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第三章

六十四話 DomとSub 後編(律樹視点)

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※このお話は本編ですが、律樹視点でのお話です。



 和泉先生と学内の見回りをしている時のことだった。
 急に肌の表面がピリつき始め、周囲に視線を巡らせる。NormalだけではなくDomやSub、そしてSwitchといった様々な第二性を持つ人間が集まる場所では、稀にダイナミクス同士の争いや牽制が起こる。Dom同士が争っている時や自身のパートナーであるSubに何かがあった時などには、Domは大抵の場合相手のDomに対してグレアと呼ばれる威圧のようなものを放つのだが、今感じているのはまさにそれだった。

「律樹くん?どうかした?」

 俺が足を止めたことに気がついたのか、横を歩いていた和泉先生が一歩先に進んだ場所から振り返りながら不思議そうな表情をしている。
 確か和泉先生も六花姉さんと同じでNormalだったはずだ。だから俺が今感じているこの肌の僅かなピリつきに気がついていないのだろう。

 右の腕を左手で摩りながら辺りを見回してみるが、今の所それらしき争いはないように思える。ともすれば、もしかすると無意識に漏れてしまっているだけなのかもしれない。たまにパートナーを大事にしすぎるがあまり、誰彼構わず軽いグレアを放って周囲を牽制する奴がいるが、その可能性は大いにあるだろう。
 正直、それならばあまり問題はない。……いや正確には近くにいるSubにはたまったものではないだろうが、大体のSubにはほとんど問題ないと言ってもいいだろう。寧ろ俺がこんな風に感じ取れるのはダイナミクスのランクがSランクと高いからであって、もしかすると他のランクのDomではわからないかもしれない。

「……いえ」
「そう?なら次は体育館周辺の見回りに行きましょうか」
「そうですね……」

 なんでもない風を装いながら、にっこりと笑みを浮かべた和泉先生に頷きを返す。
 もう弓月は体育館を出て違うところを見て回っている頃だろうか。……寧ろそうであってくれと思った。もし近くにいた場合、この僅かにピリピリとした空気に当てられていないとも限らないからだ。弓月のランクは俺と同じSランク。他のSubが感じ取れなかったとしても弓月なら恐らく感じれてしまうだろう。それだけが心配だった。

 体育館に近づけば近づくほど肌のピリピリとした感覚は増していく。これはさっき考えていた牽制や無意識の漏れなんかではなく、れっきとした威圧グレアだ。

「……あら?」

 隣を歩いていた和泉先生が不思議そうに声を上げる。彼女の視線を辿っていった先には二人の女子生徒がいた。一人は壁際に凭れ掛かるようにして座り込み、もう一人はそんな彼女の姿を心配そうに見つめながらおろおろとしている。

「どうかしたの?」
「……あっ、和泉先生!ええと、私にもわからないんですけど、この子が急に顔を真っ青にして座り込んじゃって……」
「そうなのね……大丈夫?どこが痛いところや気持ちの悪い所はあるかしら?」
「……っ」

 座り込んでいる女子生徒の傍らに膝をつき、和泉先生は穏やかな声色で声をかけた。しかし女子生徒は顔を真っ青にしながら体を小さく震わせるだけだ。
 恐らくこの女子生徒はSubなのだろう。見た所、サブドロップを起こしかけている。俺はおろおろとしながら様子を見守っていた女子生徒に校医である慶士を呼んでくるように指示し、和泉先生同様、座り込んだ女子生徒の前に膝をついた。

「――俺の声を聞いて。息を吸って……吐いて……そう、上手だな」

 彼女の肩に触れながらゆっくりと呼吸を促していく。これは緊急事態だと彼女と自分自身に言い聞かせながら軽いコマンドを用いると、真っ青だった彼女の顔に徐々に血の気が戻ってきた。

「あ……せな、せんせ?」
「ああ……大丈夫か?」

 女子生徒の顔色はまだ悪いが、それでも大分落ち着いてきたようだ。こくりと頷く彼女によかったと答える。

「……ありがとう、先生」

 暫くしてやって来た慶士に連れられ、彼女は保健室へと向かっていった。事の成り行きを黙って見守っていた和泉先生の方を向けば、困ったような笑みが返ってくる。

「もしかして、あの子Subだった?」
「……ええ、恐らくはどこかのDomバカが発したグレアに当てられたんだと思います。多分どこかで騒動が起こっているかもしれません」
「なるほどね……手分けして探した方がいいかしら?」
「……そうですね」

 そんな話をしている時だった。
 先程までは肌を騒つかせる程度だった威圧感が、一気に膨れ上がった。そして同時に小さな悲鳴がいくつか耳に入ってくる。咄嗟に辺りを見回せば、数人が地面にぺたりと座り込んでいた。

「え……なに……?」

 その様子を見ていた和泉先生が困惑の声を上げる。何が何だかわかっていないだろう彼女は説明を求めるようにこちらを向いたが、今の俺には答える余裕なんてなかった。

 心臓がどくどくと五月蝿い。周囲を警戒しつつ、発生源を辿る。
 状況がわからずに戸惑っている和泉先生には申し訳ないが、正直今はそれに構っている余裕がない。頭の中で鳴り響く警鐘、嫌な予感が湧き起こる。当たってくれるなと願いながら周囲を見回しながら、元凶を探すために歩き出した。

「――弓月っ!」

 唐突に耳に届いたのは愛しい子の名前だった。その声が誰のものかなんて考える間もなく、俺の足は声の方へと向かっていく。
 
 地面にぺたりと座り込み、カタカタと体を震わせる弓月の姿を視界に入れた瞬間、やり場のない怒りが膨れ上がった。

「――あっちだ!」
「――そこ!何してる!」

 誰かが呼んだのだろう、俺や和泉先生以外の先生たちの声が聞こえてきた。それと同時に消えた威圧感。
 俺は震える弓月の横に膝をついて抱きしめた。優しく、壊れ物を扱うようにそっと腕の中に閉じ込め、コマンドを紡ぐ。息を吸って、吐いてと呼吸を促すコマンドやうまく呼吸が出来たことを褒めるコマンドまで、弓月のためを思いながら紡いでいった。
 
 漸く落ち着いてきた弓月の身体を腕から解放し、近くで突っ立ったままの刈谷と姉さんを見上げる。二人とも何が何だかわからないといった感じで俺たちやその周囲をただ黙って見ていた。一応の状況を説明しようとしたが、いずれは刈谷にバレるにしろ、今俺がここで弓月の第二性を明らかにするのは躊躇われて口を噤む。
 
 弓月の身体が傾ぐ。咄嗟に腕を伸ばし、何とか受け止められたことにほっと息をつく。力の抜けた身体を抱き上げ、薄らと開いた目に口元を緩めた。

「もう大丈夫だよ。……俺が保健室に連れていくから、安心して」

 そう言えば弓月の表情が僅かに緩んだ気がした。再び閉じてしまった瞼にもう一度、もう大丈夫だと声を落とす。

 慶士はもう戻っているだろうか。
 そう思いながら周囲を見回せば、弓月と同じように地面に座り込んでいた人たちが支えられながら保健室に向かう様子が見えた。恐らくはもう大丈夫だろうが、いずれもDomによるケアは必要だろう。
 俺は力の抜けた弓月を抱き上げる腕に力を込めた。


 
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