クリスタルの封印

大林 朔也

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「違う…そんなはずはない…」
 アンセルは言葉にもしたが、心に引っかかったものは大きくなっていくばかりだった。

「そうだ…。ならば…最初から考えてみよう。最初から…全てのはじまりからだ」
 アンセルは真っ青になりながら、全てのはじまりに戻って整理してみることにした。


 全てのはじまりである「英雄譚」から考えていけば、感じ取ったその男の正体が真実であるのか分かるような気がした。
 厳しい鍛錬と稽古を乗り越えて、かつての魔王のカケラに打ち勝った今だからこそ分かることがあるように思ったのだった。

 アンセルは大きく息を吐き、心を落ち着かせてから「英雄譚」について考え始めた。


「しかし弓の勇者は止めを刺すことが出来なかった」と伝えられているが、そこまで追い詰めていながら、なぜ弓の勇者は止めを刺せなかったのだろう?
 光の矢に力の全てを注ぎ込んで力が残されていなかったとしたら、ダンジョンに強力な封印の魔法を施せなくなってしまうから違うだろう。ならば、彼の心がそうさせなかったのだろうか。彼を躊躇わせたのは何だろう。人間の世界を滅ぼそうと企む魔王を探し出し討伐するという目的を持って旅に出たにもかかわらず、止めを刺せなかったのである。
 その目的が揺らいだのではなかろうか?
 魔王が絶対的な悪であり自らが絶対的な正義だと思うことが出来なくなったのではないかと、考えるようになっていった。


「弓の勇者はクリスタルを拾うと一筋の涙を流し、他の勇者の遺体と共に、それを最下層に葬った」と伝えられているが、一体何を思って涙を流したのだろう?
 友を亡くしたことによる涙ならば、クリスタルを拾って涙を流すことはない。
 クリスタルに封印された者をも悲しむ涙を流したのではないかと、考えるようになっていった。


「弓の勇者がダンジョンを出ると、残された全ての魔力を使い強力な封印の魔法を施した。このダンジョンを外の世界と切り離し、誰も出ることも入ることも出来なくしてしまったのだった」と伝えられているが、何故そのような事が可能だったのだろうか?
 世界一の魔法使いであるユリウスが作ったダンジョンに魔法を施すのならば、ユリウスと同じぐらいの力がないと不可能だ。それは剣の稽古を続けたことで、ようやく分かったことだった。相手と対等に戦うには、同程度かそれ以上の力がなければならない。
 地中深くにあるダンジョンに、そのような魔法が施せるとしたらとてつもない魔力の持ち主だ。そもそも、弓の勇者は人間である。マーティスも「とてつもない強力な魔法だ」と言っていたではないか。
 さらに弓の勇者が優れていたのは防御魔法であったはずなのに、どうしてそのような封印の魔法が施せたのだろう。
 本当は「別の誰か」が封印を施したのではないのかと、アンセルは考えるようになっていった。


「一体、どうなっているんだ?
 何もかもが、疑わしく思えてくる」
 と、アンセルはため息混じりに言った。

 疑わしそうに水晶玉に映る世界を見た。夜空はとても輝いているのに、月明かりが照らす大地には、浅ましい四つん這いの生き物がガサガサと動いていた。
 四つん這いの生き物は、ガツガツと草を食べ、美しい花々をを踏み荒らした。長い指には大きな宝石の指輪をつけ、骨と皮の腕で鳥や動物たちの首を絞めながら、じろじろと勇者と魔法使いを見ているようであった。

 何者かが鋭い眼差しを向けて荒れ狂う風を吹かせると、四つん這いの生き物は叫び声を上げた。ヒィヒィと声を上げながら、巨大な権力に隠れようとするかのように走り出した。その先には、大きな城があった。

 アンセルは自分が見たものに驚いていると、水晶玉は震えるような音を立てた。その幻か現実か分からないものは、消え去っていった。

 部屋の中は急に寒くなったが、最後まで考えなければならない。アンセルは気を取り直して、再び英雄譚について考えることにした。瞼には大きな城が焼きついていたので、弓の勇者がオラリオン王国に帰ってからのことについて考えることにした。

「二度と立ち入ることが出来ぬと答えたことで、3つの国の国王は諦め、そして安堵したようであった」と伝えられているが、3つの国の国王はなぜ安堵したのだろうか?
 アンセルが腕組みをしていると、先程の四つん這いの生き物がまた水晶玉に現れて、大きな城の中へと入っていった。
 四つん這いの生き物は城の中に入るやいなや、大きく息を吐いて、二足歩行の生き物へと形を変えていったのだった。
 そして向かうは、国王のもとである。 
 国王の前で跪くと「何も変わったことはありません」と報告したのであった。国王が薄笑いを浮かべると、それを見たアンセルは国王という人間がとても恐ろしくなった。


