クリスタルの封印

大林 朔也

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絶望 10

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 夜風がビュービューと音を立てると、フィオンは夢から覚めた。見上げた空には半分に近い月が煌々と光っていた。まざまざと3つの国の国王の顔を思い浮かべると、フィオンの体が怒りでワナワナと震えていった。

「フィオンさん、どうしたんですか?」
 リアムが心配そうな目を向けると、フィオンは抱き寄せていた手を離した。

「いや…なんでもないんだ…なんでも……。
 ただこの森が美しくてさ…まるで神によってつくられた森のようだ。かつて世界を蹂躙した魔物が潜むダンジョンがあるはずなのに…本当…どうなってるんだか…。
 何が…魔物だ。どっちが恐ろしい生き物だっていうんだ」
 と、フィオンは苦々しそうに言った。

 隊長に命令されるままに殺してきた罪もない人々を思った。
 この国を良くしようとした罪のない人々と、その家族を嬲り殺しにして家を燃やした。
 恐ろしい過去が、体に吹き付ける夜風の冷たさで強烈に脳裏を蘇るのだった。その罪深さで、体が凍えてしまいそうだった。
 その冷たさは、隊員からの暗号化された手紙を思い出させた。オラリオンの国王は疫病にかかった者たちを治療の為に保護しては、身寄りのない者を選んで治療薬を作る為の実験台にしているという。
 もう何人も何人も犠牲にし、治療薬を開発するのに躍起になっている。身寄りがなければ死んだとして、誰も何も言わない。疫病で死んだとして、葬られていく。
 いつだって、そうだ。力のない者から、犠牲になっていく。
 さらに聖なる泉を浄化する為に強力な薬を流し込んだせいで、木々は枯れ果てたという。色が紅くなっても魚は死ななかったというのに、薬のせいで泉の水を飲んだ沢山の動物と魚と鳥が死んだのだ。
 
(原因は魔物じゃない…魔物じゃないんだ)
 フィオンはそう思いながら、リアムの顔をじっと見た。

「お前も…辛いよな?」

「いえ、そんなことは…僕は…幸せです。
 こうしてフィオンさんと出会えたことが、何よりも嬉しいんです。僕のようなモノにまで、心から優しくしてくれました。
 本当に…初めて人を好きになれました。
 フィオンさんの言葉は、いつだって真実でしたから。僕には…分かるんです。人間の心が…分かるんです。
 僕のようなモノでも…フィオンさんの役に立つことが出来るのですから…精一杯、頑張ります」
 リアムの声はどんどん小さくなっていき、表情もどんどん暗くなっていった。恐ろしい男たちを思い出したのか、身を守るかのように杖を握り締めた。

「そうしないと…生きている価値すらもないんです。勇者様の役に立たないと…僕たちは…勇者様が…フィオンさんで良かったです。
 フィオンさんの役に立つことが出来るのなら、僕は幸せです」
 リアムはそう言うと、笑ってみせた。

「やめてくれ!モノとかそういうの!お前は生きてるんだ!
 誰かのモノとか…役立つとか…なんなんだよ!
 なんなんだよ、それ!
 役に立たないと、生きてちゃいけないのかよ!なんで誰かの物差しで決められないといけない!自分の為に、リアム自身の為に生きてくれよ…お願いだからさ…。
 なんで…こんな当たり前の事すらも許されない。なんでお前に…こんな事を言わせているんだ。
 なんで誰かの言われた通りに、誰かの望んだ通りに生きないといけない…お前の人生なのに…こんなの間違ってる。
 辛かっただろう?
 お前は生きていて、感情があるんだから。
 傷つかないはずがない!苦しくないはずがない!
 だから…そんな顔して言わないでくれ。お願いだからさ…」
 フィオンはそう言うと、恐ろしい痕があるリアムの二の腕に触れた。

「本当に…すまなかった。守ってやれなくて…すまなかった。
 そんな事を言わせるほどに…追い詰めてしまって…すまない」
 フィオンがそう言うと、リアムは体を震わせた。

「でも…言うことを聞いてさえいれば…僕たちは…殴られないんですむんです。
 僕たちの魔力が弱いから、僕たちが悪いから、こうなったんです。望まれるようにすれば、安全でいられる。仲間が…傷つけられることもないんです。
 フィオンさんが…謝らないでください。フィオンさんは何もしていないんです。僕が悪いから、こうなったんです」
 リアムは黒い瞳から涙を流しながら言った。

