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希望 4
しおりを挟む「もう…何人もの子供たちが死んでいます。
体も心も壊れるほどに調整された子供たちは、金貨3枚もする高級な薬を飲まないと死んでしまうのです。
一瓶飲めば苦しみは和らぎますが、その時だけです。飲み続けなければ治りません。
でも…そんな高い薬…飲むことはできません。
私はここに来て…はじめて飲ませていただきました」
と、ナタリーは言った。
アーロンは眉間に皺を寄せ、苛立ちと激しい怒りを含んだ目になった。子供たちをモノのように弄び、実験のような事を繰り返している国王と側近が許せなかった。
「僕は、一体何を見てきたのだろう…。
どうして子供しかいないのか…どうして疑問に思わなかったのだろう。どうして…どうして…愚かだった…。
すまない…苦しみに気付けなかった。
いや、気付こうとしなかった」
アーロンは自らの愚かさに怒りを覚えた。
助けを求められず苦しみに耐えている子供たちを思うと、涙が頬を伝った。
「そのような顔はなさらないでください。
私たちを思って涙を流してくださったのは、アーロン様だけです。
アーロン様がいらっしゃる時間だけが…本当に…救いでした。永遠に続けばいいと思うほどに…。
アーロン様はあたたかくて優しくて、束の間だけでも苦しみを忘れることができたのです。
室にいらっしゃるのを、いつも楽しみにしていました」
「ナタリー…」
アーロンは小さな声でそう言うと、首を垂れた。
騎士の隊長でありながら、目の前にいる救いたい少女の名を呼ぶことしか出来ない…これほどの恥辱はなかった。
しばらくの沈黙が流れたが、それを破ったのはアーロンだった。顔を上げたアーロンの瞳は不気味に光っていて、彼の中で何かが化わろうとしていた。美しさの裏に恐ろしい狂気を秘めた男に化わろうとしていたのだった。
「ナタリー、教えて欲しい。
僕の母を知っているのだろう?
僕が魔法を使えるのは…僕の母が人間ではないからだ」
と、アーロンは低い声で言った。
ナタリーは戸惑いの色を浮かべた。
アーロンにどう話していいのか分からないかのように、その唇を震わせた。
「正直に話してくれ。
僕は、失われた火の魔法を使えるんだ。
この体には、魔法使いの血が流れている」
アーロンは少し怖い目をしながら言った。
ナタリーは少し困った顔をしたが、アーロンのグレーの瞳を見ると意を決して、ある少女の名を口にした。
「ある日、突然、室からいなくなりました。
金髪の巻き髪の輝くように美しい方でした。
今…こうして…頭がハッキリとした状態で、アーロン様のお顔を見ると…思い出さずにはいられません」
「そうか」
アーロンは平静を装いながら言った。心の中は激しい嵐のように風が吹き、止むことのない雨が降り出した。
「とてもお優しい方でした。
アーロン…さま…あの…」
アーロンの表情を見ていた彼女は彼が恐ろしくなり、その先の言葉を飲み込んだ。
「僕は、騎士として自分の為さねばならない事が分かったよ。
それ以外の僕は、全て捨て去ろう」
「アーロン様?」
ナタリーがそう言うと、アーロンはこの時はじめて異様な目つきで優しく微笑んだ。
ナタリーはアーロンの雰囲気が変わったように感じた。
今まで聞いたことがないような冷たい声を聞いたのだ。彼が浮かべている微笑みも優しいはずなのに、身も凍るほどに恐ろしかった。
「今、覚悟を決めたよ。
僕は騎士の隊長としての役割を果たさなければならない。
その為に、生まれてきたのだろう」
と、アーロンは言った。
突然、アーロンは剣を鞘から抜いた。
その手に握られた剣からは強い光が発せられ、狂気に染まった顔を照らした。
ナタリーの目に映る男は彼女の知っている騎士ではなくなり、誰もが震え上がるような戦慄する恐ろしさをまとっていた。
「アーロン様!
危険な事はなさらないで下さい!」
ナタリーは怖くなって叫んだ。
今にもアーロンが剣を握り締めたまま走り出し、国王の首を斬り落としにいくのではないかと思ったのだった。
「危険?
