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第三章

幕間 高校最後の文化祭準備 後編(壱弦視点)

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 結局、俺はTシャツのデザインと看板などの事前準備係になった。別に押し切られた訳でも無理矢理決められた訳でもなく、ただ成り行きでそうなっただけだ。

 俺たちが担当する仕事の主な流れとしては、まずはクラスTシャツのデザイン決め、次に看板やチラシの作成となる。あとはメニューや値札などの細かいものを適宜作成していくらしい。
 特にクラスTシャツに関しては外部に発注を行うため、夏休みに入るまでにデザインを仕上げなければならなかった。何度も修正を重ね、なんとか夏休み前に仕上げることができたデザインを担任に提出し、学級委員も交えて業者に依頼をしたのだが、その時の達成感は凄かった。
 
 夏休みが明けた今は看板やチラシ、その他の細々とした物の作成をし始めたところだ。クラスTシャツとは違い、看板やチラシなどはそれぞれ分担して作ることにしたのだが、これがまた問題だった。

「ごめん、今日は部活の方の準備に行かないと」
「展示する作品が間に合わなくて……」

 そんな台詞と共に少なくなる人数。俺は元々帰宅部なのであまり気にしたこともなかったのだが、部活動によっては引退時期が異なるのだという。
 夏前や夏の大会が終わったタイミングで引退する部活に関しては、既に引退しているので正直何も問題はない。しかし問題は文化祭というイベントが終わってから引退するパターンである。これに塾や模試が重なると中々クラスの準備には顔が出せなくなり、結果としてクラス内の空気が一気に悪くなってしまっていた。

 まあ俺としてはもう少しクラスの準備もやってくれたら嬉しいくらいにしか思っていなかったのだが、そうは思わない連中もいる。積りに積もった不満をどこに吐き出すかだが、勿論文化祭実行委員にではない。
 クラス毎に二名ずつ選出される彼らは、生徒会や先生達と協力して文化祭全体を取りまとめたり運営を行っているため、基本的にクラスの準備に顔を出すことはほとんどない。というか忙し過ぎて無理だ。
 
 ではそんな不満はどこに吐き出すのか、それはクラスを取りまとめている学級委員に対してである。学級委員は二人いるとはいえ、クラスの不満を一身に請け負う形となってしまったらしい桃矢はもう限界のようだった。

「――ああもう、なんで皆僕に言うんだよ!」

 ……それを俺にぶつけられても困るんですけど。
 
 夏休み前までは一緒に帰ることなんてなかったはずなのに、何故か最近はこうして一緒に帰ることが多くなった。まあ帰宅するタイミングも家の方向も全く同じなのだからこうなるのも仕方がないんだけど、それでも幼馴染とはいえ仲が良い方ではない俺たちの間に流れる空気は少し重い。
 特に今日の桃矢はストレスが限界突破したのか、ここ最近で一番機嫌が悪かった。

 まあ正直言って、桃矢が怒る理由もわからなくもない。学級委員だからという理由で愚痴や文句の捌け口になっているのだから、そりゃあストレスも溜まるだろう。

「僕に言って何になるのさ!」
「……本当にな」

 こいつは俺に対してだけいつもこうだ。普段は何か言いたげに見てきたり、睨みつけたりしてくるくせに、いざ顔を合わせて話をするとなるといつも愚痴ばかり。俺以外に対してはにこにこと人好きのする笑顔を振りまいて柔らかな態度をとるのに、俺の前では一切そんなふうに取り繕ったりしない。
 素を見せられるくらい信頼されているんだろと言う奴もいるだろうが、されている身としてはあまり気分の良い物ではない。
 でもそれも仕方ないんだろうなとも思ってしまう。だって多分、今のこいつには俺しかいないから。

 ここにあいつがいれば何かが違っていたかもしれない。俺と桃矢のこの関係も、今とは全く別のものになっていただろう。
 でももう、あいつはいない。
 ある日突然、俺たちの前から消えてしまった。

「……ねぇ」
「……なんだよ?」

 さっきまで喚いていたのに急にトーンを落とした桃矢が俺を呼ぶ。さっきまで隣を歩いていた桃矢が足を止めたのを見て、数歩先で俺も同じように歩みを止めた。

「……っ」

 何かを言おうとして開いた口が、何も発さないままに閉じる。悔しげに下唇を噛み締めて俯いた桃矢は、ただ一言「ごめん」と呟いた。
 それが何に対しての謝罪なのか、俺にはわからない。俺に対して当たり散らしたことに対してなのか、それとも目が合う度に俺を親の仇の如く睨みつけていることに対してなのか。

「……別に」

 謝罪の理由が何であれ、俺はその一言以外返す気はない。それを桃矢もわかっているのだろう。俺の返事に何かを言うわけでもなく、ただ小さく頷くだけだった。

 次の日も、その次の日も文化祭の準備は続き、九月に入ってからも終わることはなかった。

「本当に……終わるのかな」

 帰宅途中、桃矢がぽつりと呟いた。
 一緒に帰っているわけではなく、あくまでもタイミングがあっただけだ。それなのにこいつはたまに俺に聞こえるように、こうして度々独り言を言う。

