クリスタルの封印

大林 朔也

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神の領域 4

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 夕闇の空は赤く染まり、黒い雲と混ざりあった。
 次第に雲は人間の体のように形を変え、喰いちぎられた部位から真っ赤な血が噴き出しているような空模様となった。
 これから地上で起こる惨劇を、夕闇の空が人間以外に知らせたのだった。

 空を見ていた馬の中で一際立派な体躯をした一頭が高く嘶くと、それに呼応するように他の馬も大きく嘶いた。
 鳥たちは馬の鳴き声を聞くと、とまっていた木の枝から飛び去り、辺りに危険を知らせるかのように飛び回り始めた。
 その声は他の動物の耳にも届き、小さな動物は大きな動物の背に乗り、これから始まる惨劇から逃れようと続々と走り去って行った。

 月が雲に隠れ、重くのしかかるような暗闇がやって来た。
 空を飾る星々に輝きはなく、ただ不気味な闇の存在が垂れ込め、逃れられない脅威が分厚く覆い被さった。

 ユリウスは剣を握る右手を掲げ、瞳を閉じて歌うように詠唱をした。その言葉は広場にいる何者にも理解が出来ず、今から何が起こるのか、誰にも分からなかった。
 古の言葉、神の領域に踏み込んだ者のみが紡ぎ出すことを許される、この世界の全てを統べる言葉だった。
 美しくも残酷な詠唱が終わると、漆黒の瞳を開けた。
  
「もう一度言おう。  
 水晶玉に映る光景を、ただ黙って見ていなさい」
 ユリウスは身も凍るような冷たい声で言った。 

「逃れることのできない絶望。
 闇に覆われた光のない恐怖。
 神の領域の名において、新たな生命を生み出そう」
 ユリウスは天井を見上げ、美しい声を轟かせた。



 その夜は、満月だった。
 雲に隠れていた満月が姿を現した。
 触れることすら許されない煌々と輝く神の目のような月が、ただ地上を見下ろした。 

 聖なる泉があらたな生命を生み出そうとするかのように、水面が激しく揺れ動き出すと、側近と騎士は驚いて水面を見つめた。紅い水面には黒い文字を浮かび上がった。

「騎士としての善い振る舞いをしなさい。
 騎士とは人々より畏敬される存在でなければならない。
 名誉を愛し、誇りを持ち、気高くありなさい。
 真実と正義を取り戻すのです」

 騎士たちは気味悪く感じながらも嘲笑うだけだった。
 驕り高ぶった騎士には言葉に込められた意味は伝わらなかった。

 最後の警告は届かなかった。

 すると漆黒の空に雷が鳴り響いて閃光が走り、聖なる泉に向かって真っ直ぐに赤い稲妻が落ちた。
 紅のしぶきが、側近と騎士の体にかかった。その臭いと色は、血のように男たちの体にこびりついて染みついた。
 これから現れる裁きを下す者が、一人として逃すことのないように印をつけたのだった。

 雷鳴が蠢く空から赤い稲妻が落ち続け、小屋と荷物に火がつき、赤々と燃え上がり出した。

「火を消せ!水を持ってこい!急げ!」
 と、騎士は怒鳴り声を上げた。

 けれど飲み水を入れていた樽はすっかり空になっていた。仮眠をとる時に使っていた毛布にも火がつき、赤い炎が至るところで燃え上がっていた。
 騎士と兵士は急いでマントを脱いで、あちこちで燃え上がる炎を消そうとしたが、炎は激しく燃え盛るばかりだった。

