クリスタルの封印

大林 朔也

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叫び 2

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 剣の稽古が始まると、いつも通りアンセルの心臓が大きく揺れ動いて、頭がズキズキと痛み出した。
 両腕がガタガタと震え出し、炎に焼かれているように熱くなった。その凄まじい痛みは、その男によって放たれた紅蓮の炎と同じものだった。全身を激しく駆け抜けていき、今度こそアンセルの魂を焼き尽くそうとするかのようだった。

 紅蓮の炎に焼かれながら膝を折りそうになったが、惨たらしい光景を見たアンセルは覚悟を決めていた。
 人間を殺し尽くし、その死体を焼き、世界を絶望で覆い尽くす為に自らの体が使われるなど耐えられなかった。

(違うやり方で、俺は守り抜いてみせる。
 泉の加護の力を使い、俺の力で、この両腕に巣食うかつての魔王を追い出してみせる)
 アンセルは剣を鞘から抜き、柄を両手で握り締めた。剣に願いを込めて、泉の加護の力を引き出そうと雄叫びを上げた。

 しかしアンセルが握る剣は圧倒的な力の前に、その意志を封じ込められた。水色に光り輝くこともなければ、文字がユラユラと動き出すこともなかった。

(ダメか…いや、まだ望みはある。剣は、2本ある。俺は諦めない、俺に残された希望を…)

「剣を渡せ!」
 アンセルが叫ぶと、ミノスは何が起こったのかと驚いて動きを止めた。

「早く、剣を渡すんだ!」
 と、アンセルは鬼気迫った表情で言った。凄まじい痛みはアンセルの心臓を握り潰そうとし、今にも動きを止めてしまいそうだった。

 はじめて泉の加護が宿った剣を握ったアンセルは、この身が斬り裂かれるような感覚を味わった。
 すぐさまアンセルを苦しめていた力は、泉の加護が宿った剣を滅ぼそうとするかのように動き出した。

 アンセルは壮絶な2つの苦しみに挟まれて体が破裂しそうになっていたが、これが最後のチャンスだと分かっていた。

「今の魔王は、この俺だ!」
 と、アンセルは大声で叫んだ。
 自らの意志があるうちにと、剣を左肘に突き立てると真っ直ぐに斬り下ろしていった。
 流れ落ちていく血は赤黒く、床に大きな音を立てて落ちた。強烈な痛みが走りアンセルは倒れてしまいそうになったが、足に力をいれて踏ん張った。

 ミノスは目を大きく見開いた。今すぐに止めさせなければならないと思ったが、アンセルの覚悟を感じると、最後まで見届けなければならないと思った。

「いいか!今の魔王は、この俺だ!
 この体は、誰にも渡さない。
 俺がこの手で仲間を守る。俺が守り抜いてみせる!
 俺は人間を殺さない!殺さずに、ここを守りぬく!彼等のことも、決して見殺しになんてしない!
 お前とは違うやり方で、俺は人間に分からせてやる!
 そしてお前が生み出した魔物も変われるということを、新たな道を進めるということを証明してやる!
 お前が俺に醜悪さを見せるのならば、俺がお前に美しさを見せてやる!
 お前は、そこで黙って見ていろ!
 体を得ていない以上、お前に神の許しはまだ出ていない!
 お前はその力を巧みに操り、暴走しているだけだ!クリスタルの封印に戻るがいい!!」
 アンセルは広場中に響き渡るほどの大声を上げた。すかさず剣を口に咥えると、右腕も同様に斬り下ろしていった。

 すると、アンセルの魂の奥底で、その男の声が響き渡ったのだった。

『ほぅ…なかなか面白い手段を選んだな。自らを傷つけてまで私に抗うとはな。
 そこまでして殺さないと決めた者たちに裏切られ、悲嘆する姿は実に滑稽だろう。
 キサマは、まだ何も分かっていない。
 キサマは必ず絶望し、私を求める。
 その優しさは、いつの日か、キサマを狂わせる。
 キサマもやがて失う日が来るだろう。
 だが、今は、それでいい。
 それでなければ、私の新たな体としてキサマを選んだ意味がない。私の力に適合する為に、そう…私の為に、体と心を鍛え抜いておくんだな。
 今回は、クリスタルの中に戻ってやろう』
 その男が甘美な声で囁くと、両腕が氷のように冷たくなっていった。

『アンセル、面白いことを教えてやろう。
 私は別の体でキサマの体をもらい受けにゆく。ドラゴンの遺児である…キサマの体をな。
 何故、キサマを遺していったのか。
 全ては、こうなる運命だった。それだけは、感謝しておこう。
 かつての決戦以上に面白いものを、私に見せてくれ。
 もっともっと力をつけろ。今のままでは相手にもならぬ。
 私は必ずキサマの体で、アヤツが施した封印を解き、人間を滅ぼしてくれよう』
 と、その男は言った。斬り裂いた両腕からは、その力を追い出したかのような血飛沫が上がった。

