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第五章

閑話 瀬名律樹とアルバム 中編

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 まるで一緒に見ようとでも誘うような弓月の仕草に、俺の胸がきゅうとなる。思わず唇をきゅっと引き結びながら弓月の形の良い頭を撫でると、彼はきょとんとしながら俺を見上げていた。驚いたような表情は、しかしすぐに安心したようなそれに変わる。そして俺の手に控えめながらも頭を擦り寄せてくる弓月に、俺の心臓はもう爆発してしまいそうだった。

 俺を見上げる弓月の口が小さく動く。その口から発せられる掠れた小さな声。残念ながら俺の耳がそれを音として拾うことはなかったが、何を言っているのかくらいは口の動きでなんとなくわかった。

「……じゃあ、俺も一緒に見ようかな」

 名残惜しくはあったが、弓月の頭から手を離しながら俺は答えるようにそう呟いた。そして彼の細くて薄い肩へと腕を回して抱き寄せる。一時期よりも肉つきが良くなったとはいえやっぱりまだまだ薄いその身体に、思わず眉間に皺が寄った。
 
 弓月と密着した部分から伝わる彼の温もりと鼓動。俺に弓月のそれらが伝わってくるということは、つまり俺のこのうるさく鳴り響く心臓の音も彼に伝わっているということだ。
 想いが通じ合ってからもう大分経つというのに、こうして肩を抱き寄せてくっつくだけで未だ緊張してしまうことにもしかしたら気付かれてしまったかもしれない。事実、弓月を前にした俺に大人の威厳や余裕なんてものはないのだが、それでも少しは格好つけていたかったなんて思う。

 ……ああ、今すぐに抱きしめてキスをしたい。
 それから弓月に求められるがままにプレイをして、とろとろに蕩けた彼をさらにぐずぐずになるくらいまでもっともっと甘やかしたい。

 肩を抱く力を僅かに強め、さらにぐっと弓月を引き寄せる。俯いた彼の旋毛辺りに顔を寄せると、甘いような良い香りがした。腹の奥が騒ついている。もっと弓月を感じたいという欲が膨れ上がった時、いつもよりも固い聞き慣れた声が俺を呼んだ。

「律樹」

 腕の中の細い身体が小さく跳ねる。その反応で我に返った俺は、ほんの僅かに弓月から顔を離した。しかし心臓は相変わらずどくんどくんとうるさいままである。

「それは帰ってからにしなさい」
「……なにを?」
「……わかってるくせに」

 姉さんが溜息混じりにそう言った。
 NormalとDomの違いはあるとはいえ、彼女は俺の姉さんだ。生まれた時から俺のことを知っている姉さんには、きっと何となくわかっていたんだろうなと思う。

 俺は静かに息を吐き出しながら弓月の肩を抱いていた手を外して頭に乗せ、黒色の艶のある滑らかな髪の上を滑らせるように手を動かす。そしてぽんぽんと軽くバウンドさせるように撫でた後、身体を僅かに横へと寄せた。
 つい一瞬前までくっついていた箇所が離れ、温もりが触れ合っていた箇所に空気が触れる。その冷たさにきゅっと心臓が締め付けられるように痛んだ。

 弓月がほっと小さく息を吐き出した音が聞こえてくる。視線を僅かに落とすと、こちらを見上げる黒曜石の瞳と目があった。通常よりも微かに水分を多く含んだように見えるその目が不安げに揺れている。俺の都合のいい勘違いかもしれないが、俺を見るその表情はどこか寂しそうに感じられた。

「……また帰ったら、ね」

 ……そんなことを考えていたからだろうか。
 弓月も俺と同じように物足りなさを感じていてくれたら嬉しいという本音がついぽろりと溢れてしまった。言った瞬間に全身が熱を帯び、羞恥に左手で顔を覆う。近くから聞こえてきた姉のため息に、さらに特大の羞恥が俺を襲った。

 内心悶え苦しむ俺に弓月は気づいていないのか、顔を俯かせて固まったままだった。……いやもしかして気づいていないのではなくて流石に引かれたのかもしれないと思った時、それまで熱を帯びていた血の気が一気に引いていく。
 弓月が顔を上げようとした気配を感じ、俺は咄嗟に彼の頭の上に手を乗せた。今は顔を上げないで欲しい、そう願いながら宥めるように頭を優しく撫でる。その願いが通じたのか、弓月は顔を上げることなく俯かせたままだった。

 俺が視線を上げると呆れたような表情をした六花姉さんと目があった。血の気が引いた俺の顔にぎょっと目を開いた姉さんは一度僅かに視線を落とした後、もう一度俺の方を見て困ったように笑う。まるで大丈夫とでもいうかのような表情に俺は一瞬戸惑ったが、姉さんの目線を追っていった先の光景に心から安堵した。
 黒く艶やかな髪の隙間から覗く白く形の良い耳、それが僅かに赤く色づいていたのだ。その光景に、少なくともさっきの行動が引かれていたわけではないとわかった瞬間、無意識に強張っていた身体から力が抜けていく。
 本当、何が大人の余裕だよ……そんなものやっぱりどこにもないじゃないか。

 弓月の微かに色付いた手がアルバムに添えられる。その指先は僅かに震えており、俺は思わずアルバムの縁に手を添えていた。普通の紙よりも分厚いそれに指先をかける。力を加え、紙と紙の間に指先を滑り込ませて浮かせるとページが一枚捲り上げられていく。

「ん?」

 ぱたんとページが送られると同時に、アルバムの隙間からひらりと一枚の紙が飛び出てきた。それはひらりひらひと宙を移動し、やがて床に引かれた絨毯の上へと落ちていく。

 なんだこれと思いながらも落ちた紙を拾うと、それは一枚の写真だった。親指と人差し指で軽く挟んだそれを目線の高さまで持ち上げると、右下に何かが書かれていることに気がついた。
 走り書きで書かれたそれに妙な既視感を抱く。しかしそれが何なのかわからないまま、気付けばそこに書かれた文字を口に出していた。

「……『律樹八歳、夏』……?」

 そうして裏返した瞬間、俺は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けたのだった。

 
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