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二話 ナンパした相手は女装男子でした ②
しおりを挟むどこに行きたいかを聞いたところ、この近くに行きつけのバーがあるから一緒に行かないかと誘われた。行きつけのバーという響きがなんだか格好良い。サークルや友人同士で居酒屋には何度か行ったことはあったが、バーはまだない。どんな感じなんだろうと内心わくわくしていると、案内されたのはとあるビルの地下だった。
これがバーなのかと驚いていると、彼女は一瞬の躊躇いもなく我が物顔で看板横の扉を開いた。入店を告げるからんころんというどこかノスタルジックな音が店全体に響き渡る。
店内は想像よりも薄暗く、落ち着いた雰囲気を醸し出している。逸れないようにと彼女に手を引かれながらカウンターの前に立つと、お店の奥から一人のバーテン服を着た男性が出てきた。
「あと少しで開店……おや、りっちゃんだったのか」
「こんばんは、マスター。……あれ、もしかして早く来すぎちゃった?開店まで外で待ってた方がいいかな?」
「いや、もう開ける予定だったから大丈夫だよ。……それよりりっちゃんが人を連れてくるなんて珍しいね」
「ふふっ、そうでしょ?さっきナンパしてもらったんだ」
話を聞く限り、カウンター奥でグラスを磨きながらにこやかに笑っている男性がこの店のマスターのようだ。彼女が行きつけと言っていたがそれは本当のようで、二人は仲良く話をしている。
彼女が先にカウンター席に座ったので、俺もつられて隣の椅子に腰を下ろした。初めてのバーということもあり、物珍しさにきょろきょろと店内を見回していると、マスターがくすりと微笑みながら声を掛けてくれた。
何か飲むかいと聞かれて、思わずあっと声を上げた。もうすぐ二十歳を迎えるとはいえまだ俺は十九歳だ。アルコールの類は飲めない。お酒も飲めない奴がバーに来るのは失礼だったよなと顔を青くしながら「すみません、俺、まだ十九なんです」と小さく謝罪すると、マスターは微笑みながらメニューを差し出してくれた。そこにはお酒の類は一切書かれておらず、ジュースなどのノンアルコールの飲み物だけが書かれていた。
隣で嬉々としてお酒を選んでいた彼女は、驚いた様子で俺の腕を掴んだ。
「は?え?うそ、未成年なの?二十歳じゃないの??」
「え?あ、うん。来月の誕生日が来たら二十歳になるんだけど……あれ?俺、君に年齢のこと言ったっけ?」
「あ、いや……僕が高校生だったらナンパできないって言ったからてっきり二十歳超えてるものだと……」
ああそういうことか。
俺が彼女をナンパした時のことを思い出して、納得した。
「すみません、未成年なのにお邪魔してしまって……」
「いやいや気にしないで。元はと言えばりっちゃんの勘違いのせいだし、最近はお酒が飲めない人もたくさんいらっしゃるからお酒以外のメニューも増やしたところだったんだ。丁度良かったよ。よかったら感想聞かせてね」
「あっ、ありがとうございます!」
彼は俺の手元にあるメニューに視線を向けながら朗らかに笑った。確かにバーとは主にお酒を嗜む場所だが、稀にお酒が飲めないけれど付き合いでこの店を訪れるお客さんやマスターと話したいが為に訪れるお客さんもいるそうで、そんな時のためにノンアルコールのメニューを充実させているのだと言う。
俺は沢山ある中からジンジャーエールを注文した。
「ジンジャーエールね。りっちゃんは何にする?」
「んー、ジントニックで。あと鯛のカルパッチョとシーザーサラダ、あとパエリアもお願いね」
「……バーって食べ物も置いてるんだね」
勝手なイメージかもしれないが、こういったバーはお酒とおつまみくらいしか置いていないイメージがあったので、そういった料理があるとは思わなかった。ただどれもおしゃれな感じの料理なので、それはそれでイメージ通りといえばそうなのかもしれない。
「基本はお酒に合うものが殆どなんだけど、ここは昼間はランチとかやっててね、丁度今の時間だったらご飯物も頼めるんだ」
たまに悠晴たちと居酒屋ランチに行くのだが、バーにもそういうものがあるらしい。居酒屋ランチはボリュームもあって味も良く、その上値段もリーズナブルなので学生にはとてもありがたい。機会があればここのランチも食べてみたいな。