「馬がいないぞ!馬が逃げたぞ!」
 と、叫び声も上がった。
 いつの間にか、繋いでいたはずの騎士の馬はいなくなり、人間だけが残された。

 次々と襲いかかってくる不気味な出来事に、側近と騎士は次第に恐怖に駆られていった。

 蠢く空から、最後となる赤い稲妻が聖なる泉に向かって真っ直ぐに落ちた。その5回目の稲妻は今までよりも太く激しく大きな音を立てた。
 鎖を擦り合わせたような凄まじい金属音が発せられ、泉は大きな渦を巻き底無しの穴を開いた。
 底無しの穴から大きな煙が立ち上ると赤い稲妻が炎と化わって、暗黒のような空に向かって真っ直ぐに噴き上がった。

 すると遠く離れた宮殿の上空でも雷鳴が鳴り響き、眠りこけていた国王の目を覚まさせ、聖なる泉を見るようにと寝室の窓ガラスを激しく揺らした。
 オラリオンの国王は、窓ガラスの音に驚き、震えながら立ち上がった。国王の目には立ち上る煙と炎がドラゴンのように見えてギョッとし、心臓が震え出した。

「なんだ…あれは…」
 騎士が声を震わせながら指差した。

 辺りは静まり返った。
 騒々しい音も叫び声も、轟く雷鳴すらも聞こえなくなった。
 裁きを行う為に現れた者を見ると、恐怖の感情だけに支配され、考えることも感じることも喋ることも出来なくなったのだった。
 
 噴き上がった炎は絶望と恐怖をもたらす残酷な姿となり、男たちを見下ろしていた。
 それは、巨大な真っ赤な化け物だった。巨大な胴体に5つの首を持つ大きな水蛇の姿をした化け物だった。中央の首は一際太くて長く、美しくも恐ろしい黒い瞳が厳しい光を放っていた。
 黒い瞳は、ユリウスの瞳のように漆黒だった。
 騎士も側近も水蛇に見据えられると縮こまって震え上がり、地面に伏せたり、腰を抜かして両手をつく者もいた。
 水蛇が大きな口を開けてユラユラと揺れ動くと、誰もが空想上の生き物であるヒュドラーを思い出した。  
 
 側近は仰天し我先に逃げ去ろうとしたが、至るところで炎が上がっていたので逃げ道はなく、慌てふためきながら絶叫した。

「化け物を殺せ!」
 と、泣き叫びながら騎士に命令した。

 弓を握るオラリオンの騎士はガタガタと震えながらも、弓に矢を番えた。狙いも定まらぬままに矢を雨あられのように放ったが、見えない壁に阻まれたかのように水蛇に届く前に矢は跳ね返り、一矢も届かなかった。
 そればかりか跳ね返った矢は松明のように燃え盛り、矢を放った騎士に降り注ぎ、火だるまとなったのだった。


「化け物だ!化け物だ!」
 オラリオンの残りの騎士は踵を返して逃げ出した。敵に背を向け、我先に逃げ出したのだった。
 水蛇は背中を向けて逃げて行く騎士を、愚か者でも見るような目でしばらく眺めていた。

 中央の首がゆっくりと持ち上がった。
 満月を背にしながら大きな口を開け、愚か者共に死を告げる恐ろしい音を発した。
 その恐ろしい音は大地を揺るがし、騎士と兵士は度肝を抜かれ、足がもつれて転んでしまった。
 
 中央の首はもう一度恐ろしい音を発すると、ソニオの騎士の隊長に狙いを定めて急降下してきた。
 凶暴な隊長は怯むことなく、槍で水蛇の目を刺し貫いてやろうと構えた。
 しかし槍はグニャグニャと折れ曲がり、水蛇に睨まれた槍は微かな光を放つと燃え上がりだした。隊長は驚き、太い叫び声を上げ、地面に向かって槍を投げ捨てた。
 顔を上げると、すぐさま嫌な匂いを感じた。
 隊長の背筋に戦慄が走った。
 その目に映るのは、水蛇の大きく開けた口だった。人間の骨を簡単に砕くであろう鋭利な刃に似た無数の歯と赤黒い残酷な舌が見えた。
 絶叫を上げたが、次の瞬間には頭からかぶりつかれていた。
 中央の首は極上の餌でも喰らうように、グチャリグチャリと大きな音を上げて、隊長の体をゆっくりと喰らった。口から漏れるのは、鮮血と煙と断末魔の叫びだった。
 

