ナンパした相手は女装男子でした

白井由貴

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一話 ナンパした相手は女装男子でした①

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 俺の名前は橘花千草たちばなちぐさ
 
「はい、お前の負けー」

 大学二年生の夏、友人達との賭けに負けました。





 ことの始まりはひと月前、もうすぐ前期末の試験があるということで俺を含めた友人グループ五人で大学内で勉強をしていた時のことだった。

 試験というのはいつの時代もあまり楽しいものではなく、一度切れてしまった集中力が戻らないことも少なくない。斯くいう俺も、試験勉強を始めてから既に二時間が経過していることもあり、集中力は虫の息だ。

「ちょっと飲み物買ってくる……」
「そうだな……丁度良い時間だし、みんなでご飯でも行くか」

 長時間座っていた椅子からふらふらと立ち上がる。すると皆もそろそろ休憩したいと思っていた頃だったらしく、一人の友人の掛け声で昼食を食べに行く事になった。
 丁度腹の虫が鳴る寸前だった俺は内心諸手を挙げて喜び、先程とは打って変わって嬉々としながら片付けていく。他の友人たちも机の上に広げた勉強道具を纏めて鞄に詰め込み、片付けが終わると同時に学食へと向かった。
 
 昼時という事もあって学食内は人で溢れかえっており、席を確保したり列に並んだりと手分けをしながら昼食の確保に努める。俺は友人グループの中でも一番仲のいい親友の高野悠晴たかのゆうせいと一緒に学食の食券販売の列に並ぶことになった。悠晴と何を食べようかなんて話しながら、進んだ前列に続いて一歩踏み出した時だった。

「わっ……っ、あ!」

 ドンッという衝撃でふらりと体が後ろに傾ぐ。話に夢中でちゃんと前を見てなかったと後悔してももう遅い。倒れる、と思うと同時に無意識に伸ばした手は虚しくも空を切る。あ、と思う間もなく、続いて襲いくるだろう衝撃に思わず目を瞑ると、ぐいっと強い力が俺の腕を掴んだ。

「……っと、……ごめん、大丈夫?」

 掛けられた声に目を開くと、そこにいたのは悠晴ではなくて知らない人だった。

 艶のあるさらさらな黒髪に男にしては大きめの目、そしてとても印象的な黒縁の眼鏡。一見すると俺よりも少し小柄で華奢な彼は、何でもないことのように全く表情も変えず、いとも簡単に俺を引き上げてくれた。何処からそんな力が出ているのだろう。

「あ、ありがとう……じゃなくて、ぶつかってすみません」
「う、ううん、こちらこそごめんね。えっと……じゃあ僕はこれで」

 そう言うや否や、慌てたように速足に去っていく俺たちと同じ歳くらいの青年。訳もわからずに遠ざかっていくその後ろ姿を呆然と見送る俺に、悠晴がもしかしてと呟いた。

「あれ……もしかして同じ学部の渡辺理玖わたなべりくじゃないか?」
「……渡辺、理玖?」
「ああ。うちの学部じゃ、ちょっとした有名人らしい」

 さっきの人はどうやら同じ学部の渡辺理玖というらしい。ちょっとした有名人というが、なぜ有名なのかまでは悠晴も詳しく知っているわけではないようだ。まあ今知らなくともどうせ同じ学部なのだ。すぐにまた会う機会もあるだろうと気持ちを切り替え、いつの間にか大分進んでいた列に俺たちも慌てて戻る。
 順番は次だ。急いで昼食のメニューを決め、席取りをしてくれている友人たちの分も併せて食券を購入し、俺と悠晴はほっと息を吐いた。

 食券に記載された番号が学食内の液晶パネルに表示される。それを見て各々自分の分を受け取り、俺たちは揃って席についた。
 この時点でかなりの空腹だった。全員一言も喋らないままがつがつと食べ進めていく。そうして食べ終わる頃にはみんな腹が満たされたためか勉強へのやる気を完全になくしていた。

 ちらほらと席が空き出した学食の中、さっき購入してきたデザートを食べながらちょっと休憩と俺たちは話に花を咲かせる。試験のことは考えたくないとでもいうように、話は自然と試験が終わったら何をするかになった。