「……終わるだろ」

 終わってもらわないと困るという意味を言外に含みながら、俺はそう呟いた。

 まあ確かに桃矢がそう思うのも無理はないと思う。夏休み前に発注したクラスTシャツはまだ出来上がっておらず、看板もチラシも何も出来上がっていない。それは他のクラスと比べてもかなりゆっくりな進捗具合だった。
 しかしそれでも確実に進んではいる。少なくとも文化祭の一週間前までには余裕で終わるだろう。それに俺たちとは別の調理チームの方も申請や講習、そして試作などを頑張っているのだと言っていたからそこまで心配は必要ないように思う。

「そう……だよね」

 初めは呆然と俺を見て黙っていた桃矢だったが、突然はっとしたように軽く目を見開き、そしてぎこちない笑みを浮かべながらそうぽつりとこぼした。綺麗な形の眉を八の字に垂れ下げながら笑うその姿がいつかのあいつと重なって見えて、俺の心臓はずきりと痛んだ。



 土日の模試が終わり、また文化祭準備と勉強の日々が始まった。受験生に休みはないとは言うが、本当にその通りだと思った。
 けれど今の俺は模試が始まる前よりもやる気に満ちている。それはきっとあいつ――弓月に会えたからかもしれない。

 二年越しに会った弓月は相変わらず細く、華奢だった。瀬名先生と従兄弟だったことや記憶が曖昧なこと、そして声が出ないことなど驚きは多かったが、それでも会えたことが一番嬉しかった。
 文化祭に誘ったら来てくれるだろうかと思いながら、いつもよりも軽い足取りで教室への道のりを歩いていく。途中顔を合わせた瀬名先生や保科先生と軽く話をした後もスキップでもしそうな勢いは変わらない。
 そんな俺の姿を見つめる視線があったなんて、浮かれきった俺は全く気が付かなかった。

「壱弦」
「んー?」
「……今日は機嫌がいいね」
「んー……まあ、な」

 放課後、帰路に着こうとした俺の横に立ったのは桃矢だった。最近この光景にもやっと慣れてきたところだ。
 いつものように少し離れて歩きながら、桃矢はまるで珍しいものでも見るかのように俺を見ながらそう言った。俺はその質問に曖昧に返事をする。

「何か良いことでもあった?」

 良いこと――その言葉が聞こえると同時に無意識に頬が緩んだ。ああ駄目だ、弓月のことを思い出すだけで口角が上がる。普段あまり働かない表情筋が、今になってやっと仕事をし出したかと思えば途端に放棄したように緩みきってしまう。
 
 そんな俺の様子に何を思ったのか、桃矢が足を止めた。一緒に帰っているわけではないが、隣で立ち止まられるとやはり気になってしまう。俺は一歩二歩先に進んだ状態で同じように足を止め、後ろを振り向いた。

「桃矢?」
「……やっぱり僕じゃ駄目なんだ」
「……桃矢?」

 俯いた桃矢が何かを呟いたことだけはわかったが、ほとんど聞き取れないくらいの音量だったために何を言ったかまでは聞き取れなかった。俺は首を傾げながら桃矢を呼ぶ。今なんて言ったんだよと続けようとした口は、顔を上げた彼の顔を見た瞬間に何も発せなくなっていた。

(え……?な、なんで……泣いて……?)

 綺麗な夕焼けの中、夕陽に照らされた桃矢の瞳がゆらめくようにきらりと輝いた。まるで海の水面のようだと思った。
 桃矢がゆっくりと瞬きをすると同時に、目の端から雫がこぼれ落ちていく。その瞬間、胸がとくんと跳ねた。

 まさか泣いているとは思わなくて、俺は開いた口を閉じることができなかった。こいつの泣き顔なんていつぶりだろうなんて現実逃避にも似た思考が浮かぶ。
 だってなんで急に泣き出したのかがわからない。少なくとも今のやり取りの中で泣く要素なんてなかったはずだ。相槌を打ったり名前を呼んだりと、普段と何も変わらないやり取りだった。
 それとももしかして俺じゃなくて、クラスの奴らのせいだろうか。クラスの愚痴を聞き過ぎて情緒がおかしくなってしまったのだとしたら、今のこの状態にも納得がいく。

「と……桃矢、」
「っ、ごめん……先帰る」
「え……は…………?」

 大丈夫かと、名前を呼びながら軽く手を伸ばした瞬間、再び俯いた桃矢が俺の手を避けるように横を走り去っていった。
 俺は行き場のなくなった手を見つめる。そして桃矢が走り去っていた方を呆然と振り返った。

 夕陽が沈んでいく。徐々に光量を落としながらも周囲を飲み込むように赤く染め上げていく光景の中、俺はただ立ち尽くしていた。


 
 
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