 誰もが呆然とした顔で見ているだけしか出来なかった。
 
 口から漏れ聞こえてくる叫び声がしなくなると、細かく刻んだ部位を飲み込んだ。そしてダンジョンの方角に向き直り、凄まじいほどの大きな音を発した。
 ユリウスに、ソニオ王国の第2軍団騎士団隊長を殺したことを報告する叫びだった。


 残された騎士は持っていた武器を投げ捨て、敵に降伏する時のように跪いて許しを乞うた。

 水蛇にあのように弄ばれながら喰われるよりかはと思い、燃え上がる炎にむかって飛び込んでいく者もいた。
 けれど、その炎は生きていた。炎は瞬く間に騎士の体にまとわりついた。生きながら焼かれ泣き喚く騎士を灰になるまで焼き尽くした。辺りには、人間の肉を焼く悪臭が立ちのぼった。  
 

「殲滅しなさい」
 ユリウスは静かに命令した。

 他の4つの首も、うようよと動き出した。 
 炎の中を逃げ惑う者、腰が抜けて歩けない者、戦意を喪失して啜り泣く者を、一人ずつ捕らえてはゆっくりと喰い出した。 
 その光景は、泣き叫ぶ魔法使いの子供たちを執拗に追いかけては残酷な行為を嬉々としながら繰り返す室の中の光景のようだった。或いは辺境の村で騎士とも思えない浅ましい所業を犯し、村人を嬲りつくした光景のようだった。

 騎士と兵士、側近は体からいろんなものを垂れ流していたが、さらに追い打ちをかけるように悍しい残骸が降ってきた。
 4つの首が吐き出し、地面の至るところに転がったのは、切り刻まれ骨に絡みつく肉片だけとなった男たちの首や腕や足だった。悪臭がさらに立ち込め、視覚と嗅覚を刺激し正常でいられる者はいなくなった。  
 その光景は、焼き尽くされたフィオンの故郷のようだった。

 その全てが、その身に返ってきたのだった。

 次第に、腐肉漁りの恐ろしい見たこともない猛鳥たちが夜空を飛び交い始めた。
 先程まで、立派な武具を身につけ、我が物顔で歩いていた者たちは、怯え切った目で空を見上げた。
 その目に映るのは、恐ろしい水蛇と肉を喰らいながら旋回する猛鳥だけだった。  

 
 そこにあるのは、死と恐怖と絶望だけとなった。
 光は闇に覆われ、救いはなく、見放された地となった。


「私を、見なさい」
 恐ろしい光景を前にして、息が止まりそうな思いで見ていたアンセルたちにユリウスは言った。
 
 ユリウスは砂時計のようなものを持っていた。

「この砂が落ちきるまでに、私の剣を鞘に納めさせることができなければ、このまま3つの国の人間に裁きを下す。
 人間の世界に終焉をもたらす闇の声を轟せよう。全てを焼き尽くし、ハジマリノセカイにかえす。
 己が勇者であるという真価を見せなさい」
 ユリウスは光り輝く剣身を、彼等に向かって突き立てた。


「それぞれの武器を掲げられよ」
 ユリウスがそう告げると、ようやく彼等は自らの手で武器を握ることができた。


 水晶玉の中では、水蛇の4つの首が憤怒の念に駆られながら騎士と兵士と側近を喰い殺し続けた。炎と煙と悪臭が、ますます立ち込めていった。
 満月が生命を喰らったかのように不気味なほどに巨大になると、中央の首は漆黒の空に浮かび上がった。
 3つの国の国王に、その存在を知らしめるかのように、全てを焦がす紅蓮の炎を噴き上げた。






※ レオン・ゴーティエの騎士道を参考にしました。




 
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