 アンセルは全ての力を使い果たすと、咥えていた剣を落とし、その場に崩れ落ちていった。床に落ちた剣身は銀色になっていた。

 風が巻き上がりアンセルの体を包み込んだ後に、広場のドアがバタンと大きな音を立てて開いた。
 
 ミノスがアンセルを抱き起こすと、床に出来た血の海には小さな土の塊が混じっていた。
 ミノスは土を目にすると、大事に拾い上げた。自らの服の袖を引きちぎって包むと、ポケットの中にしまった。
 アンセルの両腕を止血すると、広場を大急ぎで出て行った。階段を駆け上がるたびにアンセルの顔色は白くなり、ぐったりとしていった。

 マーティスはミノスの腕の中で全身血だらけとなり両腕がダランと垂れているアンセルを見るとギョッとした顔になったが、理由は聞かずに、すぐにアンセルの治療にとりかかった。
 ミノスはただ静かにアンセルの為に祈り続けた。
 長い長い時間が流れてから、マーティスは額の汗を拭い口を開いた。

「大丈夫です。今日と明日、安静にしていれば元に戻ります。いえ、戻します。僕が、必ず」

 ミノスはアンセルの寝顔を見ながら、恐怖と絶望がようやく去ったことを嬉しく思っていた。大きな壁を乗り越えたことでどこか自信に満ちた顔になっていて、とても頼もしく思えた。
 長い間アンセルを覆っていた闇が消え去り、ようやく輝かしい希望が戻ったかのようだった。
 ミノスがそう思い込もうとしたわけでもなかった。それは紛れもない事実だった。ミノスやマーティスの助けもあったが、かつての魔王のカケラを追い出したのはアンセル自身の力だったのだから。

「ありがとう、アンセル様を頼む」
 ミノスはそう言うと、希望と願いを込めながら封印の部屋へと向かった。

(神は、この世界をお許しになられたのかもしれない。
 アンセル様自身の力で、かつての魔王のカケラを取り出すことが出来たのだから。
 クリスタルの禍々しい光も消えていれば「その力」を授けていただけるかもしれない。
 3つの国の大陸は森にかえらずにすみ、人間は救われ、あらゆる者たちが希望を見ることが出来るだろう。
 それに…かつての魔王が、これ以上人間を殺さずにすむ。
 アンセル様の苦しみも…これで…)
 ミノスは祈るようにポケットに触れながら、石の扉の前に立った。震える手で鍵を開けると、恐る恐る扉を開けた。

(どうか…どうか…)
 と、ミノスは強く願い続けた。

 封印の部屋の中では、クリスタルが燦然と輝いていた。
 その美しさは神々しく、願いは聞き届けられたかのように思えたが、次の瞬間には禍々しい光を放った。

「あぁ……様」
 ミノスは悲痛な声を上げながら近付いて行くと、クリスタルを見ながら崩れ落ちた。

 ミノスは人間を襲って村を焼き、憎しみに駆られながら蹂躙した日々を思った。

 死体の山、魔物たちが喰いちぎった人間の腕や足。

 同胞が残酷に殺されたことで怒り狂い、人間を激しく憎んだ。かつての魔王から力をもらい、村や町に大群で押し寄せ、逃げ惑う人間を殺し尽くした。
 それが正しいと信じていた。
 殺戮には殺戮によって報復せねば、死んだ同胞が浮かばれぬと。
 けれど…今となっては後悔に苛まれ、人間の叫び声が胸を深く刺し貫く。

 正しかったのか?
 過ちだったのではないか?
 他にも道があったのではないか?
 ずっと答えが見つからない。

 かつての魔王の前では「過ち」と言ったが、本当は分からなかった。言葉では綺麗事を述べても、感情は違う部分があった。
 かつての魔王は、ミノスの心を分かっていた。
 それは、今もなおミノスを苦しめ続けた。
 それが憎しみ、それが殺戮、それが闇。
 何年生きようが、どれほど考えようが、答えは見つからない。見つかるはずなどない。

 殺したかった。殺したことで、報われた気持ちもあった。
 けれど殺したところで、何も変わらなかった。
 あの瞬間だけは、心が満たされた。しかしすぐに心は渇き、より一層の復讐心に駆られて生命を奪い尽くした。

 殺された同胞、殺した人間、答えは見つからない。

 ミノスは震える手で土の塊を大事に取り出すと、クリスタルの横に静かにおいた。
 ミノスは涙を流しながら、頭を垂れたのだった。

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