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六話 お酒は二十歳になってから①
しおりを挟む俺と理玖が付き合い始めてから今日でひと月。
あれから身体を重ねる事もなく連絡を取り合うでもなく、付き合う前と全く同じ日々を過ごしていた。
寂しくないと言えば嘘になるが、大学の夏休みも始まったばかりなのでそれなりに忙しいのだろう。斯くいう俺も最近はバイトばかりしているような気がする。
「お疲れ様ー……あっ、そういえば千草くんって明日誕生日だったよね?」
「お疲れ様です、渚さん。覚えててくれたんすね」
「そりゃあ覚えてるって。そっかあ、いよいよ二十歳……いやぁ、若いなあ」
「渚さんも十分若いでしょ」
この人は雨宮渚さん、俺が働いているカフェのオーナーだ。十歳と六歳のお子さんがいるシングルマザーで、今年三十五歳だと言っていたが全くそうは見えないほど見た目も中身も若々しい人である。
「二十歳って事はお酒も飲めるようになるんだねぇ……そっかあ、あの高校生だった千草くんが……そりゃあ私も歳をとるわけだ」
「渚さん……発言がじじ臭いです」
「……そこはせめてばば臭いにして欲しいかな」
俺がこの店でアルバイトを始めたのは高校一年生の夏休みの頃。オープンしたてだったこのカフェに悠晴と初めて来た時、料理の美味しさに惹かれて人生で初めてのアルバイトを始めたのだ。悠晴と一緒にアルバイトを初めて早四年、確かに時が過ぎるのは早いなとしみじみと思う。
働き始めた頃はよちよち歩きだった渚さんの下の娘さんも今では小学一年生で、時折お店のテーブルで兄妹揃って宿題をしている光景は他人の子ながら感慨深いものがある。
そう言うと、君も大概じじくさいぞと渚さんに言われてしまった。
渚さんが呼ばれてお店に出ると、この休憩室は俺一人になる。手持ち無沙汰にスマホのトークアプリを開くが、無情にも新着メッセージは届いていなかった。初めて体を繋げたあの日から今日まで一切の連絡がないのは、やはりそういうことなのだろうか。
付き合わずにセックスをすることに抵抗があった俺に配慮して、あんな甘い睦言を言いながら恋人ごっこをしてくれたのかもしれない。もしかしたらこれが所謂大人の関係というものなのだろうか。そう考える度に胸がきゅっと締め付けられるように痛む。
「お疲れ様でーす……あれ?千草?」
「んあ?……ああ、悠晴か」
がちゃりと音を立てて開いた扉から現れたのは俺の小学校からの付き合いであり、親友でもある高野悠晴だった。大学に入ってから染めた髪はアッシュブラウンという色で、クールな印象の悠晴に似合う髪色だと思う。高校の時もそれなりにモテていたが、大学になってからの告白率はえげつないほどに上がっていて正直羨ましい限りである。
俺はというと、童顔ということもあって年齢よりも幼く見られがちだからかあまりモテたことがない。地毛も栗色という焦茶色のような髪色なので大学デビューをして染めようとしたところ、友人達から猛反発を受けて結局染めずに今も栗色のままだ。
明日で二十歳になるのだから、少しでも大人っぽくなりたいものである。
「明日はどうする?折角二十歳になるんだし、居酒屋でアルコールデビューでもするか?」
「え、あ……いいのか?」
「いいのかって……お前の誕生日だろ?みんな楽しみにしてんだ、遠慮すんなって」
俺と悠晴が連んでいる友人グループは、大学からの友人二人を除けば皆小学生の頃からの付き合いで、誰かの誕生日には必ずお祝いをしていた。それは大学生になった今でも変わらず、明日の俺の誕生日を当たり前のように計画してくれていたことがとても嬉しい。
悠晴の言う通り、折角二十歳になるのだからアルコールデビューも悪くないかもしれない。嫌な事はお酒を飲んで忘れるのだと、俺がよく読む漫画にも書いてあったし、もう理玖とのことはお酒を飲んで忘れてしまったほうがいいのかもしれないと思った。
「千草、大丈夫か?」
「……うん、大丈夫。明日みんなと飲めるの楽しみだな」
「……そうだな」
悠晴は何か言いたそうだったが、言ったところで俺が素直に答えるわけがないとわかっているからか、困ったように笑うだけだった。
バイトが終わり、いつも通り帰って食べてだらだらしながらいつの間にか寝て、そうして迎えた誕生日当日。
相変わらず理玖からのメッセージはない。ここまで来ると待っているのも怒るのも何かが違う気がして、俺はそっとメッセージアプリを落とした。視界に入らなければどうと言う事はない、ただ試験前までの俺の日常に戻っただけなのだから。
