医務室といえば一般的には治療の為の器具や薬剤が置かれているのだが、この学園では安全性を考慮して、それら全てを隣接している鍵の掛かった小部屋に置いている。その為、もし校医が席を外していたとしても体調が悪ければ勝手にベッドを使って休むことが出来るようになっていた。

 正直に言えば、校医が留守というのは嬉しい誤算だった。今のルークを他人に会わせることには少なからず抵抗があったし、何より俺が今からする行動を見られるのはたとえ校医であっても少々都合が悪い。

「怪我、見せて」
「えっ……あ、ええと……」
「大丈夫、魔法で治療するだけだから」
「……わかった」

 光の魔法が特別だと言われる由来は、この治癒魔法にある。ある特殊な修練を重ねれば、魔力のある人間であれば誰でもある程度の治癒魔法を会得することが可能だ。でもそれは小さな切り傷や擦り傷を治したり、痛みを僅かに和らげたり出来る程度のもので、解毒や大怪我を治したりといったことは出来ない。
 それが出来るのは光の魔力を持つ人間のみと言われており、斯くいう俺も治癒魔法を扱うことが出来た。

 ルークが丁寧な所作でシャツのボタンを外していく。全てのボタンを外し終えると、彼は開いたシャツの前に手をかけた。するりと白い布地が滑り、肩や腕など徐々に肌が露わになっていく。状況が状況であるにも関わらずどきどきと胸が高鳴っていたが、元々は白く滑らかだっただろう肌に所々浮かび上がる青痣や擦り傷、切り傷が視界に入った瞬間、心臓が凍りついた。
 その傷跡をよくよく見てみると、新しくついただろうまだ血の滲む擦り傷や切り傷の他に、どう見ても今日一日でついたとは思えないような痣や傷も数多くついていた。そのことに気がついた瞬間、頭の中でぷつんと何かが切れる音がした。

 そう言えばさっきの奴らに誰の差し金だったのか聞くのを忘れたな……。

 ふとそんな考えが浮かぶ。
 早く戻ってあいつらに全部吐かせないとという思いに駆られ、座っていた椅子からゆらりと立ち上がり、医務室の扉の方へと一歩踏み出した。

「……ユベイル」

 俺を呼ぶルークの小さな声。振り返ると不安気に揺れる彼の黒い瞳と視線がかち合い、俺は動きを止めた。

「僕は……大丈夫だよ」
「……そんな怪我しておいて、大丈夫も何もないだろ」
「うん、そうだね……ごめん」
「別に謝って欲しいわけじゃ……違う、俺の方がごめん。ルークが悪いわけじゃないことはわかってるんだ……けど……ああっ!くそっ!!」

 自分でも何が言いたいのか分からず、自分の頭をぐちゃぐちゃと掻き回しながら思いのままに声を出すと、自分が思っているよりも遥かに大きかったらしく、ルークの肩がびくりと跳ねる。その様子に慌てて謝りながら彼はをそっと抱き締めると、俺よりもずっと小さな体が小刻みに震えていることに気がついた。

 たったそれだけのことだったが、俺の頭は怒りでどうにかなりそうだった。

「あいつらに、何されたのか……教えてくれ」
「……なにも」
「何もって……この状態でそれは、」
「……本当に、いいんだ」

 俺の腕の中で身体を震わせながら必死に言葉を紡ぐルークに、俺はもう何も言うことが出来なかった。

 せめて痛みだけはとってやりたくて、俺は治癒魔法を掛けるためにルークに確認をとった上で彼の痛々しい肌に触れた。魔力を手に集中させ、治癒魔法の呪文を唱える。すると俺の手から淡い光がいくつも溢れ、それはルークの傷口を覆い隠すように広がっていく。今すぐ全ての傷が消えてくれと祈りながらさらに魔力を込めると、暖かな光がルークの肌を包み込んでいった。そして光が消える頃には、彼の肌は元の綺麗な素肌にへと戻っていたのだった。

