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第五章
百二十四話 下の階での話
しおりを挟む桃矢に自分のスマホを渡した後、俺は壱弦に連れられて彼の家のキッチンに来ていた。昔ながらの日本家屋である律樹さんの家とは全く異なる現代的なキッチンに、こんな時なのに少しわくわくとしてしまう。
律樹さんの家のキッチンは壁付だが、この家はリビングやダイニングの方を向いたカウンターキッチンだ。元々住んでいた坂薙の家もカウンターキッチンだったような気もするが、ここまでオープンではなかったように思う。天井から吊り下げられた収納もなくキッチンから全てが見渡せる作りとなっており、とても開放的で広々としている。また白を基調としたこのキッチンには最新の設備が備え付けられており、中には俺が見たことのないものまであった。
あの食器洗浄乾燥機があれば律樹さんの負担も減るのかなぁ、あのオーブンレンジは律樹さんが欲しがっていたやつだとか考えているうちにきょろきょろと見回していたらしい。少し後ろに立っていた壱弦がくすりと笑ったことで、はっと我に返った。
「弓月、なんだか目がきらきらしてる」
さっきまでの緊張や落ち込みはどこへやら。気付けばこの最新設備を備えたキッチンを見ながら律樹さんのことを考えては胸を高鳴らせてしまっていたようだ。
ぱっと振り返れば、なんだか小さい子どもでも見ているかのような穏やかな表情をした壱弦と目があった。その瞬間、俺の顔が恥ずかしさにじわじわと熱を上げていく。ほんのりと赤くなったであろう顔を隠すように、俺は壱弦から視線を逸らしてそっと俯いた。
「瀬名先生の家は純和風って感じだもんな」
俺の頭をくしゃりと撫でながら、壱弦はそう言って笑う。
昔ながらの古き良き日本家屋である律樹さんの家にはこういった最新設備はほとんどない。目にするほとんどのものが俺が見たことのないものばかりの中、さっきまでの陰鬱とした気持ちが僅かに晴れていくような気がした。だが場所や状況を考えればあまり好ましいものではないだろう。でもそんな俺を壱弦は咎めることもなく、寧ろ嬉しそうに俺を見て微笑んでいた。
「新しい機械ってわくわくするよな。ここ、母さんが父さんに強請ってつい最近リフォームしたんだけど、俺も使う時にまだちょっとわくわくしてる」
「……!」
そう言って壱弦は照れくさそうに笑った。その笑顔に「ああ、いつもの壱弦だ」と思わず頬が緩む。
そういえば少し前まで家が工事中でちょっと不便だとか言っていたっけ。リフォームをしたのはリビングとダイニングとキッチン、そして和室らしい。和室を失くしてリビングダイニングを広げたそうだ。通りで開放感のある広い空間だと思った。
一通り設備を見せてもらった後は、一応の目的であった飲み物を用意した。俺たちの為に壱弦が予め用意してくれていたペットボトルたちを冷蔵庫から取り出し、トレーの上に並べていく。そして食器棚から取り出した三個の透明のグラスをその横に重ねて置いた。
「……なあ、弓月」
「?」
飲み物の準備が終わると同時に壱弦が俺を呼んだ。俺は天井からの光を反射してキラキラと輝いている透明のグラスから視線を外し、呼び声に応えるように首だけで振り返る。しかし位置が位置なので表情ははっきりとは見えなかった。
「さっきの話……どこから、聞いてた……?」
壱弦の声はどこか不安げに揺れていた。
さっきの話……というのは、さっき壱弦と桃矢くんが二人でしていたお話しのことだろう。俺がどこからどこまでを聞いていたのかが気になっているようだ。
どこからどこまでと聞かれても、会話手段の一つであるスマホは今桃矢の手の中にあるため答えることができない。俺は眉尻を下げながら、曖昧に笑った。壱弦もそのことに気がついたようで「あっ……」と声を漏らす。
「……もしかして、最初から……とか?」
「……」
どうやら壱弦も手元にスマホがなかったらしい。今度は首振りだけで答えられる質問だった。
俺は少し考えた後、もう一度曖昧に笑う。首を傾げる動作が頭を横に振ったように見えたようで、壱弦はほっとしたように息を吐き出し、「ならいいんだ」と笑った。そんな彼に僅かに罪悪感を抱きながら、俺はそっと視線をグラスに落とした。
ごめんね、壱弦と心の中で呟く。
仮にもし俺が今スマホを持っていたとしても正直に答えるつもりはなかった。だって……きっと俺が本当のことを言えば壱弦は今みたいに俺に接してくれなくなるような気がしたから。
本当は最初から全部聞こえていた。――いや、正確には眠っている状態ではあったけれど勝手に耳が音を拾っていただけだったが、それでも聞いていたことには変わりない。
「桃矢もまだ読んでる途中だろうし、俺、ちょっと他にお菓子もないか探してくるから……弓月はここで座ってゆっくりしてて」
「……っ」
そう言って壱弦が腰掛けていた椅子から腰を上げた。そしてさっき案内してもらったキッチン奥のパントリーへと消えていく。見るからに安堵の表情で息を吐いて微笑みを浮かべていた彼の姿に、俺の胸はつきりと痛んだ。
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