 最初はどこどこに旅行に行きたいとか、どこでもいいから遊びに行きたいとか、そういう話だった。旅行いいな、遊びもいいなと口々に感想を言い合っていたはずなのに、いつのまにかまだ始まってもいない試験の結果についての話になっていた。
 それだけならまだいい。話は段々と雲行き怪しくなっていき、とうとう『罰ゲーム』という単語が出てきた。その話題が出る頃、俺はデザートに買ったシュークリームとエクレアのクリームと戦っていたから話半分で聞いていたので、誰が言い出したのかはわからない。隣にいた悠晴に何の話だと聞けば、苦笑が返ってきた。

「今度の試験の成績が一番下の奴が罰ゲームなんだと」
「……罰ゲームの内容は?」
「とある場所でナンパする事、だそうだ」

 一見するとまあよくある罰ゲームのような気がするが、俺は悠晴の言った『とある場所』という言葉に目を見開いた。持っていたエクレアがぽとりとトレーの上に落ちる。何でその場所、と溢すと、悠晴は困ったように笑った。
 確かにナンパをするには最適な場所だとは思う。彼らの言う『とある場所』とは、ここら辺では有名な、所謂そういうことを望んでいる人達が多い場所だった。

 トレーに乗っかったエクレアを持ちあげながら溜息を溢す。もし自分が罰ゲームになったらどうしようかと考えながらエクレアを一口齧った。
 俺は二十歳目前ではあるけれど未だ童貞だし、女の子と付き合ったことも一度しかない。その一人にも、手を出してくれなかったとの理由で振られた。つまり、大事にしすぎたのである。

 彼女をつくるのは当分はいいかと思っていたところにこれだ。そんなこんなであまり乗り気ではない俺を除き、友人達は大いに盛り上がっていた。

「頑張ろうな、千草!」

 友人の一人が笑いながら俺の背中を叩く。掛けられた言葉に苦笑を浮かべつつ小さく頷いたが、なんで罰ゲームなんかという思いでいっぱいだった。




 
 俺は特別頭が良いという訳ではない。この大学に入るのも、高校三年生の時に死に物狂いで勉強してやっとだった。正直あの時は一生分の勉強をしたのではと思うくらい頑張った。大学一年時の試験も頑張りはしたが、成績は中の下ほど。負け戦に挑むようなものだった。

 その日から今まで以上に、それこそ死に物狂いで勉学に励んだが、それは他の友人達も同じだったようだ。試験を受けた科目の中にはそれなりに良い点数もあったのだが、悲しい事に今回競っているルールには含まれない科目だった。ルールは年次共通科目のみの総合点で競うというもの、それに則って計算した結果、最下位は俺だった。

「じゃあ、何かあったらちゃんと連絡するんだぞ?」
「……何かってなんだよ」
「逆にナンパされてお持ち帰りされちゃうとか?お前、顔は可愛いからなぁ」

 顔はってなんだよ、顔はって。
 心配しているのかそうでないのかわからない言葉を投げかけてくる友人に溜息を吐きながら適当に頷くと、彼らは俺に頑張れという言葉を残して繁華街の灯りの中へと消えていった。
 
 残された俺は広場中央にある噴水の縁に腰掛けた。何をどうすればいいかわからず、ぼんやりと周りを見回してみる。やはりここはナンパ目的の人間が多いのか、道行く女性達に声を掛けている男達の姿が目立つ。たまに女性側から男性へ声を掛けている姿も見かけるが、それはごく少数だった。

 ナンパをするということは自分で声をかけるということなのだろうが、逆にナンパされてしまった場合はどうすれば良いのだろうか。スマホを取り出して友人達のチャットグループにルールの確認をすると『その時は逃げろ』と書き込まれた。
 
(逃げろって……いや、無理だろ)
 
 続けて、ホテルに連れ込まれそうになったら逃げろと書き込まれたが、俺は男だ。女の子じゃないんだから、と返事をした。

 座り始めて三十分、そろそろ頑張らないとと重い腰を上げた時、こちらを見ていた一人の少女と目が合った。とても綺麗で可愛らしい少女だった。彼女は早足で俺の目の前まで来るとにっこりと微笑み、自然な仕草で俺の手を取る。

「ねえ、お兄さん一人?誰かと待ち合わせ?」

 勝手に鈴が転がるような声を想像していた俺は、美少女から発せられた高くもなく低くもない中性的な声音に驚いた。失礼な話かもしれないが、この見た目からは高い声しか想像ができていなかったので、実際に放たれた声に少なからず衝撃を受けてしまったのだ。

