鬼を斬る君と僕の物語

大林 朔也

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夕暮れの空

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 翌日、僕は緊張しながらカフェのテラスに座っていた。
 隣には、ワンピースにカーディガンを羽織った由香が座っている。サラサラの髪の毛が風で揺れると、チェーンの先にパールがついたピアスがきらめき、今日はいつも以上に可愛く見えた。
 周りからはカップルに見えているのかもしれないと思うと、僕は嬉しくなった。

 カプチーノとケーキが運ばれてくると、僕は先にケーキに手を伸ばした。

「ここのケーキ、初めて食べたけど美味しいな。
 由香は食べないの?」
 と、僕は聞いた。

「ケーキ?
 食べたいけど…いらないかなぁ。
 だって…太っちゃうじゃない」
 と、由香は言った。

「そう…かな?
 由香は太ってないよ。
 食べたいなら、食べたらいいと思うけど」
 と、僕は言った。
 そういえば由香がサークルで何かを食べている姿を見たことがなかった。

「え?でも…男の人って…細い子の方が好きなんでしょ?」
 と、由香は言った。

「そうなんかな?
 細い子が好きな男もいるけど、そうじゃない奴もいる。僕の周りでも好みはいろいろだよ。それに好きになった子がタイプっていう男もいるし。
 細くても、ぽっちゃりしてても、それは本人がどう思うかだと思う。自分を捨てて好きな男に合わせたら、他も全部合わせないといけなくなる。
 それって、しんどくない?」
 と、僕は言った。
 前の彼女に合わせて服装が自分の好みから外れ、結局しんどくなって別れたことを僕は思い出していた。
 ある日、鏡に映った自分を見て、自分が無理をしてるように感じたのだった。あの頃買った服は着ることもなく、クローゼットに眠っている。

 けれど由香の返答はなく、横目でジロリと僕を見ていた。その目は嘘つき者に向けるような嫌悪の念がこもっていた。

 由香は口を開こうとしたがキュッと口を結ぶと、サラサラと揺れる髪を耳にかけた。白いパールが輝くと、僕は白い輝きから目を離せなくなった。

「一樹くん…相談したいことなんだけど…」
 由香はそう言うと、周囲からはテーブルで隠れている僕の太腿にそっと手を触れた。
 その大胆さに驚いたが、置かれた手は驚くほど軽いのに妙に柔らかいので気持ちがよくなり、彼女からはいい香りがしたので僕はクラクラした。

 その瞬間、誰かが揺れている僕の肩に触れた。

「一樹」
 と、男は僕の名を呼んだ。
 
 すると、由香は太腿に置いていた手をさっと引っ込めた。

 そこには、晴夜が立っていた。
 ジャケットにズボンという僕と同じような格好だったが、整えられた髪に磨き上げられた靴を履く晴夜がいるだけで、この場所がハリウッド映画の中のワンシーンのように思えた。

 流れる空気が変わり、カフェにいる誰もが夢のような男を見つめていた。

「偶然だな。
 私も、そこにいたんだ。
 一樹によく似た人がいるなと思って、急に声をかけてしまった。話してる最中に、すまない」
 と、晴夜は言った。

 晴夜は店内のカウンター席に目配せをした。
 そこには飲み終わった後の珈琲カップが置かれていた。誰かが座っていた事は明らかだ。
 店に入った時は、全く気づかなかった。僕が入ってから晴夜も来たのだろうか?そんな事はどうでもいい。
 昨日話したのだから、偶然じゃないことだけは分かっていた。

 晴夜は灰色の瞳でジロリと由香を見下ろした。
 それは、僕が今まで見たこともないくらいに冷たい眼差しだった。


「なんで…」
 思わず立ち上がると、急に僕は吐き気をもよおした。

「ちょっと、ごめん…」
 僕は慌てて席を離れた。
 店の角を曲がったところにあるベンチに座り、新鮮な空気を吸い不快感を鎮めてから店に戻ると、晴夜が僕の席に座わっていた。
 晴夜は由香の顔をじっと見ていたが、ゆっくりと顔を近づけていくとパールが揺れる耳元で何かを囁いた。

 すると、由香は顔を赤くした。

 その光景を見た僕は立ち止まった。耳元で揺れていたパールの動きがとまったように、僕の足も動かなくなった。
 晴夜は立ち上がると周りを見渡し、僕を見つけると近づいてきた。

「邪魔をして悪かった。
 私は、帰るよ。
 一樹、彼女が待っている」
 晴夜はそう言うと、立ちすくんでいる僕の太腿に触れてから何事もなかったかのように去っていった。
 何人かの女性が目で晴夜を追っていたが、由香は下を向いたままだった。

 席に戻ったが、僕達の間に流れるのは嫌な沈黙だけだった。由香はずっと下を向いているし、僕も何を話せばいいのか分からずに、冷め切ったカプチーノを飲みながら通り過ぎる人達を眺めていた。

「そろそろ帰ろうか?駅まで送るよ」
 僕がそう言うと、由香は下を向いたまま頷いた。
 駅まで送って行くと、ずっと下を向いたままだった由香が急に顔を上げた。

「さっきの男の人って…一樹君の友達なんだよね?
 す…てき…な人だよね。
 名前はなんて言うの?大学生?何をしている方なのかな?」
 由香は赤い顔をしながら言ったのだった。


 彼女と別れた僕は夕暮れの空を眺めていたが、由香の赤く染まった頬を思い出すとたまらなくなって、晴夜のマンションへと向かった。

(由香に何を言っただろう?
 晴夜は何をしに来たのだろう?) 
 怒りよりも悲しい気持ちで胸が一杯になり、僕は苦しくなっていった。



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