クリスタルの封印

大林 朔也

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腕の中で 2

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 リリィはコクンと頷くと、おずおずとベットに入ってきた。スカートが少し乱れて、シーツが柔らかな太腿で微かにこすれる音がした。リリィはアンセルが熱っぽい眼差しを向けていると感じると、恥ずかしがって俯いた。

 アンセルは左手を腰に回してリリィを抱き寄せ、右手で両翼に優しく触れた。ちゃんと翼が背中についていて、怪我をしていないのかを確かめてから強く抱き締めた。

(良かった…本当に…何もかもが悪い夢だったんだ) 
 アンセルが息を吐くと、リリィは体をビクンと震わせた。

「顔を見せて」
 と、アンセルは耳元で囁いた。

 リリィは赤くなった顔をゆっくりと上げたが、恥ずかしさで一杯になり視線をすぐに逸らした。少し乱れたスカートから見える白い太腿を気にして、モゾモゾと動かしていた。

「なんで、ここに?」
 と、アンセルは言った。

「アンセルさまに…呼ばれたような気がしたんです。
 心配でたまらなくなって…先日言われたばかりなのに…いてもたってもいられなくなって…来てしまいました」
 リリィは小さな声でそう答えた。

「そっか…ありがとう。俺は、大丈夫だよ。
 ごめんな…無性に抱き締めたくなって。我慢が出来なくなった。びっくりさせたよな…」

「あやまらないで…ください。
 そんなふうに謝られたら、悲しくなります。
 リリィも望んだことです。我慢…しないでください。リリィは…アンセルさまが望まれるのなら…もっと…」
 リリィは柔らかな体を寄せながら言った。

 その優しさと温もりにアンセルはクラクラすると、欲望に負けないように、今すぐに離れなければならないと思った。

「ありがとう。でも…俺は大丈夫だから。何も心配することはないから、もう戻っていいよ。
 リリィ、疲れただろう?毎日、いろいろやってくれているから。もう少ししたら、ゆっくり休めなくなる。勇者はもうすぐやって来る。
 だから、早く休まないといけないよ。安心して眠れるうちに。
 俺も寝ないといけない。寝て…力をつけて…俺がなんとかしないといけない」
 アンセルは自らに言い聞かせるように言った。リリィから手を離すと、急に先程の光景が強く蘇った。

(あの恐ろしい悪夢を、現実にしてはいけない。
 もう、以前の俺とは違う。恐れてはいけない。
 そう…以前の…俺…?
 俺は一体…何者なんだ?)
 アンセルはそう思うと、唇を噛み締めた。自分が何者なのか、よく分からなくなった。
 魔王であるという誇りが揺れ動くと、何もない男のように思えた。

 リリィはそんなアンセルを黙ったまま見つめていたが、決心するような顔になるとアンセルの胸に飛び込んだ。

「今宵はどうか…お側においてください」
 リリィはアンセルの胸の鼓動を聞きながら言った。

「えっ?」
 アンセルは驚き、自分にしがみついているリリィを見つめた。

「そんな真っ青な顔をしながら「大丈夫だ」なんて言わないでください。もっと…もっと…リリィを頼ってください。
 その為に…リリィは側にいるんですから」
 リリィが顔を上げて真っ直ぐな目を向けると、アンセルはドキリとした。

「俺は…無理なんて…」
 アンセルがそう言い終わらないうちに、リリィは首を横に振った。

「大丈夫じゃないです。リリィの前では、アンセルさまに戻ってもいいんですよ。
 アンセルさまは、皆んなの為に毎日毎日本当に頑張られて凄いです。偉いです。
 強く逞しくなられたアンセルさまに、こんな事を言うのはいけないのかもしれません。
 けれど、ごめんなさい…たまらなく不安になるんです。
 いつか、その糸が切れてしまって、恐ろしい何かになってしまうのではないかと、不安でたまらなくなるんです。
 アンセルさまが…変わってしまう気がして…怖いんです」
 リリィはそう言うと、アンセルの逞しくなった胸に顔をうずめていった。

「時々ですが、アンセルさまから違う香りがしていました。
 それが、何なのかはリリィには分かりません。
 ただ…その香りは、冷たくて恐ろしくて近寄り難いのです。
 ここ数日はしなくなりましたが、またいつの日か、その恐ろしい香りがアンセルさまを包み込んでしまう日が来るのではないかと思って、不安でたまらないのです。
 そうなったら、アンセルさまが二度と戻ってこなくなるような気がします。
 リリィは水晶玉で外の世界を見るのが好きでした。
 いろんな美しい景色を見るのが好きで、いつか外に出てみたいと思ったこともありました。
 でもある時、偶然見てしまった人間の恐ろしさに怖くなりました。このダンジョンにはない恐ろしい感情で溢れていたんです。ダンジョンとは違いました…。ここは皆んなが仲間を思いやり、お互いを大事にして、幸せを分かち合っている。
 でも、外の世界は違うんです。
 まるで幸せになれる人の数が決まっているかのように、沢山の人間が誰かの幸せを妬んで、相手を陥れて奪い合っている。
 怖かったです。そんな人間に立ち向かうことによって、アンセルさまが変わってしまわないか…不安で不安でたまらないのです。
 凍りつきそうなほどに…冷たくて恐ろしい香りが…アンセルさまから強くしていた時もありましたから…」
 リリィはそう言うと、アンセルの背中に腕を回した。