「しかし祈りの儀が終わる頃、友を失った悲しみと、この戦いにより疲れ切った体を癒す為に「静かな暮らしがしたい」と書いた手紙だけを残して、忽然と姿を消したのだった」と伝えられているが、国を救った勇者が逃げるように姿を消した理由が分からなかった。
 オラリオンに帰還し、自らが救った国民からの歓声は、とても心地よいものだろう。勇者から仲間を守り抜いた時の仲間の喜びの声は、心地よいものに違いないのだから。
 しかも魔王をクリスタルに封印したのだから、全てが約束されている。栄誉と地位の何もかもをだ。
 しかし、彼は男としての最高の名誉を受け取らなかった。勇者に選ばれた時は、少なからずそれを手にすることも望んでいただろう。

 しかし、彼は「英雄」とはならなかった。英雄となった「勇者」は、なぜ逃げるように国から去ったのか?
 英雄になった男が「その先」に何を見たのか?
 一体、何から去りたかったのだろう。
 静かな暮らしをしたいというのであれば、国王に願い出れば良かったのではないか?
 けれど、それすらもしたくない…自分が何処にいるのかも知られたくなかったのかもしれない。誰とも関わらない道を選んだ。選ばざるをえなくなったというべきなのか。
 一体、何が、弓の勇者を変えてしまったのだろうか?希望に溢れた瞳を、絶望に変えてしまったのだろうか?
 知ってしまったことで、全ての望みを失ってしまったのだろう。あまりに絶望し、家族や仲間や愛する者のもとから去っていったのだ。それは、現実の残酷さを知った者にしか分からない。
 そうして、弓の勇者は去っていった。
 その光景と灰を知ったアンセルが打ちのめされたように、弓の勇者は乗り越えられないモノを知ったのだろう。
 アンセルも乗り越えられなければ、自らの体を差し出していただろう。弓の勇者が国を去ったように、アンセルはダンジョンの魔王という立場から去ったことだろう。
 今なら分かる。
 弓の勇者は、恐ろしい真実に苦しんだのだろう。

「誰にも言えずに、辛かっただろうな。
 俺には…全力で、俺を支えてくれる者たちがいた。
 かつての魔王は『まだ何も分かっていない』と言っていた。弓の勇者は全てを見たのだ…俺がまだ知らない真実がある」
 と、アンセルは呟いた。

 肉体だけでなく精神的にも、もっと強くならなければならない。その真実は、勇者の心を破壊するほど残酷なのだから。
 美しい英雄譚ではなく、悲しい英雄譚だと思わずにはいられなかった。



 アンセルはまた答えに近づいたような気がした。アンセルを見続ける、その男の瞳を感じたのだった。
 すると、アンセルの右太腿が急に痛くなった。剣を突き刺されたような激しい痛みを感じると、剣の稽古で右太腿を突き刺されて覚醒した瞬間を思い出した。
 アンセルが右太腿を見ると、ぱっくりと突き刺された太腿から大量の血を流し、右手が触れただけでみるみるうちに回復していく幻を見たのだった。あの時は、ドラゴンの強靭な鱗が目覚めたのかと思っていたが、鱗が目覚めただけでは骨は元通りにはならないだろう。
 マーティスが斬り裂いた腕を魔術で治してくれたように、あれは魔法の力だったのかもしれない。ならば、その手で触れるだけで瞬時に治せるほどの絶大なる魔力だ。
 そう…絶大なる力だ。マーティスが数日かかるほどの回復魔法を一瞬でやり遂げてしまうのだから。
 アンセルはそう考えると、全身に鳥肌が立っていった。

 魔力について考えていると、マーティスとの書庫での会話を思い出していった。

「かつての魔王の絶大なる力の前では、勇者と共に立ち向かったとしても希望を失えば…絶望となるでしょう」と言っていたが、勇者と共に立ち向かったのは、そもそも誰だったのだろう?
 その問いは恐ろしくもあったが、絶大なる力とは絶大なる魔力のことなのかもしれない。

「力のレベルが違いすぎるからです。僕など足元にも及びません」と、マーティスは言っていたこともあった。
 そしてアンセルが立ち向かう決心をした日、治療のことについて聞いた時にも「かつての魔王が斬った傷は完全には治せません。僕など足元にも及びません」とも言っていたのだ。
 ただの偶然かもしれないが、マーティスは同じ言葉を言っていたのだった。

 そもそもかつての魔王の激しい憎しみは「何に」向けられていたのだろう。
 それは魔王として目覚めた今ならば分かるような気がした。仲間があれほど苦しめられているのに黙っていられようか?
 恐ろしい暴力と許されない性的行為に仲間が苦しめられているのならば、殺したいほど憎いと思うだろう。ルークの苦しむ姿が目に焼きついて離れない。衝動的に、殺していたかもしれない。

 しかし、それならば魔物とは一体何なのだろうか?

 考えれば考えるほどに、アンセルは暗い気持ちになっていった。導き出される答えは、どうしても一つだった。

「この世界は、一体どうなっている?
 俺は、一体何者なんだ?ドラゴンとは…一体…何なんだ?」
 と、アンセルは呟いていた。
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