コトンと目の前に注文した飲み物が置かれたので、彼女と軽くグラスの縁を合わせて乾杯をした。まずは一口、口内で炭酸のシュワシュワとした泡が弾ける感覚が楽しく、ごくりと音を立てながら二口、三口と飲んでいくと、カランと溶けた氷が音を立てた。
そういえば、と彼女の方を向いて口を開く。
「行きつけって言ってたけど、君はよく来るの?」
「ん?うん、実はね、僕ここのアルバイトなんだけどね、このお店が好き過ぎてバイトのない日も毎日来てるよ」
「常連さんより常連してるよね」
「ふふっ、確かに!」
そう言ってウインクをした彼女――りっちゃんは正直言ってとてもあざとくて可愛い。女の子との付き合いも少なく、女性経験に至ってはゼロの女の子への耐性が全くと言って良いほどない俺の胸は、どくんと高鳴った。
食事が来るのを待つ間、二人で他愛ない話をした。
お互いの大学での話や最近見た映画の話など、どれも他愛のない話ばかりだったが、友人たちと一緒にいる時とはまた違った楽しさが俺の胸を満たしていった。
話していてわかったことだが、どうやら彼女と俺は同じ大学だった。学部学科までは聞けなかったが、同じ学部だったらいいなと思いながら彼女の話に耳を傾ける。
彼女は最近ハマっている漫画について語っていた。少年向けの週刊雑誌に掲載されているとあるヒーロー漫画が好きで、今度コラボカフェに行くのだと楽しそうにスマホの画面を見せてくれる。俺自身、漫画はよく読む方なので彼女の言う漫画も知ってはいるが、コラボカフェというものがあるとは知らなかった。
コラボカフェとは、漫画やアニメのキャラクターをイメージしたメニューや作品内に出てくる印象的な料理を出す期間限定カフェで、メニューを一つ注文するごとにコースターなどの特典が付いてくるのだそうだ。楽しそうだねと言うと、彼女は今までで一番の笑顔を向けてくれた。とても眩しくて、心臓が煩いほど大きく音を立てる。
「そりゃあ勿論!推しに貢げることこそこの世の至高!僕はそのためにバイトしているようなものだしね。んー!おいしい!」
目の前に置かれた鯛のカルパッチョを一口食べた彼女は、それはもう幸せそうな顔をしていた。俺も自分の取り皿に分けてもらった鯛のカルパッチョを一口食べる。薄く切られた鯛の刺身は程よく弾力があり、マスター自作のカルパッチョソースと鯛の甘みが絶妙なバランスを保っていてかなり美味しい。思わず笑みが溢れる。さらに二口、三口と口に入れていくと口の中が益々幸せになった。
同じようにシーザーサラダも一口食べると、シーザードレッシングから微かに香るレモンとライムの香りがチーズと相まってとても美味しい。語彙力が乏しいことをここで公開することになろうとは思わなかったが、今まで食べたどのシーザーサラダよりも好きかもしれないと思うほど、本当に美味しかった。
「ふふっ、本当に美味しそうに食べるね。見てる僕も幸せな気分になるよ」
「え、あっ!ご、ごめん!美味しくてつい……」
「謝らないで。ほら、もうすぐパエリアも来るよ」
がっつき過ぎたかもしれないと急に恥ずかしくなって箸を止めると、彼女は俺の取り皿にサラダとカルパッチョを追加した。え、あのと戸惑う俺に、彼女はちゃんとあるから心配しないでと目元を緩ませる。
やっと届いたパエリアも、口に入れた瞬間思わず顔が緩んでしまうほどに美味しかった。夢中で取り皿に入っている分を食べ終えると、カウンター越しにマスターと目があって微笑まれてしまった。恥ずかしい。
俯く俺の目の前でことんと音が鳴った。視線を向けたそこにあったのは、口の広いカクテルグラスのような器に乗ったバニラアイス。ぱっと顔を上げると、そこにはとても嬉しそうな顔で微笑むマスターがいた。サービスだというそれは隣に座る彼女の前にも置かれ、俺たちは顔を見合わせた後どちからともなく笑い合った。
料理と飲み物を堪能した俺たちは、店を訪れる人が増えてきたこともあり早々にお店を出た。時刻は十一時、電車もまだ動いている時間帯だ。女の子の帰宅がこれ以上遅くなるのは危ないからとこのタイミングでの解散を提案したが、彼女は俺の手に自分のそれを重ねながら、まだ一緒にいたいと口にした。