「おーい?おにーさーん?」
「へっ?ええと……」

 受けた衝撃からなかなか抜け出せないでいると、美少女は俺の顔の前で右手を振りながら声を掛けてくる。戸惑いながらも漸く反応を返した俺に、彼女は不思議そうな顔をしながら首を傾げた。

「一人?誰かと待ち合わせしてる?それとも、そういう人?」
「あ、うん、一人だよ。そういう人……っていうのはわからないけども……君は?」
「僕も一人だよ。ふーん……そっかそっか。待ち合わせって言葉に反応しなかったってことは、ふふっ、もしかしてお兄さんナンパする為に立ってる?」

 一人称が僕という女の子をドラマや漫画では見たことがあったが、実際に見るのは初めてだ。驚きと興味でまじまじと見ていると彼女の綺麗な黒曜石のような瞳と視線がかち合った。
 俺を射抜くように真っ直ぐに見つめた美少女はおもむろににやりと笑う。彼女が言った言葉に身体がびくりと跳ねた。

「おっ?当たりみたいだね。大方、友達グループの中の罰ゲームでここに立ってるってところかな?どう?当たってる?」

 今までの行動を全て見てきたのではないかという程に見事なまでの完璧な解答を打ち出した美少女に、もはや驚きを通り越して感心してしまう。

「……全部当たってる。すごいね、君」

 どうしてわかったのかと聞けば、先程の俺と同じで彼女も広場を行き交う人を観察していたのだそうだ。それで得た情報と少しの想像を組み合わせただけだよと事も無げに言うが、それはかなりすごいことだと思う。優れた観察力というか洞察力の持ち主なのではないだろうか。

 驚きに目をぱちぱちと瞬かせると、彼女は何かを思いついたように俺の手を取り直し、ふわりとした笑みを浮かべた。

「ねえねえお兄さん、もしよかったら僕をナンパしてみない?」
「え?」
「罰ゲームでナンパしなきゃいけないんでしょ?だったら今、僕にしてみない?お兄さん面白そうだし」

 突然何を言い出すかと思えば、ナンパしないかという誘いだった。それはもはや彼女側からのナンパなのでは?と思わないでもないが、実際どうなんだろう。

 確かに俺一人だとこの先何時間経ってもナンパは成功しそうにない。ともすれば、かなりありがたい申し出だ。
 しかしそれは彼女の見た目から推測できる年齢がなければ、の話である。まだあどけなさの残る顔立ちから、彼女の年齢は高校生くらいだろうか。二十歳目前の野郎が十代半ばの女子高生をナンパするのは倫理的にどうなんだ。
 
 うーんと唸っていると、彼女は首を傾げながら「何か問題でも?」とでも言いたげな表情で俺を見ている。
 
「君、高校生くらい……だよね?」
「ん?……あっはは!もしかしてそれで悩んでたの?あははっ!」
「え?え?」

 俺が至極真面目にそう言った後、彼女が呆けた表情で動きを止めた。かと思えば、次の瞬間にはお腹を抱えて笑い出していた。笑われた理由がわからず、目を白黒させながら困惑の声を上げる俺に、彼女は笑いすぎて目の端から溢れた涙を指で拭いながら口を開いた。

「僕、こう見えても二十歳なんだ」
「……うそ、だろ」

 こんな可愛い二十歳があってたまるかと不躾ながら彼女の顔をまじまじと見るが、やはりどう見ても二十歳には見えない。彼女の顔を見つめていると、なぜか既視感に襲われた。この顔、どこかで見た気がする。どこだっけと考えていると不意に両の頬に熱が触れた。見れば自称二十歳の美少女が俺の頬に両手を当てて顔を覗き込んでいて、あまりの近さに女子に対する耐性が皆無な俺の顔はみるみる内に熱を帯びていく。

「ほら早く!罰ゲーム終わらせたいんでしょ?」

 確かに早く罰ゲームは終わらせたい。元々ナンパに成功しても手を出す気なんてさらさらなかった俺は、彼女がそう言うのならとまあいいかと思ってしまった。

「……じゃあ、今から少し俺と遊びませんか?」

 人生初のナンパの誘い文句としてはあまりにも拙い言葉をを口にした瞬間、羞恥心で全身が熱くなる。朱を帯びた頬を隠すように顔を逸らしながら、ちらりと盗み見た彼女の顔はとても良い顔をしていた。

「喜んで」

 こうして俺の罰ゲーム、もとい人生初となるナンパは何とか成功したのだった。

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