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第六章

百三十九話 行き先

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「――もうすぐだよ」
 
 電車に揺られること数十分、いつの間に眠っていたのだろうか、不意に掛けられたその声に俺は目を覚ました。
 途中一度乗り換えをするまでは確かに窓の外を流れていく景色を見ていたはずなのに、気付けば窓を挟んだ向こう側には俺の知らない世界が――いや、どことなく既視感のある世界がそこには広がっていた。

 電車はガタンゴトン、ガタンゴトンと軽快なリズムで走行していく。流れていく景色をぼんやりと眺めていると、不意に車内にもうすぐ次の駅に到着する旨のアナウンスが流れ始めた。どこか聞き覚えのあるような駅名に、窓の外に向けていた視線をふと前に戻す。

「次で降りるよ」
「ん」
 
 車内アナウンスが終わり、キィィ……という金属が擦れ合うような甲高い音とともに速度を緩めていく。そうしてゆっくりと速度を落としていった電車は、やがてぴたりとその動きを止めた。
 完全に電車が止まると同時に、壱弦が座席から立ち上がる。つられるように俺も立ち上がり、プシューと音を立てながら開いた扉から壱弦に続いて電車を降りた。

「……?」

 駅名を聞いた時に抱いた既視感は電車を降りてからも続いたままである。電車を降りた先、俺たちと同じように電車を降りた人たちが向かっていく方向を見てみれば、これまたどこか見覚えのあるような気がする古びた木造の駅舎がそこには建っていた。
 ぼんやりと駅舎を眺める俺の後ろを、再び走り出した電車が通り過ぎていく。徐々に遠ざかっていく電車の走行音に、俺はゆっくりと隣に立つ壱弦を見上げた。

 実は今の今まで、俺は行き先を知らなかった。駅に着いた今もはっきりとわかっているわけではない。今回事前にわかっていたのは壱弦との待ち合わせに関して――何時にどの電車に乗るかという情報だけで行き先はおろか、俺たちが行く場所が遠いのか近いのかさえもわからないままだった。
 一緒に出掛けないかという壱弦からの誘いに対して行くと返答した際、どこに出掛けるのかという旨のメッセージを送ったのだが、返ってきたのは「秘密」という二文字だけだった。いつもなら律樹さんに行き先を伝えた方が良いだろうからと大まかにでも行き先を聞いただろうけれど、律樹さんとの関係が少しぎくしゃくしている今は「秘密?」と首を傾げながらもそれ以上何かを聞くことはなかった。

 壱弦が足を踏み出す。俺たちと同じように電車を降りた人たちが進んでいった方向に歩いて行く彼の後ろを、俺は早足に追いかけていった。……うん、やっぱりなんだか見覚えがあるような気がする。
 薄暗い駅舎の中、壱弦の後に続いて改札を出た俺は不意に足を止めた。今何かが視界の端に映ったような気がする。俯き加減だった顔をゆっくりと上げ、そっと顔を横に向けた。そこにあったのは木製の壁に貼られた一枚のポスター。なんの変哲もないその風景写真と書かれた文字たちに何故か視線が奪われた。

(あれ……?この名前……どこかで……)

 ポスターの左下に大きく書かれた日付の下、載っている写真の場所であろう名称が控えめに書かれていた。やはりどこか既視感を覚えるその文字の羅列に、俺は眉尻を下げながらうーんと内心唸りながら眉間に皺を寄せる。

 その時どこからともなく涼やかな音が聞こえてきた。チリリンとか細いながらも透き通った綺麗な音が耳に届いた瞬間、俺はあっと声を出していた。

(!そうだ、この名前……!)

 むしろ今までどうして気がつかなかったのだろう。どこからともなく聞こえてくる綺麗で美しい響きが耳を打つ度、俺の脳裏にはいつかの夢に出てきたあの金色の鈴が浮かんでいた。

「弓月……?」

 昼前だというのに少し薄暗い古びた駅舎から外を見ていた壱弦が俺を呼んだ。小さな駅舎の中、壱弦の歩く音が小さく響いている。そうして横にやってきた彼の方へと視線を移しながら、俺はポスターのある方向を指差しながら小さく首を傾げた。

「ん?……ああ」

 俺が指差す方へと視線を向けた壱弦がふっと笑みを浮かべた。その反応に俺はやっぱりと思う。

 壱弦から視線を外し、俺は再びポスターへと目を向けた。
 思い出した今ならわかる。確かにそこに書かれている文字はあの鈴に書かれていたものと全く同じものだ。どおりでここに来るまでの風景にも、この駅に到着してから光景にも既視感があるはずである。だって俺はここに来たことがあるのだから。

「じゃあ、そろそろ行こうか」
「……ん」

 ふっと眉尻を下げながら微笑む彼の言葉に、俺はポスターから視線を外しながらこくりと頷いた。

 壱弦に続いて薄暗い駅舎から一歩外へと踏み出すと、そこには見覚えのあるようなないようなそんな風景が広がっていた。どうして道中に既視感があったのかも、今から行く場所もわかっているにも関わらずこんな曖昧な感覚なのは、やはり俺に記憶が足りないからなんだろう。大分思い出したと思っていたのだが、本当はまだまだ戻っていない記憶も多いのかもしれない。

 駅舎を出てすぐにまた歩みを止めてしまった俺に気付いた壱弦が不思議そうな声で俺を呼んだ。その声に我に返った俺は慌ててごめんと小さく掠れた声で謝るが、彼の耳には届いていなかったのか首を傾げている。

(あ……そっか……普通は、そうだよね……)

 少しは声を出せるようになったとはいえ、やはり俺の声はほとんど聞こえていないらしい。わかっていたとはいえ、どうしてかその事実に気分が沈むのを感じながら、俺はなんとか顔に笑みを浮かべて「ごめん、なんでもない」と手を振った。
 

 
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