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第五章

百二十一話 好きな人の好きな人 前編(桃矢視点)

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 一つ、懺悔をさせて欲しい。
 僕は親友になってくれた子を痛めつけ、苦しめた。好きな人の一番になりたかった、そんな身勝手な理由で傷つけたんだ。そんなことをしたって好きな人の好きな人になんてなれるわけがないって知っていたのに、僕は自分の第二性を使って彼を――。

 久しぶりに見た彼は最後に見た時よりもさらに細く、儚くなっていた。けれど今は苦しいことも痛いこともほとんどないのか、その顔色は白いながらも僅かに赤みが差して人間のようだった。……いや最初から人間なんだけどね。人間なんだけど、でも高校に入学してすぐのあの頃はまるで本当に人形のようだったから。

「僕は……僕の第二性は……Dom、なんだ」

 涙も落ち着いた頃、僕はそう話し始めた。
 僕の隣で同じようにベッドに凭れ掛かって座る壱弦の体がぴくりと反応したのが視界の端に見える。どんな表情をしているのかは見るのが怖くて、僕は立てた膝に顔を埋めながらまたぽつぽつと話し始めた。

「高校に入ってすぐ、弓月の様子がおかしいことに気がついた。最初は僕と同じで、ただ第二性を隠したいだけだと思ってた。でも何となく違うって思って……一度どうしたのって聞いたことはあったんだけど、その後から上手く隠すようになっちゃって……僕はそれ以上何も言えなくなったんだ」

 本当は誰にも知られたくなかったことだったんだろう、一度僕が聞いた後から弓月はこれまで以上に周囲に悟られないように慎重に動くようになってしまった。それこそきっと助けを求めたいこともあっただろうに、僕が気付いて聞いてしまったから痛みも苦しみも隠さざるを得なくなってしまったのだ。だから僕はもうそれ以上聞くことも探ることも出来なかった。

 僕があの場に居合わせたのは本当に偶然だった。
 弓月が授業を休むことが増え、体調を崩すことも増えた。あの頃はずっと何かあるんだろうなと思いながらも聞けず、どうしたらいいんだろうと悩んでいた。クラス委員にもなれたこともあって、どうにかしなきゃっていう気持ちが強くなっていたんだと思う。そんなことを考えているうちにいつもなら来ない場所まで歩いてきてしまっていた。

「声が聞こえるなって……こんな人気のないところで何してるんだろうって……もしいじめとかだったら、止めないとって……そうしたら……弓月が、いた」

 隣で喉が鳴る。人気のないところから聞こえる声って言葉からはあまりいい想像は出来ないよね。僕もそうだった。
 
 あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。散った桜の花びらが地面に落ちていてまるで桜色の絨毯のようだった。その上に座っている親友の姿。目があった瞬間、ぞわぞわとしたものが背中を這い上がり、心臓をぎゅっと握り締められたように痛んだ。指先から熱が引いていき、お腹の奥がズクズクと痛む。
 
 あの時の彼の目を、表情を、僕はきっと忘れることはないだろう。

「弓月の上に馬乗りになっている人がいた。その人は総一郎さん――弓月のお兄さんで、弓月の首を絞めていた」
「…………は」
「助けないとって思うのに、僕はすぐに動けなかった。……情けないでしょ?……でもね、怖かったんだよ。その横に……あの人がいたから」
「あの、人……?」

 そう、本当は僕だって助けたかったさ。でも出来なかった。あの人が――僕の最悪の従兄弟がそこにいたんだから。

玄野くろの絢也しゅんや……僕にとっては、最悪の従兄弟」
「しゅん、や……?」
「弓月のお兄さんは『シュン』って呼んでたよ」

 弓月とは小学生の頃からよく遊んでいたが、弓月のお兄さん――総一郎さんはあんなことをする人ではなかった。弟である弓月のことも大切に思っているようだったし、間違ってもあんなことをする人じゃなかったのに。

「……ん」

 続きを話そうと口を開いた時、後ろから小さな小さな声が聞こえ、僕の体がぴくりと跳ねた。それが弓月のものだってわかっているから振り向けない。中途半端に開いた口を閉じ、唇を噛み締める。酷い罪悪感から顔を上げることすらできず、僕は膝頭に額を強く押し付けた。

 衣擦れの音がする。それに伴って微かに甘い香りがした。テーブルの上に置かれているケーキの香りとは違う、僕の中の何かを高揚させて渇きを促すような香りだ。
 僕は息を止め、ぎゅっと目を閉じた。本当は耳も塞ぎたかったけれど、それはできなかった。

「桃矢」
「……っ」

 隣に座っていた壱弦が僕を呼ぶ。顔を見なくても声を聞いただけでその表情が想像出来てしまう。……苦しい、こんな時なのに壱弦の声が僕の名前を呼んでくれたことに喜びを感じてしまう、そんな自分に嫌気がさした。

「ん……わかった」

 僕の後ろで壱弦の声がする。多分弓月と話しているんだろうけれどどうしてか壱弦の声しか聞こえない。……ああ、そういえばさっき壱弦が言っていたっけ。弓月は声が出ないんだって。

 何かを叩くような小さな音が断続的に聞こえてきた。聞いたことのあるような音だが、何の音なのかまではわからない。気になることにはなるが、それでも今顔を上げる勇気は僕にはなかった。

「桃矢、こっち見ろよ」
「……やだ」
「見ろって」
「……むり」

 だって今弓月と顔を合わせられない。僕が今までにしてきた酷いこともさっきしてしまったことも決して許されることではない。謝って済む問題じゃないし、ものによっては僕は警察にお世話になってしまうようなことだ。

「……ぅ……ぁ」
「……っ」

 本当に小さくてか細くて、呼吸の音にさえ掻き消されてしまいそうなその声が僕の名前を呟いたのがわかった。……わかってしまったから、目の前が滲んでぐちゃぐちゃなんだろう。

 僕はゆっくりと深呼吸をする。空気を吸う喉も吐く息も震えていたけれど、それでも深く呼吸をすれば気持ちはほんの少しだけ落ち着いたような気がした。微かに震える手を握り締め、全身に力を入れる。そしてもう一度深く呼吸をしながら意を決して頭を上げると、そこに見えたのは今にも泣きそうな親友の顔だった。
 
 
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