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灰 1
しおりを挟む自らの決断を考えるほどに、アンセルの優しい心には闇が重たく垂れこめていった。
どれだけ考えても閉ざされたダンジョンでは出来ることなど何もなく、無力さを感じるだけだった。金色の瞳が本来の輝きを失くして大部分が影に覆われると、魔法使いの子供たちの苦しむ姿が頻繁に心に浮かぶようになった。
アンセルは苦しくてたまらなかった。今もこうしている間に魔法使いの子供たちが、男たちからひどい暴力を受けていると思うと、憎む気持ちがどんどん強くなっていった。
これが自分の気持ちなのか、そう思うようにさせられているのかすら分からないほどだった。
抵抗が出来ない者や抵抗する力すらも奪われた者に対して、嬉々としながら暴力を振るい続ける男たちの醜い笑顔が浮かんだ。その醜い笑顔は、こちらに向かってやって来る勇者の顔に重なっていった。
魔法使いの子供たちが魔物の子供たちとなると、勇者に次々と捕えられて引き摺るように3つの国に連れて行かれ、見せ物にされながら処刑されていく姿が浮かんだ。
処刑を見ている人間は歓声を上げたり石を投げたり、そうでなければ無関心に酒を飲んでいるのだった。
想像が広がっていくと、人間が憎くて憎くてたまらなくなった。男たちは勇者となり、勇者は見ている者と傍観者となり、やがては人間全てとなったのだ。
人間全てに、その報いを受けさせなければならないと思った。
「罪の重さを、人間に思い知らせてやらなければならない。
恐ろしい暴力を、奴等も味わわねばならない。さもなければ、分からないだろう?
同じ恐怖を、味わえばいい。
アレが人間の真実ならば、奴等に暴力をやめさせたところで何も変わらない。次から次へと蛆虫のように湧いてくるだろう。やめさせても、やめさせても、終わらない。
何度でも繰り返すだろう。
柔和な顔をした男ですら、その実は恐ろしい男だった。人間はいくらでも化けの皮を被れるのだから、全ての人間が被っているのだろう。人間なんて、信じてはいけない。
ならば、いっそのこと全てを粛清し、新たな世界をつくった方がいいのかもしれない。
暴力は受け入れられないが、俺がしようとしているのは暴力ではなく、人間に正当な罰を与えるだけだ。
俺にはソレが許されている…その為の力なのだから…」
アンセルは恐ろしい形相でそう呟いたが、すぐにまたリリィの温もりを思い出した。
(ちがう…そうじゃない。
たしかに…力がなければ、ダンジョンは破壊され、魔物は殲滅されるだろう。向かって来る勇者と、戦わなければならない。
しかし戦うとは、魔物の声を届けることだ。
俺は、俺の決断をしなければならない。
人間を殺し尽くして、俺は…俺たちは…生き続けることが出来るのだろうか?被害者になりたくなかったら、加害者になるしかないのだろうか?降り注ぐ血の重みに、耐えられるのだろうか?
その先に、俺は何を見るのだろう…)
アンセルが深い溜め息をつきながら天井を見上げると、その男が囁いた言葉が降り注いできた。
『神の審判は、すでに下されているのだから。
美しいものでないのならば「人間」に罰を与えてやらねばならない…5つの国が、3つの国になったように。
醜悪な灰を堆肥にし、その上に咲き誇る木々は、とても美しい。それは、神が愛した本来の世界だから』
(5つの国が、3つの国になった。では…あとの2つの国は…どこにいったんだろう?)
アンセルが目を閉じると、マーティスが以前に見せてくれたこの世界の地図を思い出した。
この世界に、大陸は2つしかなかった。人間が暮らす3つの国の大陸と、このダンジョンがある大陸だ。
アンセルは腕組みをしながら考えた。
(2つの国の領土は併合されたのだろうか?いや…ちがう。それだと、かつての魔王が言うような人間に罰を与えたことにはならないだろう。
大洪水か何かが起こって…2つの国は海に沈んだのだろうか?しかし海に沈んだのなら、木は育たないから違う。
咲き誇る木々…とは…森…のことか?も…り…?
ここは…最果ての…森。このダンジョンは…最果ての森にある…)
アンセルは恐ろしいことに気付いた。身震いしながら目を開けると、天井に描かれていた騎士と天使の絵を思い出した。
赤い瞳をした天使が吹く楽器は血の色で赤黒く染まり、その足元には粉々になった盾と斧が転がっていた。
3つの国は剣と槍と弓を掲げているのだから、2つの国は盾と斧を掲げていたのだろう。
黒い瞳にかわった天使が見る視線の先には、剣と槍と弓が輝いていた。
「盾と斧は、何処にいってしまったのだろうか…」
そう呟いたのと同時に、天井画が意味していることにも気付くと体がガタガタと震え出した。
(あれは、ただの天井画ではない。この世界の過去と現在が描かれているのだろう。
盾と斧である2つの国は罰を受けて粉々にされ、剣と槍と弓である3つの国を…神の使いである者が人間を裁く為に見つめている…。
いや…まさか…ありえない…。
この森は、人間のなれの果ての姿…そこに、このダンジョンがあるとしたら…)
アンセルは悲鳴を上げてしまいそうになった。
「生命を踏みにじった絶望の上を歩き続けることなど…それを知りながら歩き続けるのは恐ろしくて…」
マーティスの言葉も思い出すと、アンセルは全てが繋がったような気がした。
すると部屋の天井がグルグルと渦を巻き、そこには2つの国が描かれた。天使が楽器を吹き鳴らすと、2つの国は瞬く間に燃えていき、残されたのは灰だけとなった。
灰の一部は、まだ動くことが出来た。灰はまだ自らが生きていると思い込んでいるのだろう。
灰は積み重なり、人間のような形となると、救いを求めて彷徨い出した。天井を歩き回ってから壁を降りてきて、床を這いながらアンセルに迫ってきたのだ。
アンセルは恐ろしくなり、逃げるように後ずさった。
灰はもう形を維持するのは困難で、ボロボロと崩れていくと、酷い悪臭が漂った。
アンセルは息をすることも苦しくなった。
憎しみに駆られ怒りのままに戦いを選べば、辿り着くのが「何」であるのかを、自らに問いかけなければならない。
そこには、喜びもなければ勝利もない。耳に響くのは、彼が殺した人間の叫び声だけとなった。
アンセルは恐ろしくなって部屋から飛び出すと、18階層まで全力で走って行った。
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