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第一章

閑話 瀬名律樹は優しく願う

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 俺の名前は瀬名律樹。
 坂薙さかなぎ弓月の従兄弟である。現在は弓月が通う高校の教師として働きながら、この築百年以上は経つ木造平屋で弓月と二人で暮らしている。

 本人は気付いていないようだが弓月はまだ他人に対して恐怖心があるようで、無意識に人の視線や手から逃れようとしている。初めは俺の手も怖かったのだろう、手を伸ばす度に全身を強張らせていた。まああんなことをされていたのだから無理はない。けれどその度につきんと痛む胸にどうしようもない苦しさを覚えた。

 それも今は大分落ち着いて、俺が頭を撫でるたびに嬉しそうに目を細めてくれる。もっとというように擦り寄ってくる弓月が可愛くて、俺は日に日にスキンシップを増やしていった。でもそれは多分弓月の為じゃなくて自分の為だ。
 弓月が怯える度に、俺の脳裏には力なくぐったりとした彼の姿が浮かぶ。俺はそれが怖かった。

 あの日、久しぶりに見た弓月は酷くやつれ、本当に骨と皮しかないんじゃないかってくらい細くて、このまま死んでしまうんじゃないかと思った。一目見ただけでは薬のせいで昏倒しているなんて分かるはずもなくて、ただ痩せ細った身体や、口を塞がれ手足を拘束されて震えながらぐったりしている姿に、本当に死を覚悟するほどの恐怖を抱いたのだ。

「ケア……か」

 他のDomに触れられるくらいならいっそのこと俺が弓月のケアをしてやりたいと思う。そうすれば一緒にいられるし、俺なしではいられなくなるかもしれない、そんな下心がないかと言えば嘘になる。弓月が辛い今、そんなことを考える自分に嫌気がさした。

 溶けた氷がグラスに当たってカランと涼しげな音を上げた。透明なグラスの中で黄金色のウイスキーが揺らめき、月明かりに反射してキラキラと輝いている。もう夜とはいえ夏真っ只中のため汗ばむくらいには暑い。グラスに口をつけてぐいっとウイスキーを煽ると、口いっぱいに香りが広がると同時に喉がカッと熱くなった。

 俺は首だけで後ろを振り向く。ガラス越しに見える自室のベッドの上の膨らみに視線を向けた。一定のリズムで上下する膨らみにほっと息を吐き出す。

 この家で暮らし始めてからわかったことは、弓月は一人では眠れないということだった。部屋にベッドや机、椅子を用意したが、寝るときは決まって俺の部屋に来る。声は出ないし文字にもしないから本当のことはわからない。でも多分、一人が怖いのだろう。全てを背負い込まなければならなかった小さな背中を見る度に、俺はよくわからない焦りのようなものを感じていた。

 このグラスの氷のように、いつか弓月が消えてしまいそうな、そんな不安。
 せめて消える前に音で知らせてくれればいいけれど、今の弓月には音がない。声という音がないのだ。なんの予兆もなく、知らせもなく、俺の目の前からまた消えてしまうんじゃないか。そんな恐怖が付き纏う。

 俺はDomで弓月はSub――俺のランクはSで弓月のランクもS。多分相性的にはいいと思う。けれど俺は
 俺はもう失敗したくない。弓月を、なくしたくない。

「はぁ……どうしたら、いいんだろうな」

 呟きは誰に聞かれることもなく空気に溶けていった。

 グラスに残ったウイスキーを一気に煽って、ベランダから部屋に戻った。少し汗ばんだ身体に、冷房のひんやりとした空気が当たって気持ちがいい。
 ベッドサイドにある小さなテーブルに氷だけが入ったグラスをコトリと置き、ベッドに腰掛けた。

 弓月の無防備な寝顔に掛かる髪を耳へと掛けてやる。白皙の滑らかな肌に女性のように長い濡羽色の髪、そして今は閉じられて見えない黒曜石のような瞳――そのどれもが美しく、そして弓月を構成する重要な要素だ。
 
 俺は弓月の髪を一房掬い、口付けた。二年間切っていないという彼の髪は男にしては長く、胸の辺りまである。元々中性的な容姿で線が細かったこともあり、髪を伸ばしている今の姿は女性のように見えることもあるだろう。こうして眠っている姿はあどけなく、少女のように見えなくもない。

「……やっぱり、勿体無いなぁ」

 俺はこの綺麗な黒髪に、明日鋏を入れる。
 後は頸が見えるか見えないかくらいの長さまでバッサリと切る。横だってそう、俺は明日この黒髪を切るのだ。

「人の気も知らないで」

 本人からの強い希望により、素人の俺が切ることになったのだがやはり名残惜しいと思ってしまう。弓月を構成する全ての要素が愛おしくて、一ミリたりとも無駄にはしたくないのだ。Domだからなのか、俺という個人の元々の考えなのかはわからないが、兎に角少しも弓月を無駄にはしたくないと思う。

 さっき弓月には言えなかったが、俺は弓月に頼られた時、本当に嬉しかった。腹の底から快感を伴う様な充足感に、自然と笑みが溢れる。
 
「《Good boyいいこだね》」

 髪を優しく梳きながら、気付けば俺は小さくコマンドを呟いていた。大丈夫、頑張った、もう怖いものはないのだと伝えるように、優しく溶けるようにコマンドを紡ぐ。すると不思議なことに、寝ているはずの弓月の表情が少し和らいだ。

 指の先で髪を分ける様に動かすと、白くてまろい額が露わになる。俺の前から消えないでという願いを込めながら、俺はその綺麗な額にそっと口付けた。

 
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