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第六章
百三十七話 途中送信の言葉 後編
しおりを挟むひと足先に律樹さんの部屋に向かった俺は、綺麗に整えられたベッドの上にぼふんと仰向けに倒れ込んだ。律樹さんはまだ居間にいるためここにはいない。あの様子だと恐らくは当分は来ないだろう。いつもなら二人で並んで眠っているベッドの上も、一人の今は随分と広く感じられた。
遠くから微かに人の話し声が聞こえてくるが、これはテレビの音だろうか。そういえば部屋のドアを閉めていなかったなと思い出したが、まあいいかとベッドの足元側に折り畳まれていたふかふかの羽毛布団を手繰り寄せてそこに顔を埋めた。
暫くそうしていたが、やがて息苦しくなって顔を横に向けた。そしてスマホを手に取り、そして開く。壱弦からの返事はまだない。確か家だと誘惑が多いから時間ギリギリまで塾の自習室で勉強をしているとか言っていたっけ。もしかすると今日もそうなのかもしれない。さっきまでとは違い大分落ち着きを取り戻した俺は、口元を僅かに緩めながら心の中で頑張れと呟いた。
メッセージアプリを閉じようとした時、不意に律樹さんとのやりとりが目に入ってきた。一番最後に表示されているのはさっき居間で途中送信してしまったメッセージだ。もしこれが書き終えていたら、律樹さんは違うことを言っていただろうか。
(……多分、一緒だっただろうなぁ)
途中で送っていても、書き切った後で送っていたとしても結果は同じ。気晴らしに行っておいで、俺のことは気にせずに楽しんでおいで――そう言っていたに違いない。
胸はまだ痛む。別に壱弦と一緒に出かけるのは嫌というわけではない。でもそれ以上に寂しいという感情に胸が締め付けられるように痛んだ。ぎゅっとした痛みはやがてズキズキとした痛みに変わっていく。治るどころか酷さを増していくそれに、ようやく何かがおかしいことに気がついた。
「っ、……は」
何かの発作のような痛み。これは寂しさだとか感情からくるものではない、そう思った時には息がしづらくなっていた。
呼吸が荒くなり、脂汗が滲む。胸だけでなく頭まで痛くなってきた辺りで、俺は助けを求めるようにスマホに目をやった。震える指を必死に動かし、文字を入力していく。しかし何文字かを打ったところで痛みがさらに増し、俺の世界は呆気なく暗闇に飲み込まれていった。
次に目を開いた時には世界は明るく、そして痛みはすっかりなくなっていた。寝起きだからか、重い瞼を何度か瞬かせながらゆっくりと辺りを見回してみる。するとそこはいつも律樹さんと二人で眠っている部屋で、さらに言えば俺はベッドの中にいた。
痛みに気を失う前、確かに俺はこの部屋のこのベッドの上にいたが、布団の中には入っていなかったはずだ。なのに今はふかふかのあたたかな布団の中にいる。もしかしてと横を向くが、俺の考えに反してそこには誰もいなかった。
俺は重く怠い体を起き上がらせ、そしていつも律樹さんが眠っている箇所に手のひらを当てた。しかし手のひらから伝わってくるのはシーツの冷たくさらりとした感触のみ。俺は慌てて布団から抜け出し、ベッドから降りた。
「……っ!」
ベッドから降りた瞬間、かくんと膝が折れた。心臓がばくばくと鼓動している。目を瞬かせながら大きく鼓動するそこに手を当て、そしてゆっくりと深呼吸をした。
(びっ……くりしたぁ……)
どうやら起きたばかりで足に力が入っていなかったらしい。そういえばここにきたばかりの頃はこういうことがよくあったが、最近はほとんどなかったのですっかり油断していた。
ベッドに手を掛けてゆっくりと立ち上がる。その時一瞬くらっと視界が揺れた気がしたのだが、貧血だろうか。昨日もよく食べたのにおかしいなぁ……なんて思いながらふうと息を吐く。仮に貧血だったとしてもすぐに治ったし、気にすることもないだろう。そう思った俺は足を踏み出し、当初の目的だった寝室の入り口へと向かった。
いつもなら起きてすぐに洗面台に行って歯磨きや洗顔を行うのだが、なんだか今日はそんな気分にはなれなかった。隣に律樹さんがいないことがこんなにも不安になるなんていつ以来だろうか。俺は俺の足音と呼吸音以外何の音も聞こえない居間へと続く廊下を足早に進んでいく。寝室と居間はそこまで距離が離れているわけではないのに、今はその僅かな距離でさえ遠く感じた。
……そういえば今は何時なんだろう。
寝室からスマホを持ってくるのを忘れたので時間がわからない。廊下にも時計があるにはあるが、つい先日電池が切れたことに気付いてからまだ電池の交換ができておらず、時間を確認することはできなかった。
時間が確認できないままに進んでいった廊下の先、目的地である居間へと続く扉を開けた瞬間、俺はぺたりとその場に座り込んだ。居間に律樹さんの姿はない。ちらりと室内にある時計に視線を移せば、そこには今日の日付や曜日、そして現在時刻が記されていた。
(そう、か……今日って平日か……)
冬真っ只中の今、夏に比べれば格段に夜明けは遅い。日の出の時刻は大体朝の六時半前後といったところだろう。……ということは出勤時間が大体六時半から七時頃である律樹さんは、外が明るくなってすぐくらいには既に家を出ていることになる。
「はは……」
乾いた笑いが溢れる。それはどうしようもないことで不安になってしまっている自分に対する自嘲じみたものだった。
律樹さんは仕事を頑張ってくれているだけだというのにどうしてこんなにも胸が痛くなるのだろうか。痛くて、寂しくて……頭がくらくらとする。なんで――そう思った時、ふと俺の頭に疑問が浮かんだ。
――あれ?そういえば、最後に律樹さんとプレイをしたのって……いつだっけ?
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