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第五章

閑話 瀬名律樹は不安を募らせる 前編

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「あら?どうかしたの?」

 職員室にある自分の席に座ると同時に隣の和泉先生がそう聞いてきた。今日は土曜日で学校自体は休みだが、冬休み前の期末試験が近いこともあって出勤している先生も普段の休日よりも多い。斯くいう俺も同じ学年の同じ教科を担当する和泉先生とともに期末試験用の試験問題の作成をするために学校に来ていた。

「なにか心配事?」
「はは……まあ、そんなところです」

 聞かれた質問に苦笑を溢しながら曖昧に返事をする。そんな俺に何かが引っかかったのか、彼女は少し考える仕草をした後、何かに気がついたような表情でにこりと笑った。

「ふふっ、本当に大事なのねぇ」
「え……?」
「あれでしょ?例の従兄弟くん」

 ……なんでわかるんですか。
 長年の付き合いのせいだろうか。ほんわかとした雰囲気もそのままににこにこと楽しそうに微笑む和泉先生の言葉に、机の上に置いたノートに触れる手が止まる。
 口に手を当てながら「確か弓月くんと言ったかしら」とくすくすと笑みをこぼす彼女に、俺は何も応えなかった。しかし彼女にとってはまさにそれが答えだったようで、より一層笑みが深まっていく。

 心配……か。弓月のことを心配しない日なんて今まで一度たりともなかったが、特に今日という日は心配と不安ばかりが募っていっているようだった。
 今日は記憶が戻る前から仲が良かったという刈谷の家に弓月が訪問する日だ。勿論弓月と刈谷の二人きりではなく、『トウヤくん』というもう一人の男子生徒も一緒に、である。あんな宣言をされた後に二人きりにさせるのは正直嫌だったが三人ということでなんとか納得した。……いや、本当はたとえ三人であっても刈谷の家に行かせるなんてことはしたくない。けれど弓月が……過去を思い出した弓月が後悔しているみたいだったから、俺と刈谷は今日という日を設けた。だが今の俺はそのことを強く後悔している。

「そういえばうちの弟がやっと口を割ったのよ」
「……何をですか?」

 和泉先生の弟――和泉由紀はここの三年生だ。今まで俺が弓月を心配しているという話だったのにどうして急に弟の話をし出したのだろうか。突然ころりと変わった話題に俺は首を傾げながら聞き返す。先程とは打って変わって眉尻の下がった表情に、なんだかよくわからないが嫌な予感がした。

「うちの弟と弓月くん、小学校に通っていた頃からのお友達だったんですって」
「……!」
「高校に上がるまではまではよく一緒にいたそうよ。ここに来てからはたまに話すくらいであまり関わりはなかったみたい」
「……そう、ですか」

 和泉由紀が弓月と面識があったことは知っていた。以前は一言二言話すくらいの関係だっただけだと聞いていたが、まさか小学生の頃からの友人だったとは思わず、俺は驚きに目を見開く。
 そこでふと思い出したのは、弓月が俺に向けて送ってくれたあの長文のメッセージ。そこに書かれていた友人の名前の一つに『ユキちゃん』があったが、もしかすると和泉由紀と『ユキちゃん』は同一人物なのかもしれない。……いやきっとそうに違いない。

「でも刈谷くんとは少し馬が合わなかったみたいで……彼とはあまり一緒にいなかったらしいの。一緒にいたのは確か……そうそう、打木くんだったかしら」
「うつ、ぎ……」
「そう、打木桃矢くん。とても真面目ないい子よ」

 打木桃矢――弓月の言っていた『トウヤくん』であり、今日まさに弓月と刈谷が会う予定の男子生徒だ。和泉先生が言うにはみんなから慕われている真面目な生徒らしい。
 
 ……けれど、なんだろうこの胸騒ぎは。
 俺は打木桃矢という生徒をほとんど知らない。だからこんなにも胸がざわつくのだろうか。
 
「あの子の受験が終わってからにはなるけれど、今度弓月くんと一緒にうちにいらっしゃい。ここからは本人と直接話す方がいいと思うわ」
「……はい」

 再びにこにこと笑顔を浮かべた和泉先生は俺の肩を叩いた後、席を立ってどこかに行ってしまった。残された俺はといえばよくわからない胸のざわつきが気になって何も手につきそうもない。机に置いたノートパソコンの縁を指先でなぞりながら、俺は深いため息をついた。

 今頃弓月は何をしているだろうか。トウヤくん――打木桃矢と会って話をしているんだろうか。弓月が後悔していたこと全てが解消すればいいのにと思う反面、俺の知らない誰かと楽しそうに話す彼を想像しただけで胸が痛みを増していく。
 頭に思い浮かぶのは一時間ほど前に離れた弓月のことばかりで、折角休日に学校にやって来たというのに仕事が手につかない。なにしてんだろうなと自嘲が浮かぶ。俺は息を吐き出して、席を立ち上がった。

 職員室を出て、保健室へと向かう。テスト期間に入るため明後日の月曜日からは部活が休みに入る。だからテスト前最後の部活の日ということで慶士も養護教諭として学校に来ているはずだ。保健室に着くと案の定あいつはそこにいた。

「……律樹?」

 ガラガラと音を立てながら開いた扉から足を踏み入れると、机に向かっていた慶士がこちらを向いた。まさか俺がここに来るとは思っていなかったのか、普段は切れ長の目を大きく見開いてぱちくりと瞬かせている。

 俺は室内を見回し、慶士の他に誰もいないことを確認してから、彼の机の横に置いてあった丸い椅子に腰掛けた。

 
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