危険なことなど何もないよ。
愚か者を断罪するだけだ。
正義の騎士の剣を掲げて、この手で国王の首を斬り落とす。他の誰でもない僕がやらねばならない。
あの男はもう国王ではなく神に背く大罪人だ。幼い少女に関係を強いている異常者だ。
国の頂点に、あの男がいる限り、歪んだ世界は正せない。
誰かの犠牲の上になりたつ世界など、僕が壊さなくても、いずれは崩壊する。涙で濡れた地は崩れ落ち、奈落の底に沈んでいくだけだ。
これ以上苦しみの涙を流させはしない。
今、この瞬間より、騎士の剣を鞘から抜いたのだ。
望みを果たすまで、僕は剣を鞘には納めない」
アーロンの瞳が窓から差す光によって、グレーではなく黒く輝いたのをナタリーは見た。
外には強い風が吹き、小さな窓から見える青い空に何処から飛んできたのかも分からない美しい花弁が激しく舞った。
この部屋から、そのような景色を見るのは、はじめての事だった。風に舞う花弁を見ているうちに、ナタリーは花弁が伝えようとしている事を悟った。
ナタリーは伝え聞いていたユリウスの幻をアーロンに見ると、慌てて本棚に駆け寄った。
そして一冊の本を、アーロンに手渡した。
「これを、どうかお持ちになって下さい。
もう私には必要のないものです。
いえ、貴方様にこそ相応しい。
どうか…望みの為に、多くの魔法を会得してください」
その本は、魔法書だった。
「魔法が必要となる時が来るでしょう。
風向きが変わったのを感じたのです。
その風は力強く、今も世界を包んでおられます。
私は…光を…見ることができました。
ありがとう…ございます…」
「か…ぜ?」
「はい、風です。
詳しいことは…申し上げられません」
ナタリーはそう言うと、小さな窓に視線を向けて今も舞っている花弁を見た。
ナタリーが不思議な事を言い始めたので、アーロンも小さな窓を見たが何も分からなかった。
「風が吹きました。
最果ての森のダンジョンが、新たな勇者を求めています。
その時が、やって来ます。
そこに眠るクリスタルは語り継がれていることとは違い、世界を統べていらっしゃるのかもしれません。
この世界は歪められているのでしょう。
これから先、恐ろしい真実がアーロン様を待ち受けているでしょう。
けれど、私はアーロン様を信じています」
「真…実…」
と、アーロンは言った。
その言葉がアーロンの心に強く突き刺さった。
「アーロン様は、新たな希望なのかもしれません。
必ずはっきりとした形で「その時」がやって来ます。
それまでは、どうかお待ちください。
たとえ数年経とうが、私たちはもう数百年間待ち続けてきたのです。はやる気持ちに負けて、時をあやまってはなりません。
その力がなければ、夜明けはきません」
と、ナタリーは言った。
魔法使いは微笑みを浮かべた。
「アーロン様。
私は希望の光を見ることができました。
私はあの御方を実際には知りませんが、きっとアーロン様のような御方なのでしょう。
その光を胸に…私は…生きていくことができます。
もうすぐ私の食事を側近が運んで来ます。
中からは外の家具を動かすことは出来ません。
どうか、お帰りください」
ナタリーはそう言ったが、アーロンは彼女を見捨てるような気がして、なかなか動こうとはしなかった。
すると、ナタリーは下を向いた。
「その後で…国王が…いらっしゃいます。
どうか…お願いします…」
アーロンはその言葉を聞くと、ナタリーに背を向けた。
「僕は騎士としての責任を果たす。
正義と自由と真実を取り戻す。
待っていてくれ。
君を苦しめた罰を、必ずあの男に降り注がせる」
アーロンは魔法書を持って歩き出した。
ナタリーを振り返ることはしなかった。
しばらくすると、側近が食事を運んで来る足音が聞こえてきた。見かけだけの家具が動く音がして、側近が階段を下りてくると、アーロンは階段を上っていった。狂った宮殿から出ると、全速力で走り出した。
広がる空は赤く染まっていた。
その色が、魔法使いの流す血の色に見えた。
やがて真っ暗になったが、何処へ行くともなく、ただ歩き続けた。今夜は一人でいたかった。
大きな木の幹に寄りかかると、夜空に輝く大きな満月を見上げた。アーロンは苦しくてたまらなかった。
(何も出来なかった…見殺しにしたのと同じだ。
少女を救えずに、背を向けて逃げ出すことしか出来なかった。
そればかりか、こんなに近くで蛮行が行われていたというのに気付きもしなかった。
僕は今まで…何をしていたのだろう?
そうだ…国一番の騎士ともてはやされて、有頂天になっていただけだ。
僕は見たいものしか見ていなかった。
用意された都合のいい世界しか見ていなかった。
これが騎士の隊長とは!こんな無様なものとは!
いや、第1軍団騎士団隊長がこれほど愚かだからこそ、この国はこんなにも愚かに歪んでしまったのだろう)
アーロンは自らが「騎士ではなく、何も知らない王子」だったのだと痛感した。
夜風は冷たく、今まで歩んできた彼の全てを斬り刻んだ。
その力がありながら「何もしなかった男」を許しはしなかった。
美しい満月を見ながら、心が粉々に破壊されていく音をアーロンは聞いていた。
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