「お前は何も悪くない。悪くないだろうが。
 なんで、あんな事をされているお前たちの方が悪いんだよ!悪いわけないだろうが!
 辛かっただろう…苦しかっただろう…。知らなかったで許されるはずなんてない…ごめんな…」
 フィオンは憎くて堪らない奴等の顔を思いながら言った。

 あれほど恐ろしいことをしていながらも、平気な顔をして歩いている奴等に、同じ恐怖を味わせてやりたいと思った。
 綺麗事では何も守れないと、誰よりも知っていた。狡猾な者ほど罪を逃れる為なら、どんな嘘でもつくと知っていた。

(逃げられない恐怖を…自分が味わわせた凄まじい恐怖を、その身で思い知ればいい。深い絶望を感じさせ、何度も体を突き刺してやる。泣こうが喚こうが、その身に罪の深さを刻み込んでやる)
 フィオンはより残虐に、真っ赤な血を流させてやりたいと思った。奴等が、小さな魔法使いたちにソウしてきたように。

「いいえ…大した事じゃ…ありませんから。
 僕たちが我慢すれば…全てが丸く収まるんです」
 リアムが小さな声で言うと、フィオンはもう堪らない気持ちになった。我慢すればいいのだと刷り込まされているのは明らかだった。

「ちがう!我慢すればするほどに、状況は悪化していくだけだ!報復はしなければならない!
 奴等が、お前にそう言ったんだろう?
 こんなに傷ついている…お前たちに…我慢しろって」

「でも…あの人たちは、大した事じゃないって言うんです。僕たちが…弱いから…苦しんでいるだけなんだって…。
 僕が…もっと強ければ…耐えられるんです」

「ちがう。大した事なのかどうかを決めるのは、お前自身だ。他の奴等に、そんな事を言える権利なんかない。
 お前が苦しいなら、それは途方もないほどに辛くて苦しいことなんだ。それに…」
 フィオンは怒りに満ちた瞳をしながら、急にその先の言葉を切った。

「フィオン…さん?」
 リアムはオロオロしながらフィオンの顔を覗き込んだ。

 フィオンは目の前の小さな少年を見つめていると、その顔に自分の名を呼ぶ弟の顔を重ねていった。
 フィオンは唇を噛み締めながら、驚いているリアムをその両腕の中に抱き締めた。

(全てが…この手から奪われた。二度と戻ってこなかった。
 俺に力がなかったから、そうなった。
 もっと力をつけなければ、また大切な者を奪われる)
 フィオンは目を瞑りながら可愛い弟を思った。その小さな体からは、奪われた大切な弟の温もりを感じるようになった。

 目を開けると、真っ黒な黒髪が風に吹かれているのが見えた。見上げた空には月も星の光もなくなっていて、暗黒の絶望のような空が広がっていた。

「ごめんな、守ってやれなくて…兄貴なのに、ごめんな。
 ごめんな…怖かったよな。苦しかったよな…。お前を苦しめた奴等を、同じ目に合わせてやる。
 いや、ちがう!もっとだ!もっと、もっと、もっと苦しめて殺してやるからな!
 お前の幸せを奪い取ったんだから!
 それなのに奴等は、お前が泣いている間も苦しんでいる間も、そんな事すらも考えずに毎日を過ごしている。
 お前がどんなに苦しんでいるのか、それすらも考えることなく笑い、喜び、愉しみながら過ごしているんだ!
 そんなの許されるはずがないだろう!いや、許していいはずがない!
 誰かを苦しめながら、自分は愉快に生きるなんて…許せない。
 お前は苦しんだんだ。
 だったらお前が苦しんだ分だけ、俺がその苦しみを奴等に味わせてやる。痛みも苦しみも分からずに、お前の人生をボロボロにした奴等を1人残らずボロボロにしてから殺してやる」
 フィオンの心の中は激しい混乱状態にあった。目の前は真っ暗となり、巨大な闇に包まれた。

 冷たい夜風が、フィオンの見た恐ろしい現実を次々と蘇らせていく。優しさたけでは、平和を唱えるだけでは誰も救えない。目の前で無惨に人々が殺されていくのを止める力がないのだから。
 力がなければ言葉は強さを持たないという真実を、彼は幾度も味わってきた。
 憎しみと怒りの感情は激しく渦を巻き、憎しみのままに全てを滅ぼそうとする力が右腕に宿っていった。

