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使用人は亡き主人に想いを馳せる 後
しおりを挟む学園の卒業パーティーまであと三日となった日、騎士のルイスが離宮を訪れた。手には大きな紙袋を持っている。
「それは何ですか?」
「ウィリアム殿下からの預かりもんだ。制服の時と同じで、もし新しい服を買ってもらえなかったらこれを使ってくれと」
「……あの方は一体どこまでご存知だったのでしょうね」
「まあ……あいつも結構苦労していたからなあ」
ルイスが差し出した紙袋を受け取り、中身を広げる。濃紺の長丈のジャケットに白のシャツ、ジャケットよりも色味の薄いベスト、黒に近い色合いのパンツ、そして藍色のリボンタイとネクタイ、その他装飾品が入っていた。ジャケットの裏地には丁寧な刺繍が施され、一目で高級品だとわかる。とても大事に着られていた事がわかる状態に、目頭が熱くなった。
「サイズ直しはお前がやるのか?」
「そうですね……制服の手直しをする際に知人からしっかりと学んだので今回も私が担当すると思いますが……難しそうであれば知人に協力を仰ぎます」
「そうか、もし俺に出来る事があれば言ってくれ」
「はい、その時はお願いします」
ウィリアム様に比べてルーク様は小柄だが、この三年でかなり成長なされたと思う。元々細かった体はさらに細くはなっているが、背の高さはかなり伸びられた。制服の時とは違い、修正箇所もそんなには多くないだろうと思いつつ、私はルイスと別れて自室に篭った。
日々の役目をこなしつつ、空き時間に服を手直ししていく。完成したのは卒業パーティー前日の夜のことだった。
ルーク様に一度試着してもらい、僅かにあった修正箇所を手早く直しつつさらに完成度を上げていく。出来上がりをみたルーク様は言葉にならないと言った表情で、目をきらきらと輝かせていた。
この表情が見られるのならばどれだけでも頑張れるというもの。想いのこもった感謝の言葉に、私は安堵の表情を浮かべた。
卒業当日、ルーク様は朝からずっとそわそわとしている。学園を卒業したらユベイルという青年と正式に結婚し、お世継ぎを産むことになるのだから、今日という日は様々な意味で彼にとって転換点を迎えることになるのだ。
「エイダン……どうしよう、すごく緊張して来た……っ」
「気分が落ち着く紅茶でもご用意致しましょうか?」
「うん、お願い。ああ……やっと学園から離れられる」
学園という空間から離れられるという言葉にどういう意味が含まれているのかはわからないが、私にとってはルーク様の御心が平穏であればそれで良い。良くないものに満たされていなければ私は構わないのである。
心身をリラックスさせる効果があると言われるカモミールティーをルーク様にお淹れする。林檎のようなふんわりとした甘い香りが鼻腔を擽った。ルーク様はカップを持ち上げてカモミールティーの香りを楽しみ、カップの淵に口をつけてこくりと少量飲み込んだ。嚥下するとともに白い首筋が僅かに動いた後、ルーク様は顔や体の強張りを解くようにふうと細く長く息を吐き出して、表情を和らげる。
「美味しい……ありがとう、エイダン。何だか頑張れそうな気がするよ」
ルーク様がふわりと綺麗に笑うとこちらまで嬉しくなるというもの。私は自分でもわかるくらいに表情が緩んでいた。
そうしてルーク様は柔らかな表情で卒業パーティーに出掛けられ――しかし、今まで見た中で一番酷い顔色でお帰りになられた。
これは一体どういうことなのか。
護衛として付き添っていたルイスに事の詳細を聞くと同時に、腹の底から湧き上がる憎悪で地を這うような低い声が私の口から発せられた。
護衛として会場内の少し離れた場所で待機していたルイスからの話を纏めると、ルーク様の婚約者であるユベイルという青年が卒業パーティーの最中にルーク様への婚約破棄を宣言したそうだ。学園の全ての生徒が集まる中での宣言は一体どれほどの負荷をルーク様にかけた事だろうか。
腕の中でカタカタと震えるルーク様の顔色は青白いを通り越して最早紙のように真っ白だ。血の気は失せ、瞳の焦点が合わない。私はそっと寄り添い抱きしめる腕に力を込めた。
卒業パーティーには王と王妃も出席していた。そして今回は二人だけではなく宰相達も数人出席していたのだが、本当にあいつらは第三王子であるルーク様を何と思っているのだろうか。すぐにでもその面を原型がなくなるまで殴ってやりたいほどに腑が煮え繰り返っている。
婚約破棄宣言とは何事かと腹を立てていると、ルイスが追い打ちをかけるようなことを苦々しく口にした。
「ルーク様を追放だと」
「…………は?」
……ルーク様を追放?王子を?国から?
言葉は聞こえているはずなのに憎悪のせいか頭の中で言葉を処理して理解する事ができない。今こいつは何と言った、と首を傾げるとルイスは眉間に皺を寄せながらそれはもう大きな溜息をこぼした。
少しの沈黙が私達の間に落ちる。ルーク様のか細い断続的な呼吸音だけが耳に届くこの状況で、私もルイスも指一本動かすことも、瞬き一つする事すらもできない。ルイスの眉間には深く刻まれた皺があり、時間が経つごとにその深さを増していく。
頭の中で何度もルイスの言葉を反芻し、漸くその意味を理解した時、私の中で何かが切れる音がした。
ルーク様を部屋にお送りし、ヘンリーに様子を見るように頼んだ後、私とルイスは国王陛下を離宮に迎え入れた。陛下は護衛もつけずにのこのことやって来たのだが、その表情は憔悴しきっている。私は冷めた視線を陛下に向けながら黙っていた。
「……すまなかった」
随分と長い沈黙のあとに発せられたのは陛下の小さな小さな謝罪だった。私もルイスも何も答えない。ただ冷めた視線を向けるだけだ。
陛下はそんな私達をちらりと見て、びくりと肩を揺らして視線を落とす。私達の怒りが伝わった事は何よりだが、謝罪だけで終わらせられるとお思いなのだろうか、この愚かな王は。
きっと私の視線は今、人を射殺せる程の鋭さを孕んでいる事だろう。現に今、陛下は私と視線を合わそうとはしない。
「……この期に及んで何を言うかと思うかもしれないが、彼の……ユベイル殿の為に言わせて欲しい」
本当にこの期に及んで何を言うかと思ったが、私もルイスも黙ってじっと陛下を見据える。彼は震える息をそっと吐き出して、意を決したように膝の上で拳を握りしめて私達をまっすぐに見た。
「ユベイル殿はルークの事を本当に愛しておったようだし、今でも……愛しておるのだ」
「なら何故、婚約破棄なんて馬鹿なことを公の場で宣言したのですか」
自然と責める口調になってしまうのは仕方ないだろう。それで不敬だと言われても、不敬罪だと言われて処されなければ別にどうと言う事はない。
「あれは……ジェイクの所為なのだ」
「……第四王子の?」
「ジェイクがルークを盾にユベイル殿に婚約を迫ったのだ。リディアナも……いや、恐らく王妃であるリディアナが嗾けたのだろう。気付いた時にはもうルークを守る術は婚約を破棄する以外にはなかったのだと、彼は悔やんでおった」
悔しさを滲ませた押し殺すような声音だが、不思議なことに全く涙や同情は湧いてこない。はあ、それがどうしたとでも言いたげな私の態度に気がついた陛下は僅かに苦笑を浮かべて、遠くを見つめていた。
陛下の話を聞けば聞くほどに王妃や第四王子、そしてユベイルという青年に怒りが湧いてくる。特に第四王子だ。
最高学年に上がってから暗い顔をするようになったルーク様の様子から、第四王子が何かしらをしてきていたのだろう事に薄々勘付いてはいた。王宮にいた頃からウィリアム様も第四王子に関してはよく苦言を呈していたが、まさかここまでとは思わなかった。
「第四王子には既に婚約者がいたと聞いておりますが?」
ユベイルとルーク様との婚約の背景には、唯一婚約者がいない王族だったという理由があったはずだ。しかし今の陛下の話の何処にもジェイク殿下の婚約者の話が出てきていない。
すると陛下は苦虫を噛み潰したような表情をした。
「勝手に婚約破棄を進めておったのだ。宰相やリディアナが主に、な。そのついでと言わんばかりにルークの王都追放まで仕組まれていた」
苦々しく発せられた言葉に、このお飾りの愚王がと吐き捨てたい気持ちに駆られる。お前は何のための王なのだと問い詰めたかったが、不敬罪になっては敵わないとぐっと堪え、息を吐き出した。
国王陛下の許可以外は全て正規のルートで破棄されていた婚約に異議申し立てをしたらしいが、お飾りの王が幾ら意見したところで痛くも痒くもないとでもいうように、申立自体をなかったことにされたらしい。本当につくづく役に立たないと内心舌打ちをしていると、目の前に座る陛下は項垂れながら深いため息をついた。
「ルークは……王都から追放となる。宰相や大臣達、それからリディアナ、そしてウィリアムとルーク以外の王子二人は皆、ルークをこの地から追い出すことに頷いているこの状況で、私にはどうすることも出来ない……本当にすまない」
「謝罪はルーク様に直接なさってください」
「……そう、だな」
自嘲気味に笑う陛下を見て、隣に腰掛けていたルイスはのそりと立ち上がり、ルーク様を呼んでくると部屋を出ていった。ルーク様のお手を煩わせるのはあまり気が進まないが、これはルーク様の為でもあるのだと自分に言い聞かせて、彼らがこの部屋に来るのを待つ。
不意に何かを思い出したような顔をした陛下が私を真っ直ぐに見据え、居住まいを正した。どうかしましたかと淡々とした声色で聞くと、陛下は真剣な顔つきで私を見つめながら口を開いた。
「エイダン、私の願いを一つ叶えてくれないか?」
命令や指示ではなく、願い。
仮にも国王陛下であらせられるのだから命令や指示で強制的に聞かせればいいものを、この王はあくまでも願いだと言う。何でしょうかと少しぶっきらぼうに聞くと、彼は僅かに頭を下げた。
「ルークと共に王都を出て、ルークを支えてやって欲しい。……頼む」
「……言われなくとも初めからそうするつもりでしたよ。私はルーク様にとっての一番の味方です。今までもこれからもずっと。他の二人もきっと同じ事を言いますよ。良ければ聞いてみてください」
「そうか……ならば良かった」
陛下が安堵の吐息を溢すと同時に部屋の扉が叩かれ、ルイスを始めヘンリーとルーク様が部屋へと入る。ルーク様の顔色は先程よりもましとはいえ、やはりまだ悪い。ヘンリーに身体を支えられながらよろよろと歩いてソファーに腰掛けたルーク様は、国王陛下の顔を見た瞬間に大きく身体を震わせ、かたかたと身体を震わせ始めた。
私とルーク様の間に座ったルイスは、眉尻を下げながら自身の大きな手でルーク様の背中を優しく撫でている。暫くそうしていると段々と呼吸が整って落ち着いてきた。それにほっと息を吐くと同時に、向かいの席に座る陛下も同じように息を吐き出していた。
「ルーク、この度は本当にすまなかった。……王都から出ることは既に決定したことなので変えることは出来ないが、せめてここに居る三人は連れて行けるように手配をしようと思っている。私たちは親らしいことも何もしてやれなかった。親であるより他のことを優先してしまった私たちに全ての罪はある。本当に、申し訳ない」
先程お願い事をされた私以外の二人は当然だとでも言うようにこくりと頷いてルーク様に寄り添っている。
孤児だったところを私とルーク様が拾って教育を施し、立派な専属シェフへと成長したヘンリー。
ウィリアム様とルーク様が幼い頃から剣の稽古を付け、可愛がり、大きくなってからは二人の剣の師となったルイス、そして私。
私達がルーク様を離れるわけがないだろうという表情で陛下を見ると、酷く安心したような表情で再び頭を下げていた。
国王陛下が離宮を出られると、ルーク様は息を吐いて不安そうな表情で我々三人をゆっくりと見回しながら、ごめんねと一言呟かれた。何故謝るのですかと首を傾げれば、僕のせいでみんなも王都を追い出されて遠くの辺鄙な田舎へ送られてしまうからだと答えられ、私は眉尻を下げる。
「ルーク様のせいではありません。私達はルーク様にお仕えできる事を何よりも嬉しく思っているのです。だからお供させてください」
「うん……ありがとう」
眉尻を下げながら笑うルーク様に、私達もつられて頬を緩めた。
大丈夫、私達は何があっても貴方の味方ですから。
そしてこの翌日、私達は馬車に乗り込み、五日後には彼の最期の地となる場所に辿り着いたのだった。
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