135 / 200
第五章
百五話 緊張と安心
しおりを挟む夢の中で俺はいつも首を絞められていた。
理由は様々だ。抵抗した時だったり、相手にとって不必要な言動をした時だったり、助けを乞うた時だったり――けれど全てにおいて共通していたのは『俺が声を出すこと』だった。
初めはその繰り返しがトラウマになって、パブロフの犬のように声を出すことができなくなったんじゃないかと思った。今でも大半はそれが理由で声が出なくなったんじゃないかと思っている。
……でもなんとなく、何かが引っかかった。
「……ぁ」
首輪に触れた後、控えめに主張する喉仏に指先を添えて空気を送り込む。喉を震わせるように意識しながら息を吐き出してみると、蚊の鳴く音の方がよっぽど大きいんじゃないかというくらい小さくてか細い音が聞こえてきた。一応ほんの微かだが喉が震えていた……ような気がする。それはもはや指先から伝わる鼓動と勘違いしているんじゃないかって錯覚するくらい、小さな小さな震えと音だった。
俺が引っかかったのは、声を失くしたタイミングと声が出るようになったタイミングのズレだ。
律樹さんに助けてもらった後、俺にはそれまでの記憶がほとんどない、もしくは覚えていたとしてもかなり曖昧だった。嫌なことや苦しくて痛いことをされていたことは覚えているけれど、具体的な内容や光景は思い出せない状態だったのだ。その状態での俺は声が出なかった。
そしてここ最近、高校に入学してから卒業するまでの経ったひと月ふた月ほどの記憶が戻り、同時に喉と声に進展があった。なんとなくタイミングがずれている気がするんだ。もしかすると他にも要因がいくつかあったのかもしれない。
そんなことを考えていると、不意に遠くの方から足音が聞こえてきた。カツン、カツンと明らかに運動靴やスニーカーの靴底がコンクリートの地面を蹴る音がする。立体駐車場の中で大きく反響する足音に俺の身体はびくりと跳ねた。そしてそのまま体が硬直したように動かなくなる。
「……っ」
今日の律樹さんの靴は確か黒のスニーカーだったはずだ。だからこの足音は彼のものではない。けれどここは大きな病院の駐車場だ。俺たちのような患者さんも俺たち以外に沢山いるだろうし、入院している方への付き添いやお見舞いで来られている方も多いだろうから別におかしいことではないだろう。
そうわかっているのにやっぱりどこか怖くて、俺は両手で頭を挟み込むように耳を塞いだ。特にこれといって俺が何かをされているわけではないのに、手や足がかたかたと震えて仕方がない。ぎゅっと目を瞑り、しゃがみ込んだ膝に顔を押し当てながら小さく縮こまっていた。
……これじゃあ律樹さんに助けてもらってすぐのあの頃と何も変わらない。俺も少しは成長したと思っていたのに、またあの頃に戻ったみたいだ。あまりの情けなさに涙が出そうになるが、そこは意地でぐっと耐えた。
「――弓月?」
「……ッ!」
どのくらいそうしていただろうか。
不意に肩を叩かれて俺はビクンッと大袈裟なほどに大きく身体を跳ねさせ、そのまま体勢を崩して地面にぺたりと座り込んだ。ぽかんと上を見上げると、目の端から何かがこぼれていく。
「ご、ごめん……驚かせるつもりはなかったんだけど……」
「っ……!」
「ゆっ、弓月……?」
俺は差し出された大きな手にそっと自分の手を重ねた後、座り込んでしまった俺に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ律樹さんの胸にぽすんともたれ掛かった。
さっきまで少し怖いとか思ってしまってごめんなさいと心の中で謝りながら、ぎゅっと彼の胸元を握り込む。何度か律樹さんの胸元に額を擦り付けながらゆっくりと深呼吸をすると、大好きな匂いが俺を満たしていった。
ようやく落ち着いてきた頃、ふと我に返った。
今までもこうして抱きついたり甘えたりすることは多かったのに、今更ながらに急に恥ずかしくなってきた俺は、彼の胸元からそっと手を離した。顔が熱くて、あげられない。今までどんな顔や反応をしていたっけと考えるが、うまく思い出せなかった。
「……落ち着いた?」
俯いたままこくりと頷くと、頭にぽすんと温もりが降ってきた。俺の頭を包み込むように置かれたそれは、俺の大好きな大きくて骨張った手だ。赤くなる頬にますます下がっていく頭。
「急に声をかけてごめんね」
律樹さんは謝ることなんてないと俯いたままふるふると頭を横に振る。ただ俺が一人で聞こえてきた足音に緊張して、一人で驚いただけだ。誰も悪くない。
「じゃあ……帰ろっか」
待たせてごめんねとまた謝る律樹さんに、俺もまた首を横に振った。そんな俺の下がった視線に大きな手のひらが映る。僅かに戸惑ったのち、俺はその手にそっと自分の手を重ねた。
「ん……?」
「……?」
重ねた手にお互いに力を入れて立ちあがろうとするが、立ち上がることができない。立ち上がった律樹さんが俺の顔を覗き込みながら大丈夫かと聞いてきたので、あははと誤魔化すように笑う。
いやいや……え?と俺は首を傾げた。もう一度立とうと試みるが、お尻が僅かに浮いたかと思えば足に力が入らずに再びぺたりと座り込んでしまう。自分の身に何が起こったのかよくわからずに自分の足を呆然と見下ろすと同時に、ふわりと優しい香りが鼻腔をくすぐった。
「――よっ、と」
脇に差し込まれた大きな手に力が入り、俺の身体がふわりと浮き上がる。驚いて顔を上げた先、陽の光でキラキラと輝く栗色が揺れていた。
189
お気に入りに追加
1,161
あなたにおすすめの小説
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
市川先生の大人の補習授業
夢咲まゆ
BL
笹野夏樹は運動全般が大嫌い。ついでに、体育教師の市川慶喜のことも嫌いだった。
ある日、体育の成績がふるわないからと、市川に放課後の補習に出るよう言われてしまう。
「苦手なことから逃げるな」と挑発された夏樹は、嫌いな教師のマンツーマンレッスンを受ける羽目になるのだが……。
◎美麗表紙イラスト:ずーちゃ(@zuchaBC)
※「*」がついている回は性描写が含まれております。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
待てって言われたから…
ふみ
BL
Dom/Subユニバースの設定をお借りしてます。
//今日は久しぶりに津川とprayする日だ。久しぶりのcomandに気持ち良くなっていたのに。急に電話がかかってきた。終わるまでstayしててと言われて、30分ほど待っている間に雪人はトイレに行きたくなっていた。行かせてと言おうと思ったのだが、会社に戻るからそれまでstayと言われて…
がっつり小スカです。
投稿不定期です🙇表紙は自筆です。
華奢な上司(sub)×がっしりめな後輩(dom)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる