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第二王子は王子の安らかな眠りを祈る 前

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【第二王子ウィリアム視点】


 俺の名前はウィリアム。
 ルークの兄であり、第二王子という立場だった。今は出身国の隣国で、第一王女の夫として日々妻を支えている。

 自国から愛する弟の訃報が届いたのは、弟が亡くなってから一週間も後のことだった。

「は……なん、え……?っ、は……ッ」

 手が小刻みに震え、持っていた紙が執務室の赤い絨毯にひらりと落ちていく。俺の異変にすぐに気がついた妻のコレットが慌てて駆け寄って来て、ショックのあまり過呼吸になる俺を抱き締めながら背中を摩ってくれた。耳に届く必死な声音に従ってなんとか呼吸を整えられた時にはもう一人で立っていることも難しく、俺はふらりとその場に座り込んだ。
 まだ荒くはあるが大方元通りに戻った呼吸にほっと息を吐いたコレットは、床に落ちていた紙を手に取ってその内容に素早く視線を走らせると同時に、ぐしゃりと握り潰した。低く呟かれた声はあまりはっきりとは聞こえなかったが、どうやら彼女は怒っているらしい。

「ウィリアム、行きましょう」
「……え?」

 目の前のコレットが言っていることが分からずにぼんやりとしていると、彼女は俺の頬を両手で挟み、真剣な顔で言った。

弟君おとうとぎみの所に向かいましょう」
 
 そう言った彼女の瞳がきらりと煌めいた。
 
 彼女は――隣国の第一王女であったコレットは俺に弟がいることを知っている。。偶々黒という色を持って産まれてしまったが為に『忌み子』だと蔑まれ疎まれ、そして何よりかの国の重鎮達がこぞって存在を隠したがった第三王子のことを、彼女は知っているのである。
 それは俺が密かに彼女に話した内容でもあったし、彼女もまた『黒』という色に振り回された人だったからこそ俺たちは今こうして夫婦としていられるのだ。

「色々と許可をもぎ取るには少し時間がかかりますが――」

 コレットの声が遠くで聞こえる。
 ルークが亡くなったのだと見聞きした瞬間から、俺の頭の中ではまるで走馬灯のようにこれまでのルークとの記憶が流れていく。決して楽しいだけではなかった記憶達が、様々な感情と共に押し寄せてくる感覚に吐き気や眩暈を覚え、俺は静かに目を閉じた。

 

 俺とルークの母、エレノアは現国王の側室だった。それなりの爵位を持つ貴族に生まれたにも関わらず、生まれつき体が弱く、不治だと言われる先天性の病を持っていたために彼女は十五歳になるまで婚約者がいなかった。不良品だ何だと難癖をつけられ、断られ続けた所為で母は自信をなくし、自分の殻に篭ってばかりいたと言う。

 そんな母が学園に入る少し前、王宮で開かれるパーティーに強制的に参加させられた事をきっかけに現国王であり俺の父であるサロモンと出会い、恋に落ちた。この頃はまだ父の兄、つまりこの時代の王太子はまだ存命だったこともあり婚約はしていなかったので、二人は何のしがらみもなく恋人となった。しかし父が王族だったことや母が病気を患っていたこともあり、すぐに婚約することができないまま一年が過ぎてしまった。
 
 そして二人にとっての最大の不幸が訪れる。

 先代国王が崩御ほうぎょ、そして王太子が薨御こうぎょしたのである。それは本当に偶然が重なって起きた不幸だと言わざるを得ない。
 しかしこれがきっかけで国は慌てて次の国王を立てねばならなくなった。先代国王には二人の息子と二人の娘がいたが、この国では王族の男子のみが王太子及び国王になることが出来るとされていたので、有無を言わさず現国王のサロモンが次代の国王に立てられた。次いで急いで婚約者をたてなければならないとなった時、サロモンは恋人だったエレノアをと主張したが意見は無視され、宰相の愛娘であり年齢も近いリディアナが内定したのである。