その意味をわからない俺ではない。けれど彼女とは会って数時間しか経っていない。このまま一緒にいても手を出す気はさらさらないのだと告げると、何となくそうだろうなとは思ってたと寂しげに微笑まれた。
俺は彼女のことを殆ど知らない。
会ってすぐの俺に対し、彼女はそれでも一緒にいたいのだと言う。未だ腹を決めかねている俺の手を引いて歩き出す彼女に引っ張られるように、俺は足を踏み出した。
「じゃあ僕の家に来て。送ってくれるだけでもいいから……だめ?」
上目遣いでお願いされ、俺の心臓は壊れそうなくらいどっどっと脈打っている。ここから歩いてすぐだと言う彼女の家の前までならと頷けば、途端にぱあっと輝くような笑顔が溢れた。
ああ心臓が煩い。この音が彼女に聞こえていないか不安になるくらい、俺の心臓はずっと大きく音を立てていた。
十分ほど歩いただろうか。駅周辺の喧騒は既になく、アパートや一軒家が建ち並ぶ住宅街、その中の一つのアパートの前に立った彼女は、俺の手を引いて階段を登っていく。
そしてある部屋の扉の前に来た時、彼女は渡したいものがあると言って俺を部屋の中へと半ば強制的に誘った。玄関で待つのも暑いからと案内された部屋のソファーに腰を下ろすと、少し待っててと言う声と共にパタンとドアが閉まった。
女の子の部屋を見るのは不躾かとも思ったが、つい部屋の中を見回すように視線が動いてしまう。しかしどこか違和感を感じ、俺は首を傾げながらもう一度部屋を見回してみた。
前に付き合っていた彼女の部屋とは全く違う。違う人なので当たり前なんだけど、なんというか女の子の部屋にしては簡素な部屋だと思った。女の子というよりもどちらかというと同性の部屋のような、そんな雰囲気だ。
「おまたせ。……はい、これ」
「えっ、これ……!」
「試験の前、学食で落としたでしょ。ずっと渡したかったんだよね」
そう言って差し出された彼女の手にあったのは、なくしたはずの俺の宝物だった。ビーズで作られた歪な形のキーホルダーはこの世に一つしかない、俺の亡き母が昔作ってくれたものだ。探しても探しても見つからなかったので泣く泣く諦めていたが、まさか彼女が持っていたとは夢にも思わなかった。
「それ、大事なものなんでしょ?」
「うん……俺の、宝物なんだ」
「そっか、渡せて良かった」
「うん、ありがとう。でもどうして俺のだって?」
「あーっと……そのことなんだけど……」
急に歯切れが悪くなった彼女は、セミロングの黒髪を右手の人差し指でくるくると弄りながら俯いてしまった。
「うーん……」
「うん?……もし言いにくいなら」
「や、そうじゃないんだけど……」
彼女は服の裾を掴んだ手を居心地悪そうに、落ち着かない様子で握ったり開いたりしている。よく見れば彼女の頬は薄っすらと色づき、手も僅かに震えていた。
その様子にはっとした。
勢いのままに誘ったものの、やっぱり自分の部屋にあって間もない男がいると言う状況に怖くなってしまったのかもしれない。怖がらせたいわけではないので、早々に退散した方が彼女のためになるだろうと、それじゃあ俺はこれでと口にしながらソファーから立ち上がった。
「えっ、ちょ……あっ、帰らないで!……ほしい、んだけど」
立ち上がったばかりの肩をすごい力で押さえられ、え、と思う間もなくソファーに逆戻りした。どういうことかわからずに目を白黒させる俺にも構わず、彼女は俺の目の前に仁王立ちする。そして彼女は俺の目の前で勢いよく薄いカーディガンを脱いだ。
訳がわからず、益々混乱する俺にさらなる追い討ちをかけるように彼女は顔を赤くしながらどんどん衣服を脱いでいく。俺は混乱のあまり、その様子を呆然と見ていることしかできなかった。
「……ねぇ、見て」
「えっ……?」
「今まで隠しててごめん。……僕、本当は男なんだ」
――おとこ?……男?
混乱を極めた俺の脳は早々に処理を諦めたようだ。
あ、とも言わぬうちに、俺の意識はテレビの電源を切るかの如く、ぷつんと黒く塗りつぶされた。
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