「……すごい」

 思わずといった様子でルークはぽつりと呟く。
 もう痛いところはないかと確認すると、こくりと頷きが返ってきた。

「すごく、あった、かいね……っ、ひ……うぅ……っ」

 ルークの目が潤んでいき、大きな透明の塊が耐えきれずに頬を伝う。それを皮切りに次々にこぼれていく涙に、俺の心は締め付けられた。

 ルークは一体いつから耐えていたんだろうか。
 あの傷や痣を見るに、昨日今日始まったというわけではなさそうだ。こんな風にルークを痛めつける奴を、俺は絶対に許さない。

 そっと包み込むように優しく腕の中に迎え入れると、ルークは素直に体を預けてくれる。自分の腕の中で必死に声を殺しながら涙を流す愛しい人に、抱きしめる腕に力を込めた。

 しかしその翌日、ルークは教室に現れなかった。
 前日のこともあるので学園中を走り回って探したが、彼はどこにもいなかった。焦りか苛立ちかよくわからない感情が渦巻いている。そんな気持ちで到底授業を受ける気にはなれなくて、結局あの中庭の倉庫の前でずっと座っていた。

 次の日もその次の日も、ルークは姿を現さなかった。何かあったのだろうかと不安は募るばかりだ。俺はいても立ってもいられず連日学園内を探し回ったが、やはりどこにも彼の姿はなかった。

 どんなに探しても見つからない。まるで、俺がルークにしてやれることなんてこれっぽっちもないんだって言われてるみたいだ。

「ルーク……」

 会いたい。一目でいいから会いたい。
 少しでいいから無事な姿を確認させてくれ。
 ――お願いだから。

 俺のその願いは届いたのだろうか。
 次の日、ルークは学園にやってきた。

「ルーク!お前今までどこにっ……ルーク?」

 俺の声にぴくりと全身を震わせながら視線を忙しなく彷徨わせたルークは、俺から視線を外すように下を向いた。俺よりも小さなその身体はかたかたと小さく震えており、どこか様子がおかしいことが窺える。
 
 俺は大丈夫かと出しかけた手を咄嗟に引っ込めた。そして体の横に下ろしたその手を固く握りしめ、唇をぎりっと噛み締めて俯く。ぷつりと僅かな音がして、握り拳からぽたりぽたりと赤いものが伝い落ちていった。光の加減によっては赤にも黒にも見えるそれを視界の端に捉えたらしいルークが引き攣ったような声を上げて一歩後ずさる。

「ルーク」
「ひっ……や……っ」

 身体を小刻みに震わせ、目にいっぱいの涙を湛えながら必死に俺から距離を取ろうとする彼の姿に胸がずきんと痛む。俺、というよりも俺を通して見ている誰かに対して怯えているような、怖がっているようなそんな反応。俺は思わず声を掛けそうになったが、どうしても掛ける言葉が見つからなくてやめた。

 どうしようもなく、怒りと悔しさが湧き上がる。
 こちらを遠巻きに見てくる学園の奴らにも腹が立つ。

 でも一番腹が立つのは、何もできなかった俺自身に対してだ。

 ルークを守れなかった、それが大きな棘になっていつまでも胸に突き刺さっていた。




 その日からルークは毎日学園に来るようになった。でも日に日に弱っていくルークに俺が何かできるわけもなく、時は無常にも過ぎて行く。

 ルークは以前よりも様々なことに敏感になっていた。
 例えばそれは暗闇だったり、音だったり、人の手だったり。それに気がついた時、以前倉庫でのルークの様子が脳裏に浮かんで心臓がバクバクと鼓動を打った。
 
 騒つく胸にいても立っても居られず、毎日、気付けばこの倉庫に足を運んでいた。もしルークがいたらすぐに助けられるように、今度こそルークを痛めつける奴らを排除するために来続けた。

