上 下
125 / 199
第五章

九十六話 夢と現実(律樹視点)

しおりを挟む
※このお話は本編ですが、律樹視点のお話です。



 夜の静けさにもかき消されそうなほど小さくか細い声が弓月の口から溢れ出る。初めは聞き間違いかとも思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
 驚いて動けない――というよりも弓月の口からこぼれ落ちた声に目も耳も奪われて離すことができないのだ。そんな状態の俺と慶士が息を呑んで見つめる中、酸素を求めるようにはくはくと開閉していた弓月の口が動きを緩め、やがて言葉を紡ぐような動きをした。しかしそれが何を言っているのかまではわからない。もう少し大きければわかっただろうが、今のようなほんの僅かな動きではわかりようもなかった。

 弓月の手の動きがゆっくりになっていく。苦しそうに歪んでいた顔がある瞬間にふっと緩み、さっきのことが嘘のようにふわりと穏やかな表情になった。それはまるで安堵に微笑んでいるようなそんな表情にも見えるのに、なぜか俺の背筋には冷たいものが走る。それはカーテンの隙間からこぼれる青白い月明かりに照らされた彼の顔色がいつもよりも白く、生気を失っていくように見えたからかもしれない。

「――ぃ……ぁ」

 不意に弓月の細い指先が首輪カラーをするりと撫でた。その際にも何かを呟いたようだったが、口の動きも声の大きさも小さすぎてやっぱり何を言っているのかはわからなかった。

 俺はすっと隣に視線を移した。混乱や戸惑いを含んだ瞳とぱちりと目が合う。……それはそうだろう。魘されながらいつもよりも激しくもがいて抗うように、首元を引っ掻きながら息も絶え絶えに喘いでいた弓月の体が急に弛緩し、その上酷く苦しげだった表情が一変したのだから。きっと俺も今同じような目をしているに違いない。

 俺と慶士の視線が弓月の方へと移る。示し合わせたわけではなかったが、自然と吸い寄せられるように俺たちは視線を移していた。そうして見下ろした先、弓月の顔からは微笑みが消え、ただ穏やかな表情が浮かんでいた。
 急に体が弛緩したことや青白い顔色が余計そう見せているのかもしれないが、どこか不安になる光景のように思えた。心臓に冷たいものが流れ込むような、そんな恐怖と一緒に浮かび上がる不安。一筋の汗が背筋を静かに流れていった。

「――律樹」

 慶士が驚いたような声色で俺を呼ぶ。不安に呑まれそうになっていた俺はその声にはっとして弓月の顔を見た。
 長い睫毛が微かに震え、ぴくりと白い瞼が動く。弓月、そう呼びたいのに息が詰まってうまく言葉が出ない。薄らと開いた瞼から覗く瞳が月明かりに照らされて星空のようにキラキラと輝いていた。

「……」

 淡い色合いの唇がぴくりと動いたが、さっきのようにその細い喉から声が出ることはなかった。……やっぱりさっきのは聞き間違いだったのか、それとも俺の願望が見せた幻だったのだろうか。
 
 弓月の口から溢れた細い吐息は少し震えていて、俺は堪らず彼の身体を覆うように優しく抱きしめていた。夏よりも厚い服越しに感じる体温がなんだかいつもよりも低い気がして、抱きしめる腕に少しの力を入れた。

「魘されてたけど、大丈夫?……っ」
「……」

 頬にそっと触れる。想像していたよりもずっと冷たいその肌に、なんだか無性に泣きたい気持ちになった。
 俺の体温を少しでもわけられたらと両手で頬を包み込むと、弓月が気持ちよさそうに目を細めた。じんわりと手のひらから頬へと体温が移っていくのがわかる。俺は思わず安堵の吐息を漏らした。

 視界の端で慶士が立ち上がるのが見えて、俺は顔を上げた。俺の視線に気がついたのか、慶士が俺の方を見る。そのままじっと見つめていると、慶士はふっと口元を緩めながら人差し指で首元をとんとんと軽く叩いた。
 なるほど、救急箱を取るためにリビングに行くらしい。確かにちらりと見えた弓月の首元は俺たちが想像していたよりもずっと酷かった。複数ある傷は浅いものもあれば深く血が滲んでいるものもあった。きっとそれを治療をするためだろう。
 
 慶士が部屋を出ていく。扉が閉まる音がすると同時に、弓月の手が俺の手に触れた。氷のように冷たい指先が俺の手をするりと滑り、お互いの指が絡み合う。ぎゅっと繋ぐ手に力を入れると、弓月の指が小さく震えていることに気がついた。

「……寒い?」

 そう聞くが、どこかぼんやりとした様子の弓月は何も答えない。ゆっくりと緩慢な動きで瞬きをして、それから静かに息を吐くだけだ。もしかするとまだはっきりと目が覚めていないのかもしれない。

「弓月」

 名前を呼べば、弓月の瞳がゆっくりとこちらを向いた。満点の星空の如くきらきらと光り輝く瞳に心臓が高鳴る。いつもよりも気怠げな表情が妙に色っぽく見え、俺は気まずさにほんの少し視線を逸らした。

 本当はどんな夢を見ていたのかを聞きたかったのだが、やめた。今の弓月を見ていると、余計なことまで思い出させてしまいそうで躊躇してしまったんだ。もし夢の内容が忘れてしまったはずの過去の記憶だったら、なんて考えてしまったというのもある。

「大丈夫だよ」

 小さく身体を震わせる弓月の頬に手を当て、熱を測るように彼の額に自分のそれを合わせた。体温は少しずつ上がってきたようで、さっきよりもほんのりと温かい。そのことに安堵していると、近い場所にある弓月の瞳が俺の方に向けられていることに気がついた。未だに夢うつつの状態なのか、夜空のような瞳はやはりぼんやりとしている。

「……大丈夫だよ」

 額を合わせながらもう一度そう言うと、弓月の口からは柔らかな吐息がこぼれ、安心したようにそっと瞼が降りた。
 
 
 
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

愛され末っ子

西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。 リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。 (お知らせは本編で行います。) ******** 上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます! 上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、 上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。 上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的 上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン 上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。 てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。 (特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。 琉架の従者 遼(はる)琉架の10歳上 理斗の従者 蘭(らん)理斗の10歳上 その他の従者は後々出します。 虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。 前半、BL要素少なめです。 この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。 できないな、と悟ったらこの文は消します。 ※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。 皆様にとって最高の作品になりますように。 ※作者の近況状況欄は要チェックです! 西条ネア

処理中です...