ナンパした相手は女装男子でした

白井由貴

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閑話 女装男子は恋をする

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【Side:渡辺理玖】


 僕の名前は渡辺理玖。
 田舎生まれ田舎育ち、昨日二十歳になったばかりの大学二年生だ。進学を機に上京して、もうすぐ一年が経とうとしている。

 僕にはあまり他人には言えない趣味がある。それは女装だ。幸い両親が理解ある人だったから良かったものの、他人に言ったら最後、きっと軽蔑されることだろう。まああまりおおっぴろげにするようなものでもないのであえて言うことはないけど。
 別に心が女の子というわけではないし、恋愛対象が男性というわけではない。メンズ服よりもレディース服の方が似合い、僕は可愛いものが好き、ただそれだけだった。

 恥ずかしながらこの歳になるまで恋愛というものをしたことがなく、恋というものすらよくわからないまま育ってきた。母親から聞いた話によると初恋自体はあったようだが、相手はよく聞く幼稚園の優しい女性の先生だったのでそれが恋かどうかも怪しい。ただ一つ言えるのは僕の恋愛対象は間違いなく同性ではなく女の子だった、はずなのだ――この時までは。

「あの、これ落としましたよ」

 そう言って差し出されたキーホルダーは、昨日親戚の叔父から貰ったばかりのうさぎのキーホルダーだった。貰ったばかりなのにもう金具が壊れたのかと付けていた場所を見ると、壊れたのは金具ではなくてうさぎのぬいぐるみと金具を繋ぐ薄いリボンのような生地の方で。大方どこかに引っ掛けてしまったのだろう、運が悪かった。
 拾ってもらったことに対してお礼を言って受け取るが、その人はじっと千切れた部分を見つめて動かない。なんだこの人と思いながら、あの、と控えめに声を掛けると、その人は俯いていた顔を上げて困ったように笑った。

「もしよかったら、それ直しましょうか?」
「…………は?」
「こう見えて裁縫得意なのですぐに直せると思……あ、すみません、その嫌ですよね、知らない男にされるの」

 顔を赤くしてぱたぱたと手を振りながらそう言う彼が可愛くて、思わずくすりと笑ってしまった。よく顔を見ると目の前の彼の顔は今まで見た誰よりも整っている。綺麗とか格好良いとか褒め言葉は沢山あるが、可愛いという言葉が似合いそうな雰囲気の人だ。

 彼は徐に近くのベンチに腰を下ろすと、彼は早速ボディバッグから手のひらサイズの持ち運び用のコンパクトな裁縫セットを取り出した。
 その様子にえっと声を上げた僕を見上げる彼に対し、今ここで直すのかと聞けば、はいと返ってくる頷き。まさか今ここで直すと思っていなかった僕は彼の前に突っ立ったまま呆然とその様子を見ていたが、やがてそれに気づいた彼に促されて隣に腰を下ろした。

「それ、いつも持ち歩いてるの?」

 それ、と指差したのは今彼が使っている裁縫セット。
 すると彼は手元に視線を落としたまま、くすりと笑った。

「俺、歳の離れた双子の弟と妹がいるんですけど、そいつらがすごくやんちゃで。特に弟の方がよく膝とか擦りむいちゃうんです。その時に服に穴が空いたりすることが多くって、穴が空いた服でそのまま帰るのも嫌と泣くので、こうして少しですけど小さい布とこれを持ち歩くようになったんです」
「……なるほど」

 双子は何歳なのかと聞くと、今年八歳だと返ってきて驚いた。本当に歳が離れているらしい。

「今ではあまり活用する機会もないんですが、それでも持ち歩くのが癖になっちゃって。……でもこうして役に立てて良かったです」

 話しながらも手は忙しなく動いていて、裁縫セットの中に入っていた中でも一番小さな一センチ四方の紺色の布を四つに織り込んで縫い、うさぎの頭の頂点に器用につけていく。何度か針と糸をうさぎと布を行き来させていくうちに、それは色は違うけれど元のものと同じような形になった。
 
 ――魔法みたいだと思った。

 僕は女の子の格好やメイクをするのは好きだが、昔から裁縫はからきし駄目だった。布をひと針縫うごとに自分の指を刺すような不器用なので、彼のこの手際は僕にとっては魔法のように見えた。

 はい、と手渡されたうさぎのぬいぐるみを見ると、千切れていた部分は綺麗に直っていた上、小さな紺色のリボンが付いていた。

「……リボン?」
「あ、はい。白いうさぎに紺色の布をつけるだけだと目立ってしまうので、残りの布でリボンを作ってつけたんです……あっ、勝手にしてしまってすみません!」

 いつの間にか付いていたうさぎの頭上に乗った小さなリボンに首を傾げると、彼は「もし気に入らなければすぐに取ります」と裁縫セット内に入っていた小さな鋏を持ちながらあわあわしながら言った。
 僕はといえば、そんな彼を呆然と見つめていた。心臓がとくとくと音を立てている。いつもよりも速い鼓動が、僕に胸の高鳴りを告げていた。

 黙ったままぴくりとも動かない僕の様子にまずいと思ったのか、彼は手にした鋏を今つけたばかりのリボンに近づけようとしたが、それよりも早く僕がその手を取る。目を見開いて驚く彼はとても綺麗で格好良くて、可愛い。
 僕は彼の手を掴んでいない方の手を自分の胸の辺りに当てながら、ふるふると頭を横に振った。右手から伝わる彼の熱と左手から伝わる速い鼓動。僕は彼の琥珀色の瞳をじっと見つめ、まってと声を出した。

「そのまま、リボンがついたままがいい。……すっごく可愛いから」

 顔が熱い。心臓がうるさい。
 彼の手からうさぎのぬいぐるみを受け取ると、さっきまで握られていた箇所からほんのりと彼の温かさを感じてそっと目を閉じる。

「ありがとう。……僕、裁縫が苦手だからいつも自分じゃ直せなくて」
「お、俺も双子が産まれる前は全然でした。針を持てば自分の指を刺してましたし……でもこうして今助けになったのなら出来るようになった甲斐がありました」

 なんて優しい表情をする人なんだろうか。
 朗らかに笑う彼の笑顔に、僕の心臓はますます速さを増していく。このまま速度を上げ続けたら僕は死んでしまうかもしれないと思うほど、心臓がどくどくと脈打っている。

「千草ー!教授が呼んでたぞー!」
「あっ!そうだった!すみません、俺もう行きますね!」
「あ、うん……ありがと」

 最後の僕の呟きが聞こえたかどうかはわからない。彼の友人らしき男性の元に走って行った彼の背を、見えなくなるまでずっと眺めていた。

 千草――それが彼の名前なのか。
 苗字か名前か、どちらにせよもう会うこともないかもしれないが、もし……もしまた会えたらいいなと思う。

「千草……千草、か」

 彼の名前を呟くたびに、胸が温かくなる。
 こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。

 両手で包んでいたうさぎのぬいぐるみをバッグに付け直し、僕は立ち上がって彼が向かった方向とは逆の方へと歩き出す。次の講義まであと一時間程、次の講義までどうやって時間を潰そうかと考えながら僕はその場を去った。


 数ヶ月後、再会した彼とまさか恋人になれるなんて、この時の僕はまだ知らない。



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