「すまない、エレノア」
「いいえ、仕方ありませんわ……それよりもサロモン様は大丈夫なのですか?」
「ああ。だが……エレノア、私は君を諦めない。正妃は無理だとしても側室として君を迎え入れられるようになんとするから、どうか君も諦めないでいてくれ」
「はい……信じております」

 そんな会話を交わしてすぐ、婚約は結婚へと変わった。すぐに初夜を迎えるように強要され、そのたった一度でリディアナは妊娠した。――そう、してしまったのである。
 もう逃げられないのだと悟ったサロモンは、最後に一目会いたいと向かった先で、やはりエレノアを誰よりも愛していたことを自覚したのだそうだ。

 それからは母であるエレノアをどうにか側室に迎え入れると同時期に腹違いの兄であるバティストが生まれた。その一年後には俺が生まれたのだが、リディアナは俺達親子をまるで親の仇のように憎み、嫌がらせをするようになった。それは日に日に増していき、暴言や暴力は日常茶飯事になっていった。幼い俺を守りながら深く傷ついていく母に父は心を痛め、リディアナを軽蔑した。

 リディアナとバティストは軟禁状態となり、母は安心してルークを産むことが出来たのだが、先天性の病かはたまた心労か暴力が原因かわからぬままルークを産むと同時に命を落とした。二十一歳だった。
 哀しみに暮れる俺と父の元に現れたのは、顔を真っ赤にした宰相とそのお付きだった。彼らは父や俺だけでなく生まれたばかりのルークに対しても暴言を吐き、そして愛娘であるリディアナを解放するように言った。あの時のことはよく覚えている。あの男の顔はまるで悪魔のようだった。

 父から離された俺達はリディアナの元で生活する事を余儀なくされたのだが、本当にそこからは地獄だった。

 ルークは珍しい黒髪黒目を持つ子で、この国では『忌み子』と言われるらしい。それでも俺にとってはたった一人の弟であり、守るべき存在だったから忌み子だなんだは正直どうでも良かった。ただただ可愛い弟、それだけだ。
 しかし宰相を始めとした大人達はそうではない。事あるごとに俺からルークを奪おうとするし、害を与えようとしてくるのである。俺は必死で弟を守り、死に物狂いで逃げ続け――そうしてルイスと出逢った。

「ん?こんな所でどうした?チビ」

 木陰に隠れていた俺達への第一声はそれだった。
 
「逃げてるんだよ、見てわかるだろ!」
「逃げてる……あれ?そのチビの髪と目……お前もしかして、第二王子と第三王子か?」
「……っ!」

 俺は呑気に聞いてくる男に苛々として小声で怒鳴ると、彼は目をぱちくりと瞬かせて首を傾げながら俺達を交互に見た後、ふと思い出したというようにそう言った。第二王子と第三王子と言われた瞬間、息が詰まる。俺の身体がびくりと強張ると、俺の体にひしと抱き付いていたルークも同じように固まった。腕や身体がぷるぷると震えていることから、かなりの恐怖と緊張を感じているようだ。

 俺は強張る体を必死に動かしてルークを自分の背後へと押しやり、目の前の若い男を睨みつける。すると彼はまたその金色の瞳を瞬かせた後、すっと片膝をついてしゃがみ込み、ふっと笑みを浮かべた。

「いいね、その目。……よし、俺が直々に剣の稽古をつけてやるよ。本当は魔法の稽古もつけてやりたいところなんだが……残念ながら俺は魔法の方はからっきしなんだ」
「……けん?」
「おお、そうだ。剣の稽古をすれば少しは強くなれる。自分の身は自分で守れるようにするんだ」

