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第一章

九話 薬への拒否反応

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 翌朝、起きた時には既に律樹さんは出かけた後だったようで、ベッドはもぬけの殻だった。俺は壁に立て掛けていた杖を取って立ち上がり、ゆっくりと一歩一歩確実に洗面所へと歩みを進めていく。普通の人が一分もかからずに移動できるところを俺は十分程かけて移動することしかできない。これでも早くなった方だが、それでもやはり普通に比べればかなり遅かった。

 洗面所には俺のための椅子が置かれている。休憩のためだったり、歯を磨く時に使ったりと多様に使われるこの椅子に腰掛け、時計を見た俺はゆっくりと息を吐き出した。

 どうやら俺は寝過ぎてしまったらしい。気付けば既に十二時を回っていた。確かにワクワクして眠れなかったが、それでも日付が変わる前には眠っていた様に思う。それなのに今し方まで眠ってしまっていたのは単に疲れているからなのだろうか。

(……考えても仕方ない、顔洗って居間に行こう)

 十分ほど休憩したので再び杖を使って立ち上がり、洗面台で顔と歯を洗う。ついでに髪の毛をブラシで解いて、それから居間に向かった。居間に向かうとテーブルの上に置かれた惣菜パンとメッセージが書かれたメモが置かれていたので俺はメモに目を通したあと、パンの袋を手に取った。

 メモには『おはよう、買い物に行ってくるね。パンを置いておくので食べてね』と律樹さんらしい几帳面そうな字で書かれており、俺は素直にメモの内容に従ってパンを齧る。パンの真ん中にある溝にほんの少し辛子の入ったマヨネーズの上にウインナーが乗っている惣菜パンだった。

(律樹さんはいつ頃帰ってくるんだろ?)

 彼がいれば行儀が悪いと怒られそうだが、片手にパン、片手にスマホを持った状態で律樹さんへのメッセージを送る。起きたという旨をまず送り、続いていつ帰ってくるのかと送った。
 
 がぶり、と惣菜パンに齧り付く。やがて半分くらい腹の中に収めたところで手が止まった。既に八分目まで埋まっている腹に、こんなに少食になったのかと少しショックを受ける。不可抗力とはいえ、ここまで食べられないと逆に悲しい。二年前までは人並み以上に食べていたはずが、たった二年でこんなふうになってしまうのかと愕然とした。

 ピロンと律樹さんから新着メッセージが届いた。どうやら今からショッピングモールを出るらしいので、あと三十分は帰ってこないということになる。

 俺はその間に台所に行ってガラスのコップにお茶を注ぎ、一気に煽った。冷蔵庫でキンキンに冷えた麦茶が喉を通り抜ける。もう一杯注ぎ入れ、今度はSub用の抑制剤と共に流し込むと、頭がキンと痛んだ。

(そういえば俺、この薬のこと殆ど知らないな……別に身体はどこも異常ないらしいし、飲まなくてもいいのでは?……いやでも処方されたしな)

 薬は今日を含めて残り一週間。今の俺にはそんなに必要なものだとは思えず、出来るなら飲みたくないなという感情が湧き起こる。薬にはあまりいい思い出がない。実兄に最後に飲まされたのが強い睡眠剤と催淫剤だったと聞いてからは余計に身体が拒否しているように思う。

 今だってほら、段々と気持ちが悪くなってきた。拒絶を示すように胃が跳ねている。これはまずい。今ここで吐くわけにはいかないからと壁を伝いながら必死でトイレまで歩いていく。そしてトイレに着いたと同時に俺は胃の内容物を全て便器の中にぶちまけてしまった。

 実はこれが初めてではない。律樹さんには頑張って隠していたが、あの白い錠剤を飲むと全身が拒否反応を起こして吐いてしまうのである。飲まないといけないだろうから今日みたいに律樹さんがいない時を狙って飲んだり、夜は飲んだふりをして机の引き出しにティッシュに包んで入れていた。いくら鍵付きの引き出しに入れているからといって安心はできない。そろそろバレそうな気もしている。

 俺はトイレの床にぺたりと座り込んでいた身体をなんとか立たせて、トイレを流してから洗面所へと向かった。

 口の中が気持ち悪いので洗面台で何度も濯ぎ、歯を磨く。三度目くらいでやっと気持ちの悪さが薄れてきて、俺は漸く一息つくことができた。

「ただいまー」

 全てが終わってすぐ、律樹さんが帰ってきた。
 嘔吐後すぐということもあり、もう動く元気はない。そのまま洗面所の椅子に腰掛けたまま、手洗いに来るだろう彼を待っていた。

「どうしたの、こんなところで」
『ここまで歩くのに疲れた』
「ああ、なるほど。弓月はご飯食べた?まだなら作ろうか?」
『いい、パン食べた』

 スマホでメッセージを送ると、律樹さんはそうと頷いて洗面台で手を洗い始めた。その様子をじっと見ていると、手洗いうがいを終えた彼がいつかの俺のように恥ずかしそうに見ないでと言ってきたので、ほら見たことかと少しだけ満足した気分になる。

 律樹さんが洗面所から出ていくのに合わせて椅子から立ち上がると、僅かに視界がぶれた。それは一瞬で、脚がもつれたりだとかそういういうことはなかったが、いつも重い体がさらに重くなった様に感じる。まあさっき嘔吐したから、と自分を納得させて俺はゆっくりと律樹さんの後を追った。

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