「リリィ…」

「ごめんなさい。
 ただ…リリィは、リリィの好きなアンセルさまでいて欲しいんです。優しくて、ちょっとだらしなくて、寝てばかりで、皆んなに愛されて…ゴロゴロばかりしている…そんなアンセルさまでいて欲しいんです」

「リリィ…ありがとう。
 嬉しいけど、悪口も入ってるよ」
 アンセルはリリィの柔らかい頭を撫でながら言った。

 アンセルはリリィがそんな風に感じていたなんて思いもよらなかった。かっての魔王に蝕まれているということを、リリィは知っていたのだ。分かっていて、何も言わずに支えてくれていたのだ。

「褒めてばかりだと、リリィが…恥ずかしくなります。
 それに少し寂しくもあります。こんなに逞しくなられて…なんだかアンセルさまじゃないみたいで…」

「俺は、俺だよ」
 と、アンセルは呟くように言った。

「そうですね。今、感じるのは、アンセルさまの温もりです。
 アンセルさまは、魔王アンセルさまです」
 リリィは息を吐きながら言うと、顔を上げた。
 アンセルに向かって微笑むと、アンセルもリリィに向かって微笑み返したが、その手は少し震えていた。

「アンセルさま、どうされたんですか?」
 と、リリィは言った。

 しばらくの間、アンセルはリリィを見つめながら黙り込んでいたが、琥珀色の瞳に映る自らの顔を見ながら口を開いた。

「リリィ…もしも俺が魔王でなくても、魔王じゃなかったとしても…俺の側にいてくれるか?」

 リリィは少しキョトンとした顔をしたが優しい微笑みを浮かべると、アンセルを真っ直ぐに見つめた。

「もちろんです。リリィはずっと側にいます。今までも、これからも、ずっと…アンセルさまの側にいます。
 アンセルさまが望まれる限りずっと…ずっと側にいます」

「リリィ…」

「リリィは、アンセルさまが魔王だから側にいるんじゃありません。魔王だとかはどうだっていいんです。
 たとえアンセルさまが魔王でなくなっても、ただの魔物になっても、アンセルさま自身が好きだから側にいたいんです。
 それに…アンセルさまが、こんなに魔王らしくなられる前から…ダメダメだった頃から、ずっと側にいました」

「そうだったな…。
 しかし、ダメダメって…ひどいな」
 アンセルがそう言って笑うと、リリィもクスクスと笑った。

「そうですね…ごめんなさい。
 アンセルさまは、今、とても立派な魔王です。
 けれど魔王でなくても、ただの魔物でも…アンセルさまはリリィにとって特別な方なんです。
 皆んなにとって、リリィにとって、かけがえのない御方です。 
 アンセルさまは、アンセルさまです。
 アンセルさまだから、リリィは好きなんです」
 リリィがそう言うと、アンセルはリリィを強く抱き締めた。

(そうだ。俺は、俺だ。
 かつての魔王が一体誰であったとしても、俺が誰であったとしても、そんな事はどうでもいい。
 本当の魔王であろうとなかろうと、何を為すかで真実の魔王になれるだろう。その責任を果たすことが出来るのならば。
 俺が何者であろうとも、仲間を守らねばならないという現実は変わらない。
 俺が何者であろうとも、打ち勝たねばならないという現実は変わらない。
 魔王という名にすがりたくない。「かもしれない」にすがるほど、俺は無力な男ではない。
 血を吐くほどの鍛錬の数々を、自ら否定してはならないのだ。掴み取れるほどの力があるのだから)
 アンセルはリリィの言葉によって、恐ろしい悪夢ですら吹き飛ばせるほどの力が湧き立っていくのを感じたのだった。


「リリィ…ありがとう。本当に、ありがとう。ずっと…俺を支えてくれて、ありがとう。
 俺にとってもリリィは特別だ…。そうだ…ずっと特別だったんだ。リリィ…」
 と、アンセルは言った。
 今になってアンセルは愛するという事が、どういう事なのかを知り、愛する女の全てを知りたくなった。
 アンセルはリリィをベッドに押し倒すと、全てを重ね合わせて、彼女と一つになりたいと思いながら、柔らかい身体に覆いかぶさっていった。

 
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