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第三章

四十四話 不安定な身体

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 文化祭一日目、今日は一般の入りはなく先生や生徒たちだけで文化祭が行われる日である。
 生徒でも、況してや先生でもない俺はといえば、当初の予定通り病院に来ていた。病院とはいっても定期検査や抑制剤の点滴を受けに来ただけなので、どこが悪いというわけではない。
 今頃は開会式をしているんだろうなぁ、なんて病院のソファーに腰掛けながら考えていると看護師さんが俺の名前を呼んだので、のそりと重い腰を上げた。

 診察室に入ると、そこにはいつものように竹中先生がいた。キャスター付きのオフィスチェアーに腰掛けた竹中先生は俺と目が合うとすぐに目元を緩め、ほわほわと人好きのする笑みを浮かべながら椅子を薦めてくれる。それに素直に腰を下ろすと、同時に俺にノートとボールペンを手渡してにっこりと笑った。
 差し出されたノートとボールペンは最近診察で使っている筆談用のものだ。なんの変哲もないノートだが、俺にとっては会話に必要なアイテムである。

「調子はどうですか?」
『たぶんいいと思います』
「瀬名さんとのプレイも順調ですか?」
『たぶん?』

 首を傾げながらそう書くと、竹中先生がくすくすと笑みをこぼした。多分って書いたからだろうかと思いながら先生を見ると、うんうんとにこやかに頷いている。

「ふふ、この間よりも少し顔色がいいですね。しっかりとプレイも出来ているようですし、良かったです。瀬名さんとのプレイ中、わからないコマンド等はありましたか?」
『ないです』

 今度はふるふると頭を横に振りながらそう答えた。
 それからいくつかの質問を重ね、ある質問になった時に俺の反応は急に鈍くなった。

「今のプレイやパートナーへの不満や要望はありますか?」
 
 俺は律樹さん以外には兄しか知らないからこれが正しいかどうかはわからないけれど、律樹さんのプレイは基本的に甘いと思う。暴力は一切ないし痛いこともない。俺がして欲しいことも聞いてくれるし、その通りにしてくれる。
 でもあの触り合いっこをした日以降、そういうことはしていない。軽く触れるだけのキスはするけれど、その先は本当に全くしてくれないしする気配もなかった。それが少し不満といえば不満、になるのかもしれない。
 けれどそれを馬鹿正直に書くのは憚られ、俺は少し考えた後小さく首を振るに留めた。

 そうですかと落ち着いた声音が場に落ちる。竹中先生は机の上に置いているノートパソコンにカタカタと何かを入力した後、椅子を少し動かして俺の方に身体を向けた。

「今日は血液検査と点滴でしたね。では奥の部屋にどうぞ」

 その言葉にこくりと頷いて、竹中先生の後ろで立っていた看護師さんに促されるがままに、入り慣れた奥の部屋へと歩みを進めた。
 部屋に入ってすぐの場所にあるベッドに腰を下ろし、まずは採血をするらしいので、小さなテーブルの上に置かれた台の上に腕を置いた。アルコール消毒をした場所に細い針の先端がつぷりと薄い皮膚を突き破って入っていく。その後赤黒い血液が体内から出ていく様子を見ていると頭がくらくらとしたので、俺は咄嗟に自分の腕から視線を逸らした。
 
 次はSub専用抑制剤の点滴だ。
 ごろんと硬いベッドに仰向けに寝転び、目の前に広がる白い天井をぼんやりと眺める。準備を終えた看護師さんが俺の腕に触れると同時に、俺は目を閉じた。
 採血をした方とは反対の腕に差し込まれていく針の先端。刺さった先端から抑制剤が体の中に入っていく。感覚ではあまりわからないけれど、見上げた先で液体が一定の間隔で下に落ちていく様子に、なんとなく今体の中に入っているんだなぁなんて実感した。

 俺ってやっぱりSubなんだよなぁ、なんて白い天井を見ながらぼんやりと思った。まあ毎日のようにプレイをしながら週に一度は抑制剤を投与しているのだから当たり前なんだけれど、なんとなくふとそう思ったのだ。
 少し前までは、なんで俺はSubなんだろうとか、好きでSubになったわけじゃないだとか否定的に考えて色々嘆いていたのに、今は俺がSubだったお陰でDomである律樹さんと恋人兼パートナーになれて良かったと思っている。自分でも都合がいいなとは思うよ。でも本当に最近そう思うんだ。

(あぁ……律樹さんに会いたいなぁ……)

 徐々に重くなっていく瞼は重力に逆らうことができずにゆっくりと閉じていく。急に睡魔が襲ってきたのはきっと、ここが俺にとって信頼できる場所だって知っているからなのかもしれない。



 どのくらい眠っていたのだろうか。
 重い瞼を押し上げてゆっくりと瞬きを繰り返す。ここ最近でようやく見慣れてきた白い天井に、ここが病院であることを思い出した。

(点滴は……まだ外れてない)

 吊り下がっている輸液はあと三分の一程残っているので、後一時間ほどといったところだろうか。薬のせいか少しだけ身体が怠い。ぼんやりとする意識で天井を眺めていると再び眠ってしまったようで、次に目が覚めた時には丁度点滴の針を腕から抜く時だった。
 体の中から針が抜けていく感覚にぶるりと身体が震える。終わりましたよという看護師さんの言葉にほっと息を吐き出した。

 少し休んでから俺は診察室に戻り、竹中先生の前に置かれている椅子にゆっくりと腰を下ろす。
 血液検査の結果が出るのは約一週間後だそうだ。次回の来院予約自体が一週間後なので、新たに予約を取る必要や態々来る必要もないようでほっとする。俺一人でここに来るにはタクシーを使わなければならないので、費用面でも体力的にも増えないのは素直に嬉しかった。

 お会計を済ませ、タクシー乗り場で客待ちをしていたタクシーに乗り込む。そして予め律樹さんに住所を書いてもらっていた紙を運転手のおじさんに見せた。
 タクシーの中は律樹さんの車とは違って色んな匂いがした。最近は禁煙車も多くなったらしいが、このタクシーはどうやら違うらしい。鼻につく煙の匂いに、俺はほんの少しだけ窓を開けた。

 道中は極力風を浴びるようにしていたが、それでも少し匂いに酔ってしまったようで気持ちが悪い。鼻の奥や体に匂いが染み付いているような気がして、俺は帰宅してすぐにお風呂に入った。服を脱いで洗濯機に入れ、シャワーを浴びる。冷たい水を頭から被ると幾分かすっきりして息を吐いた。

(洗わなきゃ……)

 気怠い身体を叱咤しながらなんとか全身を洗い終えたのだが、シャワーの水を止めた瞬間くらりと視界が揺れた。
 
(あ……やば……)

 そう思った時にはもう遅く、一気に力の抜けた身体は床に這いつくばっていた。ゆっくりと倒れたのか痛みはない。
 目の前がちかちかと点滅し、頭の中が黒く覆い隠されていく。

(おき、あがらないと……いけない、のに……)

 身体が言うことを聞いてくれない。
 起きあがろうと腕に力を入れようとするが、指先がぴくりと僅かに動くだけで力が入ることはなかった。

 目の前が暗くなっていく。
 あ、と思うよりも先にぷつんと意識が途切れた。

 

 
 
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