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第五章

百三十話 初めての里帰り 中編

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『……弓月くん?』

 電話口から聞こえてきた声は想像していたものとは違い、澄んだ女性の声だった。どこか聞き覚えのある声、その正体に気付いた瞬間目を見開いた。
 
『ええと……こんにちは、六花です。律樹から聞いたわ、試験合格おめでとう。それでなんだけど……もし良かったら私たちからもお祝いさせてもらえないかしら?律樹にはもう話しているんだけど、今日この後瀬名の家に来てくれると嬉しいわ。じゃあ、またあとでね』

 そう、電話の相手は壱弦ではなく律樹さんのお姉さんである瀬名六花さんだった。矢継ぎ早にかけられる言葉たちに口を挟む間などなく、一方的ともいえる話が終わると同時に電話が切れる。そのあまりの速さに呆然と律樹さんを見上げると、何があったのか予想がついたらしい律樹さんが俺を見ながら苦笑いをこぼした。

「姉さんはまだ弓月が返事出来ることを知らないから……ごめんね」
 
 そう言って律樹さんは俺の頭に手を乗せた。大きな手がぽんぽんと小さく頭の上を跳ね、そして頭の形に沿って優しく横に滑っていく。髪から出た耳に髪を掛けるように指先が動き、俺は擽ったさにびくりと身体を震わせた。

「……本当は二人でお祝いしようと思ってたんだけど、姉さんと母さんが自分たちもお祝いしたいんだから連れてこいって……弓月はどうしたい?」

 どこか疲れの滲んだ声と表情に自然と眉尻が下がる。
 どうしたいと聞かれてもと戸惑っていると、嫌なら俺から言っておくから弓月は気にしないでと言葉が続いた。俺は慌てて「そうじゃないんだ」と口を動かしながら頭をふるふると横に振って否定する。
 ……うん、勿論嫌なわけではない。寧ろずっと律樹さんが生まれ育った家を見てみたいなと思っていたからこの申し出は素直に嬉しいと思う。けれどやっぱり突然ということもあり、心の準備がなかなか出来なくて戸惑って怖気付いている自分がいるのも事実だった。

 俺はゆっくりと手に持っていたスマホに視線を移した。スマホに指先を滑らせ、いつも律樹さんとやりとりをしているアプリの画面を表示させる。そして文字を一文字二文字入力し――すべて消した。
 
 本当、折角お祝いをしたいと言ってくれているのに俺は何をしているんだろう。ただその気持ちを有難く受け取って行きたいと頷けばいいだけの話なのに、どうして俺は迷っているんだろうか。

「無理する必要はないよ。俺の実家なんてこれからいくらでも行く機会があるだろうし、今すぐに行かないといけないなんてことはない。だからそんなに悩まなくてもいいんだよ」
「……ん」

 律樹さんの低くて優しい声が耳に入ってくる。肩を抱き寄せられ、とんと彼の肩に頭を乗せると、俺の好きな香りが鼻腔をくすぐった。その香りで肺を満たすようにゆっくりと深呼吸をすると、さっきまで早くなっていた鼓動がとくとくといつもよりも少し早い程度にまで落ち着いていく。

 俺は一つ息を吐き出し、手に持っていたスマホを持ち上げた。指先を画面に滑らせ、今の気持ちを正直に入力していく。突然のことで戸惑っていることや緊張してうまく出来ないんじゃないかと不安なこと、でも祝ってくれることは本当にとても嬉しいんだっていうこと、そして律樹さんの生まれ育った家に行ってみたいとは思っていること――その全てを打ち込んでいった。その間律樹さんはそんな俺の様子をただじっと見つめるだけで特に何も言うことはなく、ただ静かに時間が過ぎていく。
 
 文字の打ち込みが終わった。顔を上げ、終わったよと言うように小さな声で「ん」と喉を鳴らす。すると眉尻を下げ、目を細めた律樹さんが顔を近づけて来た。そうして俺と自分の額をこつんと合わせながらぽつりと呟いた。

「本当……なんでこんなに可愛いんだろ……」
「……?」
「じゃあ、行こうか」
「……⁇」
「デート。……まあ実家なんだけど」

 ぎゅうっと抱き締められた後、律樹さんは困ったように笑いながら俺の手に自分の手を重ねた。俺はその手と律樹さんの顔を見比べながら、おずおずと小さく頷いた。



 それからの行動はとても速かった。
 身支度を整え、律樹さんの車に乗り込む。途中ドライブスルーで昼食を買い、車の中で食べた。それから律樹さんの実家へと車を走らせていく。途中、律樹さんが通っていた小学校や中学校を案内してもらったのだが、なんだか不思議な気分だった。
 俺がもし律樹さんとの同じ歳だったならと考えたのは一度や二度ではない。幼少期の律樹さんはどんな子だったんだろうだとか、可愛かっただろうなぁとか、中学時代の律樹さんはどんなことをしていたのかなとか、塀から僅かに見える校舎を見ながらそんなことばかり考えてしまう。なんだか俺の知らない律樹さんがそこにいるような気がして、ほんの少し胸がもやっとした。

 色々と回ったため予定していた時間よりも大分遅くなってしまったが、無事律樹さんの実家に着くことができた。車を降り、律樹さんと共に入り口の門まで歩いていく。表札に書かれた『瀬名』の文字に、ああ本当にここが律樹さんの実家なんだと思うと緊張で鼓動が速くなった。
 律樹さんが表札横のインターホンのボタンを指で押す。ピーンポーンと間伸びした音が聞こえ、その数秒後にスピーカーの向こうから今度は何かが当たったような音とともに六花さんの声が聞こえてきた。

「はいはーい、今開けるわね」

 そう言った後すぐにぷつんと切れた。電話の時も思ったが、六花さんは少々せっかちな性格なのかもしれない。

 家の中からばたばたと物音が聞こえ、俺は思わず律樹さんと繋いでいる方の手に力を込めてしまった。緊張で手足が震える。うまく出来るだろうか、粗相をしないだろうかと不安が募っていく。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

 律樹さんが繋いでいない方の手で俺の頭を撫でながらそう言った。俺の家族はみんな弓月のことが大好きだから心配しなくても大丈夫だよ、と。けれど俺はその言葉にどう反応すればいいのかわからなくて曖昧に笑うしかなかった。
 
 
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