 ソレは、あの時から…少しずつ最果ての森に近づき、その男の存在を強く感じさせた時から、始まっていたのだった。
 騎士団の呪縛から解き放たれたフィオンは穏やかな気持ちになり、リアムを弟のように思っていた。魔法使いが受けている恐ろしい真実を知ると、また大切な家族を…弟を奪われると思うようになっていった。父との約束を思い出し、家族を奪われる憎しみを強烈に思い出した。
 大切な者を奪われる恐怖と憎しみを強く感じさせることで、彼本来の優しい心に強く迫ったのだ。

 冷たい夜風が彼の望みの多くを吹き飛ばし、たった一つの憎しみの感情だけを残した。
 それは何者も抗い難い絶対的な力だった。
 さらにリアムを抱き締めていたことで、憎しみと力はより黒く強くなっていた。
 奴等は人間であり、人間の多くがソレを知りながら、見て見ぬふりをしているのだから。「人間」全てに憎しみの感情を向けるように、彼の心に刻み込んだのだった。
 ついに彼の心を激しくかき回し、右腕と一体化したソレは、不思議な力を使えるほどに大きくなっていった。
 彼の血肉を得て、しなやかなその男の片腕となり、彼の心と体を掴み取ったのだ。


「俺はもっともっと強くならなければならない。もっと力が欲しい…もっとだ…もっと…鬼神のように絶対的な力が!
 奴等がいなくなれば、幸せに生きられる国になる。
 そうだ…殺し尽くしてやる」
 フィオンの瞳には残忍な光が浮かび、リアムを抱き締めながら何度も繰り返した。

「権力の前では、正義ですら歪めることが出来る。略奪も暴行も陵辱も殺戮も、全てが許される。
 俺は、この目でそれを見てきた。
 そして、俺はそれを止められなかった。
 俺もそれをしてきた。何人も何人も殺したんだ。
 失敗出来ない…なんとしても果たさねば…自由という光を取り戻す為には、奴等を殺さねばならない。
 俺には必要だ…殺し尽くすほどの絶対的な力が!」
 フィオンが憎しみを込めて口にすると、槍を握り続けた右腕が燃えるように熱くなった。

(この国には、この国のルールがある。殺し合い、生命を奪うまで、終わらない。
 蔓延る悪は、既に醜く歪みきっている。罰なんてものでは、生ぬるい。奴等は、すでに腐り切っているのだから。
 苦しめた分だけ、より残酷に殺さねばならない。
 この手で終わらせてやる…必ず終わらせてやる)
 フィオンの憎しみの感情だけを、強烈に燃え上がらせていった。風は轟々と音を上げ、槍の騎士のマントを激しく翻した。

「フィオンさん…絶大な力が…必要なんですね。分かりました。もう…大丈夫ですよ。
 フィオンさん…フィオンさんは…大丈夫じゃなかったんです。僕以上に、自らを殺して生きてきた。
 そんな事が…出来る人じゃなかったのに…。
 貴方も、運命によって選ばれていたんです。
 しかし神は、本当に、残酷なことをされた。貴方を見極める為に大切な人を奪い…心と体を武装させ、人間以上の力を与えられた。
 僕はあの瞬間…その力を、見ました。
 だからこそ、貴方は誰もが恐れるほどに強い。
 1人の男の人生を狂わせてまで、人間にチャンスをお与えになるなんて…何故それほどまでに神は人間ごときを愛するのか…。
 神は人間の恐ろしさと醜さを、既にご存知のはずなのに…何故それほどまでに慈悲をかけられるのでしょうか?
 貴方が、これほど苦しんでいるというのに…全ては神が敷かれた道だったのです。貴方に重荷を背負わせることで、凄まじい力を与えられた。
 人間が辿る道は破滅だと決まっているというのに…いえ…しかし、僕はフィオンさんだけは守ってみせます」
 リアムは風の音を聞きながら言うと、夜の闇のような妖艶な黒い瞳をフィオンに向けた。

「フィオンさんのことは…心から好きなんです。それだけは真実ですから。
 貴方のことだけは、必ず、守ってみせます。この生命にかえても。全てが終わっても、貴方だけは絶対に死なせません。
 あの御方にも…聞いていただけるはずですから…」
 リアムは逞しい腕に包まれながら言うと、自らの杖を握り静かに弧を描きだした。

「もう一度、貴方の望みを聞かせてください」
 と、黒い瞳をした魔法使いは言った。

「俺は…」 
 と、フィオンは口を開いた。

 夜風が赤髪を靡かせ、闇が体を完全に包み込んだ。
 彼の望みを口にさせ、漆黒の魔法使いは全てを完成させる為に、その先の魔法陣を描いたのだった。




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