 けれどルークも奴らもこの倉庫にはあれから一度も来ていないようだった。まあ一度失敗して俺に見つかっていることを鑑みれば、違う場所に移動するのは当然のことだろう。
 色々と調べて練習して、やっと使えるようになった透視魔法を駆使しても、倉庫に人影を見つけることは出来ない。それはそれで安心するところなのだろうか、どうしても俺の胸が落ち着くことはなかった。

 俺の予想は恐らく当たっているだろう。けれど誰かにそれを伝えたところで、教師も生徒も誰も忌み子と呼ばれる嫌われた王子であるルークを助けてくれるとは思えない。

 ルークには俺しかいない。俺しかいないんだ。
 ……俺だけが、ルークを助けられるのに。

 俺は無力な自分に歯噛みするしかなかった。

「こんなところにいたんですね、ユベイル様」

 そんな時、背後からそう声を掛けられた。最近やたらと話しかけてくるようになったこの声の主は、鼻歌でも歌いそうなほどのご機嫌さだ。
 ジャリ、ジャリと地面を踏む音が聞こえ、僅かに動かした視界の端に黄色みを帯びたハニーブラウンがちらりと映る。

「そんなにあの忌み子が気になりますか?」
「……なに、」
「ふふ、やっとぼくを見てくれた」

 聞き捨てならない言葉が聞こえ、顔を上げる。すると真正面に立ってこちらを見上げる赤みがかった紫色と目があった。

「ユベイル様はどうしてあの忌み子のことを探しているんですか?婚約者だから、ですか?」
「……そうだよ」
「……なるほど、そうですか」

 彼にしては珍しく何かを考えるような仕草をした後、いつもと同じような笑みを浮かべて俺の手を取った。まさか触られるとは思っていなくて、反射的にびくりと肩が揺れる。不敬だと言われてもいいという気合いでジェイクの手を払い除けようと力を込めるが、それよりも早く掴まれた手に力を込められて失敗した。

 ジェイクの赤紫の瞳から視線を逸らしつつ、ここから離れる方法を考える。腕を掴む手の力は強く、抜け出すことが出来ない。どうしようかと考えていると、不意に名前を呼ばれて視線を彼の方へと向ける。俺の不安に揺れる目が、三日月型に細まった赤みがかった紫色に捉えられたのがわかった。

「知ってましたか?」
「……なにを」

 背筋に冷たいものが走る。額に浮かんだ玉のような汗が顔の輪郭に沿うように流れ、地面に落ちた。

 緊張か恐怖か、動きを止めた俺の両手を強く掴んだジェイクは、とても楽しそうな笑みを浮かべていた。そしてその形の良い可愛らしい唇を開いて言葉を紡ぐ。

「あの忌み子の誕生日がひと月後だって、ユベイル様は知っていましたか?」
「……は、」
「まあ……殆どの人が知りませんし、ユベイル様が知らないのも当然ですね。貴族も国民も、そして僕を含めた王族さえも、誰も祝うことはありません。ぼくたち王族は誕生日に生誕祭や誕生パーティーをして祝いますが、忌み子に対してそんなものを開かないですしね」
「……なんでそれを、俺に……?」

 何を企んでいるのか、と言外に聞く。
 するとジェイクはあれだけ強く掴んでいた手を離し、すっと踵を返した。

「だって『婚約者』なんでしょう?」

 ジェイクはそれだけ言うと、再び元来た道を帰っていく。その場に一人残された俺はといえば、言われた意味を混乱する頭で必死に理解しようとしていた。そしてやっと強調された意味に気がついたと同時に、俺はよろよろとその場にしゃがみ込んだ。

 今思い返せば、こんなことも知らないのによく婚約者を名乗れたものだなという副音声が同時に聞こえていたことに気付く。……あいつの言う通りだ。婚約者だけど、俺はルークのことを何も知らない。誕生日であることさえも知らなかったんだ。

 俺はもうどうしたら良いのかわからなくて、その場で頭を抱え込んだのだった。

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