上 下
84 / 199
第三章

六十六話 騒動の理由

しおりを挟む

 沈んでいた意識が浮上する感覚に小さく眉を寄せた。重い瞼をゆっくりと開けると、ぼんやりとした視界に見覚えのあるような白が入る。緩慢な動きで何度か瞬きを繰り返せば、ぼやけていた視界がやがてはっきりしたものへと変化していった。

(……前もこんなことがあったな)

 この白い天井にも、微かに香るこの消毒液の匂いにも覚えがある。ここは学校だ、学校の保健室。霞が掛かっていた頭の中が徐々に晴れていき、漸く自分が目を覚ます前のことを思い出した。
 確か人魚姫の劇が終わって、体育館の外に出て話していたら急にどこかのDomの威圧グレアを感じたんだっけ。すごく怖くて寒かったような気がするけれど、今は全くそんなことはない。
 そういえば一緒にいた壱弦と六花さんは何処だろうと辺りを見回してみると、見慣れた琥珀色と目があった。開けた窓から入ってくる風が彼の栗色の髪をさらさらと靡かせる。確かに気を失う前に律樹さんの声を聞いた気がするけれど、もしかしてあれは夢じゃなかったのか。

「弓月、調子はどう?」

 そう聞かれ、俺は頭を緩く横に振った。目の前まで上げた手を握ったり開いたりを繰り返してみるが、体が動きづらいといったこともない。寧ろ眠ったお陰か頭はすっきりとしていた。

「ならよかった」

 律樹さんの目が細まり、口元が緩んだ。そんなふっとした優しい笑みに胸が高鳴る。
 彼の手が俺の方へと伸び、枕につけたままの俺の頭をそっと撫でた。優しい手つきにさらに鼓動が速くなる。堪らずきゅっと目を閉じれば、律樹さんがくすくすと笑った。
 
 話をしたいということで、俺は上体を起こして壁に背中を預けるような形で座った。勿論そのまま固い壁に背中を預ければ痛くなるのは分かっていたので、二人の勧めで壁と背中の間には白い枕が挟まれている。お陰で座るのも楽になった。ベッド脇の椅子に座った律樹さんと保科さんを見ると、二人は真剣な表情で俺を見ていた。
 律樹さんと保科さんが言うには、どうやらグレアを放ったDomは二人いたそうだ。あの時男女三人が言い争っている様子が見えたが、やはりそのうちの二人がDomでグレアを放っていたらしい。

「まあ、よくある痴情の縺れというやつらしい」

 保科さんが呆れたような口調でそう言った。まあ気持ちはわからないでもない。何ならあの場にいた全員、時と場合、それから場所を考えてしてくれよと思っていたことだろう。何も文化祭中にすることではない、と。

「幸い怪我人もなく、それほど被害もなかったということで厳重注意と謹慎処分だけで終わったそうだ。一般参加者ならこうはいかなかっただろうが、うちの生徒だからな……被害に遭われた方々には後日お詫びに行くって話だ」
「……学校側としてはあまり騒ぎを大きくしたくないんだろう」

 律樹さんの低い声が耳を打つ。今まで聞いたことがないくらいの低音にぴくっと肩が跳ねた。グレアこそ放ってはいないが威圧感がすごい。律樹さんの隣に座っている保科さんも俺と同じものを感じ取っているのか、顔を引き攣らせていた。
 おろおろとしながら律樹さんに伸ばした指先が軽く彼の手に触れる。指先から伝わるそれは想像以上に冷たかった。

 多分、律樹さんは怒っている。
 何人もの人が体調を崩したというのにこの処分は甘いと言いたいのだろう。それが俺に対してのものではなく、調子を崩してしまった人達に対する優しさだとしても、俺は嬉しいと思ってしまった。
 ここにはもう俺しかいないけれど、今回グレアに当てられてしまったSubの一人としては、ここまで俺たちのことを考えてくれている人がいることが何よりも嬉しかった。

 俺は律樹さんの手を指先でつぅっと撫でた。固く握られた手から徐々に力が抜けていき、やがて完全に解けたかと思えば次の瞬間には俺の手を包み込んでいた。
 冷たい手のひらが俺の手と触れ合うことで熱を取り戻していく。じわじわと同じ温かさになっていくその過程に、俺の頬は自然と緩んでいた。

「本当に……無事で良かった」

 律樹さんが包んだ俺の手に額を押し当てながら吐息混じりにそう呟いた。本当に小さな小さな声だったけれど、俺の耳にはちゃんと届いていた。
 律樹さんの隣で保科さんも相好を崩している様子が伺え、俺は何だか胸の辺りが温かくなるのを感じた。

「そういえばそろそろ時間じゃないのか?」

 室内の壁掛け時計を確認した保科さんが何かを思い出したように言った。その声を聞き、俺の手に額を押し当てていた律樹さんがゆっくりと顔を上げる。少し気まずそうに俺から目を逸らしながら深く溜息をこぼす彼の様子に、俺は首を傾げた。

「……弓月、また後で来るから。もし何かあったらすぐに連絡してね」

 先程とは打って変わり、何故か一気に疲れたような表情になった律樹さんに内心首を傾げつつ、言われた言葉に首を縦に振った。俺の手を包んでいた温もりが離れていく。椅子から立ち上がり、俺の頭をぽんぽんと優しく撫でた彼は、後ろ髪を引かれているのか何度も俺の方を見ながら名残惜しそうに保健室を出ていった。

 目が覚めてから今まで、とんでもないスピードで物事が進んでいるような気がする。律樹さんの出ていった出入り口の扉をぽかんとしながら眺めていると、さっきまで律樹さんがいた場所に立った保科さんが俺の肩にぽんと手を乗せた。目を瞬かせながら顔を上げると、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべた保科さんがいて俺はまた首を傾げる。

「もし体調が良いのなら、今から少し外に出ないか?」
「……?」
「律樹には止められていないし、まあいいだろう。刈谷と六花さんにも会えるだろうが……どうする?」
「……!」

 俺はその言葉に目を輝かせた。
 あれから壱弦と六花さんがどうしているのか気にならなかったわけではない。けれど保科さんは今から行く場所に二人がいると言う。律樹さんは外に出るなとも言っていなかったし、保科さんも一緒なら大丈夫だろうと俺は首を縦に動かした。

 
 
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

愛され末っ子

西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。 リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。 (お知らせは本編で行います。) ******** 上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます! 上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、 上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。 上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的 上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン 上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。 てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。 (特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。 琉架の従者 遼(はる)琉架の10歳上 理斗の従者 蘭(らん)理斗の10歳上 その他の従者は後々出します。 虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。 前半、BL要素少なめです。 この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。 できないな、と悟ったらこの文は消します。 ※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。 皆様にとって最高の作品になりますように。 ※作者の近況状況欄は要チェックです! 西条ネア

処理中です...