 俺の背後から少し顔を出したルークが首を傾げている。剣も稽古もわからないのだろうが、それは当たり前だ。だってまだ三歳になったばかりなのだから。

 俺はまだ警戒を解かずに睨みつけていると、目線が同じくらいになった男は笑みを浮かべながら、手を差し出してきた。

「俺はルイス。父親が王家騎士団の団長をしているんだ。王宮内の騎士団の居住区域に住んでるから、お前らもよかったら来るか?」
「……そう言って、あの女に俺達を引き渡す気だろ」

 大人達はみんなそうだ。俺達はいらない子どもだからとすぐにあの女に引き渡して亡き者にしようとしてくる。今はこうして逃げているが、見つかれば引き渡されて気を失うまで折檻を受けるのだ。ルークは体も小さいからまだ何もされてはいないが、それも時間の問題だった。

 俺が睨みながらそう言えば、男は一瞬驚いたように目を見開いた後、ははっと大きな声で笑った。その様子に、次に驚いたのは俺達の方だ。

「引き渡すわけないだろ?少なくとも俺と俺の親父はお前らの味方だ。信じるも信じないも勝手だが、今は信じてみてくれないか?もし俺が引き渡すようなことをすればなんでもすりゃあいい。仮にも王子だ、俺の首なんていつでもどうとでも出来るんだから」

 そんな言葉を困ったように笑いながら言うものだから、俺は頭が混乱してしまったんだろう。信じてみてもいいかもしれない、なんてそんなことを思ってしまったんだから。

 それから案内されるがままに騎士団の居住区域に隠れるように入り、ルイスの家にお邪魔することになった。中にはルイスとよく似た大人がいて、俺達二人を見ると驚いたように目をぱちぱちと瞬かせていたけれど、すぐにそれは優しい笑みに変わり、俺達の前で跪いた。

「ウィリアム殿下とルーク殿下ですね。初めまして、私は王家騎士団の団長をつとめております、ベンジャミンと申します。王宮の執事長をしているエイブラムから少しばかりですが事情を聞いておりますので、ご安心ください」
「……エイブラムから?」
「ええ、旧知でしてよく話すのですよ。もし殿下達が来た際にはよろしくと言われているのでどうぞ安心なさってください」

 王宮の中で唯一何もして来ない大人であるエイブラムの名前が出たことで俺とルークの体から力が抜ける。体と一緒に気まで抜けてしまったのか、腹の虫が二人分ないた。久々の情けない音に恥ずかしくなって僅かに俯くと、ダイニングテーブルに案内され、椅子をすすめられた。それに大人しく座ると、すぐに目の前に出される湯気がたっぷりと上がるお皿たち。くすくすと親子二人に優しい微笑みを向けられながら、俺達は久しぶりに温かいご飯にありついたのだ。

 それから暫くの間、この家で匿ってもらうことになり、それと同時に剣の稽古をルイスにつけてもらうようになった。午前中は稽古、午後からは勉強というように充実した日々を送る。それは俺達がずっと望んでいた穏やかな日常だった。

 毎日ルイス達と話している中で分かったことは、側室であった母のことは存在自体がなかったことにされているということだった。側室なんてものはなく、俺とルークはあのリディアナの息子達というようになっているらしい。だから好き勝手しても、彼女の子だから躾をされているのだろう、悪いことをしたのなら仕方ないというように見られているのだとか。
 例え俺達が何を訴えようとも母の存在は無かったことにされ、俺達自体もなかったことにされようとしている。特に忌み子と呼ばれるルークを排除したいという大人達は未だ多くいるのだと言われた。

 そして悲しいことに、俺達の母の名は禁句とされていた。
 ルークは生まれると同時に母を看取っている。その母の存在を知られることはルークへの心のダメージが大きいこともわかっているのだが、純粋にリディアナを母だと思って頑張っているルークを見ていると、本当の母の名前を教えてあげたくなるのだ。俺達の本当の母は優しい方だったよと、言いたくなるのである。しかしそれすらも出来ないとは。俺はあまりの悔しさに唇を噛み締めた。

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