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第四章

六十九話 夢を見る

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 病院から帰宅した後は、特に何をするでもなくひたすらにごろごろとしていた。
 日常に戻ったのだから勉強でもすればいいのにと思いつつもなんとなくやる気になれなくて、居間のソファーの上でごろんと仰向けになって天井の木目に反って視線を動かしていく。そうしているうちにまた睡魔が襲ってきたので、俺はそのまま重くなる瞼を閉じた。

 意識がすとんと落ちる感覚がしたかと思えば、不思議なことに俺は再び目を開けていた。しかし辺り一面が真っ黒な空間だったことから、これは現実ではなくて夢だとすぐにわかる。
 それなら、と声を出してみようと口を開いてみるがやっぱり声は出ない。喉に軽く触れながらもう一度やってみても、喉は震えるどころかぴくりとも動かなかった。夢ならご都合主義で少しぐらい声を出させてくれてもいいのに、そう思うのももう何度目だろうか。

 少し前にも似たような夢を見たことがあったが、それももう随分と昔のことのように感じた。色々あったもんなぁと思いながらきょろきょろと頭を動かす。すると何処からともなくあの透き通った鈴の音が聞こえてきた。

(そういえばあの金色の鈴って、俺も持ってるんだっけ?)

 高校受験の前に壱弦と交換したらしいもう一つの金色の鈴を探そうと思ってはいたが、まだ探せてはいなかったなと思い出す。けれど少なくとも俺が今住まわせてもらっている律樹さんの家にある俺の私物は、そのほとんどが律樹さんと住み始めてから買ったものばかりだ。だからもしあるとすれば、俺が前に住んでいた家にあると言うことなのだが……やっぱりまだ行く勇気がない。
 それにもしあると思って行ったけれど実際はありませんでした!ということになれば、俺の精神が削られるだけということにもなりかねない。だから鈴と壱弦には申し訳ないけれどもう少し待ってもらえたらと思う。

 金色の鈴のことも壱弦のことも何もわかっていなかった時は怖かったこの夢も、今はただ真っ暗だなぁと思うだけであまり怖くはなかった。この夢自体が悪いものじゃないのかもしれないとわかったからだろうか。

(鈴の音は……こっちから聞こえてる気がするけど……これって進んでるのか?)

 光源もなく、ただただ真っ黒な空間が広がるだけのここは、方向感覚は愚か、自分が進んでいるのか止まっているのかさえもわからなくなる。頼りになるのは自分の耳だけだと思いたいところだが、何如せんここは夢の中だ。何が起こるかわからない。
 俺は視線を忙しなく動かしながら周囲を観察しつつ、軽い足音を立てながら歩いていった。

 どのくらい歩いただろうか、何処かから人の声のような音が聞こえた気がして足を止めた。おーいと呼びかけるようなその声にきょろきょろと辺りを見回す。しかし人影のようなものは見当たらない。
 再び歩き出すと後ろからまたおーいという声が聞こえてきて振り向いたが、やっぱりそこには誰もいなかった。……女性にしては少し低いような気がしたから、多分男の人の声だろうか。

(前にこの夢を見た時は確か壱弦だったんだっけ?んー……でも壱弦の声っぽくないような気が……保科さんでもないし……)

 律樹さんの声じゃないことだけはすぐにわかった。だから彼以外で俺が知っている声と今聞こえている声を頭の中で照らし合わせてみたが、どれにも当てはまるような違うような――不思議なことにどの声にも聞こえるのに、どの声とも違うように聞こえるのだ。まあ夢の中の現象に整合性を求めること自体がおかしいのかもしれないが、それでも不思議なものは不思議だった。

(うーん……でもどっかで聞いた気がするんだよなぁ……)

 壱弦の時もそうだった。記憶が曖昧で、壱弦のことをほとんど覚えていなかったというのに聞いたことがあるような気がした。今回も同じような感じということは、きっとこの声も俺が忘れているだけで知っている声なんだろうなと思う。

 でも俺の中の何かが、思い出すなと言っているような気がする。この声の人を思い出したら、俺は戻れないようなそんな気もしているのだ。

「……っ」

 突然真冬の隙間風のような冷たい空気が肌に触れ、体がぶるりと震えた。思わず摩った腕にはぶつぶつと細かな鳥肌が立っている。

(えっ?なに?えっ??)

 きょろきょろと見回してみてもやっぱり何もない。それどころか肌にねっとりと絡みつくような冷たい空気も消え去っている。

 急に足元がぐらぐらと揺れるような感覚に襲われた。しかし何処かに寄り掛かろうにもとっかかりもなければ掴まる物もなく、俺はぺたりとその場に座り込んだ。
 初めは地震かとも思ったが、ここは夢の中だ。地震というよりも何か他に意味があるのかもしれない。視界だけでなく、全身の揺れは激しくなっていく。このままだと酔ってしまいそうで、俺は思わず手で口元を覆った。

 漸く揺れが治った頃には気分は最悪だった。
 夢の中で酔うとは思わなかった。気持ち悪い、吐きそうだ。けれどなんとか気力だけで吐き気を抑え込んでいると、視界の端で何かが光った。もしかして金色の鈴か?と思いながらゆっくりと視線を移すと、そこにあったのは俺の生まれ育った家だった。


 
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