悠晴達と会うのは今日の夕方からなので、それまでは家でのんびりと過ごすことにした。バイト三昧で出来なかった積みゲー――購入したものの開封すら出来ずに家に積み上がった状態になっているゲームのこと――をしたり、今日は偶々用事があるらしい二つ上の兄に変わって来年高校受験の弟の勉強をみてやったりと中々に有意義な過ごし方ができたような気がする。
朝から家族にも口々におめでとうと声を掛けてもらえて幸せな気持ちのはずなのに、どうして物足りないと、寂しい思ってしまうのだろうか。たった一夜共に過ごしただけなのに、なんでこんなにもあいつのことが頭から離れないのかわからなくて、俺は頭を抱えた。
「千草誕生日おめでとう!」
「ありがとー」
約束の時間になり、家まで迎えに来てくれた悠晴と共に待ち合わせ場所まで行くと、友人達は声を揃えてそう言ってくれた。男同士、こうやって友達が集まって誕生日を祝ってくれるなんて珍しいんだからなと兄に言われたが、俺たちは長年こうしてきたこともあって珍しいのだという実感が未だない。寧ろ騒げる理由が出来て嬉しいとさえ思っている節があるような気がする。
向かった居酒屋で乾杯をし、初めてのアルコールとなるビールを口に含んだ瞬間、ビールの苦味にやられた。ビールは初めの一杯だけでも飲めるようになっておいた方がいいぞというアドバイスの元、なんとか小さなコップに入った分だけはなんとか飲むことができたが、二杯目を飲む気にはなれない。それは大半のメンバーが同じだったようで、二杯目からはみんな各々好きなお酒を頼んでいた。
俺が甘そうなカクテルを頼むと、友人達からあまり飲み過ぎるなよと嗜められてしまった。どういう意味かわからずに首を傾げると、友人の一人がカクテル系は意外に度数が高いのだと教えてくれた。悪酔いすることもあるから気をつけるようにと、一足早く二十歳になっていたその友人から忠告をもらい、俺はへえと思いながらこくりと頷く。
「ん!これうまっ!」
「おい千草、ちょっとペース早くないか?」
「そうかな?そういう悠晴は何飲んでんの?」
「あっ、おい!」
悠晴が持っていたグラスを横から取ってぐびっと煽ると、ライムの爽やかな香りが口の中に広がり、炭酸が喉を刺激した。悠晴が頼んでいたカクテルの名前はジンリッキーというらしい。ジンというお酒を炭酸で割り、ライムを加えたカクテルなのだそうだ。
三杯目を注文したあたりで、頭がぼんやりとしてくるのを感じた。ふわふわと浮いているような、目を瞑るとぐるぐると世界が回っているようなそんな不思議な感覚が俺の身体を包み込んでいる。なんだか気分が良い。
悠晴が隣で何かを言っているがどうせいつものお小言だろう。俺はその時何を思ったのか、俺に向かって話しかけている悠晴の口を自分の口で塞いだ。
「……っ?!」
個室で、しかも周りも盛り上がっている中で、端の方に座っていた俺たちのことを見ている人は多分いない。いや、今のふわふわした状態で周りを見る余裕なんてないのだから見ているかどうかなんて知ったことではないのだが。
悠晴は突然の俺の行動に驚いたのか、動きを止めて目を見開いている。対する俺は、悠晴が静かになったことに満足してゆっくりと唇を離して、満足そうに笑った。
「もう、悠晴ってばうるさい」
「……」
「悠晴?大丈……わ、っ……んっ!?」
急に黙り込んでしまった悠晴の顔を覗き込もうとした瞬間腕を引かれ、体勢を崩した俺はそのまま悠晴の胸に倒れ込んだ。抗議しようと上を向いた俺の唇に柔らかな感触が触れる。
「ふ、ぅん……っ」
俺、今、悠晴にキスをされている……?
ぬるりとした舌が薄く開いた唇をこじ開け、口内に侵入してきた。アルコールのせいか、入ってきた悠晴の舌は熱くて、ほのかにライムの香りが漂っている。
息が出来なくて苦しくて、必死に悠晴のシャツに縋り付くと漸く唇が離れていった。はふはふと酸素を求めるように荒く息を繰り返すと、上から酒気を帯びた深い溜息が降ってきて思わず顔を顰める。見れば眉間に皺を寄せた悠晴が、俺をギラついた目で見ていて背筋がぞくりとした。
「え……な、なに……?」
「……抜けるぞ」
「え?……ちょ、ゆうせ……っ」
そう呟いた悠晴は、一万円札を財布から取り出して机の上に置き、俺を抱いたまま立ち上がった。
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