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第一章

十二話 不要なもの

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 初めてのプレイ後、暫く俺はふわふわとした感覚に包まれていたが、翌日にはそれも治っていた。

 今朝起きた時に感じたのは、体が軽いということ。今まで重かった身体が今は嘘のように軽く、足の調子も良い。その事を律樹さんにメッセージを送って伝えると、また今度軽いプレイでいいならしようと言ってくれた。もう一度あの感覚を味わえるのかと思うと、下腹部の辺りがずくんと疼く。またこれだ、と俺は首を傾げながら下腹部を撫でた。

『りつきさんは今どこにいる?』

 メッセージを送ってからベッド脇に置いていた杖を手に取り、ベッドから立ち上がって居間へと行くが、そこに律樹さんはいなかった。
 ぴろんと通知音が鳴ったと同時にメッセージアプリを開くと、どうやら彼は今買い物に出掛けているようだ。もうすぐ帰るというメッセージに了解と無料のスタンプを返して、スマホをポケットに入れる。

 居間には入らずにそのまま洗面所へと向かう。洗顔と歯磨きをこなし、口元をタオルで拭っていると外から聞き慣れた車の音が聞こえてきた。洗面所の椅子に腰を下ろし律樹さんが来るのを待つ。カチャ、カチャンと鍵を開ける音が響き、続いてただいまという聞き慣れた声が玄関先から聞こえてきた。

「やっぱりここだったのか」

 足音を響かせながら洗面所までやって来た彼は、椅子に座る俺を見て困ったように笑いながら頭を撫でた。

「おはよ、弓月」

 頭に律樹さんの手のひらが乗ったまま彼の顔を見上げて、おかえりと口を動かす。相変わらず声は出ないが、唇の動きを忘れないようにこうして時々動かしているのだが、どうやら律樹さんには通じたようだ。

 律樹さんと暮らし初めてから話したいと思うことが増えた。しかし同時に、声が出ないことがもどかしいと思うことも増えてきた。律樹さんはとても良い傾向だと言うけど、全く声が出ない今の状況ではただ悔しいだけだ。

 ちょいちょいと袖を引っ張ると律樹さんは必ず俺の方を向いてくれる。そして「どうかしたのか」と聞いてくれる柔らかくて優しい声音に、なんだか幸せな気分になるのだ。胸の辺りがきゅっと締め付けられるような、けれど温かいような感覚に心臓のあたりを抑えると、いつもよりも速い鼓動が手を打った。

『今日はプレイする?』

 手洗いとうがいをする彼にそうメッセージを送るとすぐにピロンという音が聞こえてきた。口に含んでいた水を吐き出した彼は音のなったスマホをスラックスのポケットから取り出すと、途端に眉尻を下げ、視線を合わせるように床に膝をついた。

「弓月、俺達はケアをするための仮のパートナーだよ」

 こく、と一つ頷く。

「あくまでもケアの目的でするプレイだから、普通のプレイのように沢山すればいいってわけじゃない。昨日のようなプレイだったら毎日じゃなくても大丈夫だから」

 幼い子どもに言い聞かせるように律樹さんは言う。
 ケア目的の仮のパートナーだってことも、昨日のプレイもケアのためだってこともわかっているけれど、こうして律樹さんからはっきりと告げられると胸がつきんと痛んだ。

 昨日のプレイ中はとてもふわふわとした心地だった。いつも律樹さんと話している時も胸が温かくなるけれど、昨日は彼の声を聞くだけでとても幸せな気持ちになったのに、今は痛い。俺を案じてくれているのがわかるだけに、こんなふうに思う自分が嫌になる。
 今、それでも毎日したいのだと我儘を言えばきっと律樹さんは困ってしまうだろう。そうすれば彼は俺のことを煩わしく思い、引き取ったことを後悔するかもしれない。もしかしたら両親のように俺をなかったことにするかもしれない。
 それは嫌だな、と思った。それと同時に俺の中の何かのスイッチがかちりと音を立てた。

 つまるところ俺の意思は邪魔以外の何物でもないのだと急に思い至った。意思や感情があるから我儘が出てしまうし、迷惑をかけてしまう。だったら
 どうして突然そういう思考回路になったのかは自分でもわからない。けれど何かのスイッチが入った俺はそうとしか考えられなくなっていた。
 全ての感情を腹の奥底に沈めるように、俺は俯いて目を閉じた。痛みが引いていくのと同時に、音がすっと遠のいていく。次に目を開けた時、音は戻っていたが痛みは引いたままだった。

 俺は律樹さんの顔を見ながら、笑って頷いた。そんな俺に律樹さんはほっとしたような表情をして、いつものように頭を撫でながらありがとうと笑った。
 
 その後のことはあまり覚えていない。
 ご飯を食べたり他愛ないやりとりをしたり、一緒にお風呂に入ったことは覚えている。スマホのメッセージアプリにも俺からの言葉が残っているから、きっと楽しいひと時を過ごしていたのだろう。
 ……俺はちゃんと笑えていたかな?
 
 昨日プレイをしてからというもの、箍が外れたように身体がプレイで得たようなふわふわとした感覚を求めている。まるで中毒のように、プレイに関する願望が自分の意思や感情とは関係なく頭の中を埋め尽くしていく。それがなんだか気持ち悪いものに感じられて必死で衝動を抑えようとしたが、抑制しようとすればするほど頭が痛くなった。

 あまりの痛みに、俺はスマホを枕元に伏せてベッドに突っ伏した。頭はガンガンと打ち付けられているように痛むし、胸もじくじくと痛む。律樹さんの前では遠ざかっていた痛みが一気に押し寄せてくるようで、俺はベッドの上で足を抱えながら丸まり、目をきつく閉じた。

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