クリスタルの封印

大林 朔也

文字の大きさ
上 下
65 / 142

勇者と記憶 1

しおりを挟む



 アーロンとフィオンは宿屋まで競争するかのように馬を走らせた。宿屋に着くと、マーニャの様子を見に行くことにした。
 ドアをノックすると青い顔をしたエマが出てきて、悲しそうに首を横に振ったのだった。

「エマ、ずっとそうしていたのかい?
 大丈夫だよ。マーニャは良くなるから。君はもう休んだ方がいい」
 と、アーロンは言った。

「ありがとう。
 でもマーニャが目を覚ました時に、側にいたいの。体力はあるから、私」
 と、エマは言った。

「いや、休んだ方がいい。僕とフィオンが代わるよ。
 僕の部屋よりフィオンの部屋の方が片付いているから、そこで休むといい。マーニャが起きたら呼びに行くから安心して」
 アーロンはなんとかしてエマを休ませようとしたが、彼女はマーニャの側から離れようとはしなかった。

 アーロンが困った顔をしながらエマを見ていると、2人のやりとりを黙って後ろで見ていたフィオンが口を開いた。

「そうそう!
 そんな疲れた顔をしてたら、せっかくの美人が台無しだ」

「私が美人なわけないでしょう!?髪もボサボサで、こんな灰色の服を着てるのよ!」 
 エマが顔を赤くしながら否定すると、フィオンはアーロンを押しのけた。

「服なんて関係ない。エマは美しいよ」
 フィオンはいつもとは違う落ち着いた声で言った。

「弓を引く凛とした姿は、本当に綺麗だ。真剣な横顔は魅力的だし、それに…」
 フィオンがさらに褒め出すと、エマは耳をふさぎながら部屋をそそくさと出て行った。フィオンの部屋に入ると、ドアをバタンと閉めた。

「君って男は…どうしようもないな。そういうのはやめたらどうだ?その気になったりする女性もいるんだから」
 アーロンはドアを閉めながら呆れた声で言った。

「俺は仲間を褒めただけだよ。お前のことだって、気が向いたら褒めてやるよ。
 それに、この程度でそんな感情を持つわけないだろうが。そんな女には面倒臭くなるから言わねぇよ」
 と、フィオンは答えた。

 アーロンとフィオンはベッドまで歩いて行くと、目を閉じているマーニャの顔を見下ろした。彼女は朝と全く変わっていなかった。
 アーロンは心配そうな顔をしているフィオンと目を合わせてから、おもむろにベッドに両手をついて体を倒した。自らの額とマーニャの額を合わせると、ゆっくりと目を閉じた。

「おい!何をする気だ?」
 口付けをするつもりなのかと思ったフィオンは、慌ててアーロンの肩を掴んだ。

「マーニャの苦しみを感じてるんだ」
 と、アーロンは目を閉じたまま答えた。

「お前…大丈夫か?」
 フィオンはひきつった顔でそう言ったが、アーロンは真剣そのものだった。

 しばらくしてから、アーロンはゆっくりと体を起こした。

「僕は部屋に戻って荷物を取ってくる。君はここにいてくれ。君にいてもらわないと困るから」
 アーロンがそう言って自分の部屋に戻ると、小さな袋と水差しを持って戻ってきた。

「なんだ、それ?」
 と、フィオンは小さな袋を指差した。

「これか?この袋には特別な薬が入っている。
 役に立つかもしれないと思って、城から持ってきたんだよ。もちろん何も言わずにね」

「おい、見つかったらマズイやつだろ?」

「1瓶だけなら問題ない。どうせ、数え間違いぐらいにしか思わない。そういう連中だ」
 アーロンがそう言うと、フィオンは小さな袋を疑わしげな瞳で見た。

「大丈夫だ。僕はマーニャを守りたいだけだ。
 このままだといつ目覚めるか分からない。室のやり方は気に入らないが、これしかない。
 これ以上時間が経てば、マーニャの心はさらに苦しむだろう。光のない暗闇を、彼女は彷徨い続けている。
 だから、君がいてくれてよかった」
 と、アーロンは言った。

 アーロンは側のテーブルに水差しを置くと、袋の中から錠剤が入った瓶と透明な箱を取り出した。透明な箱の中から種を1粒取り出すと、素早く蓋を閉めた。
 腰に下げていた剣を抜くと、ベッドに立てかけるようにして置き、逞しい腕でマーニャを抱き起こした。
 アーロンはベッドに座ると、マーニャを膝の上で横抱きにして座らせた。

「君は黙って見ていて欲しい」
 アーロンは低い声でそう言うと、種を彼女の鼻に近づけていき指で押し潰した。

 すると、神経を刺激するような妙な香りが漂い始めた。

「マーニャ、目を覚ますんだ。
 大丈夫、何も怖くはないよ」
 アーロンがそう言うと、不思議なことにマーニャは目を開けた。だが心が空っぽのような虚な目をしていた。

「僕たちはマーニャに酷いことはしない。
 君を守りたいだけなんだ。
 だから、この薬を飲んで欲しい。自分で飲めるかな?」
 アーロンは優しい声で囁いたが、マーニャは虚な瞳をしたまま口を固く閉じていた。

「大丈夫だよ、マーニャ」
 アーロンは何度もそう囁いたが、マーニャはぴくりとも動かなかった。

「本当に辛かったんだね。
 では、僕が飲ませようか?
 それでいいのなら、もう一度目を閉じてもらえる?」
 アーロンがそう言うと、マーニャはゆっくりと目を閉じた。

「マーニャ…すまない」

 アーロンはマーニャのぷっくりとした下唇を長い指でなぞってから、中指と人差し指を合わせて下唇にあてがった。
 すると男の指を受け入れようとするかのように、閉じられていた唇が小さく開いた。

 アーロンは小さく開いた口を見ると、指の第2関節までをゆっくりと中に入れていった。傷つけないように優しく弧を描きながら中をかき回し続けた。固く閉じられていた口腔内を少しずつ広げていき、ある程度広げると濡れた指を引き抜いた。
 そして錠剤の入った瓶の蓋を開けて薬を取り出すと、薬を指の先で挟んだ。
 広げられてぽっかりと開いたままの口の中に、また長い指を今度は最奥まで届くように深く深く入れていった。
 中をゆっくりと掻き分けながら、その最奥まで辿り着くと指を左右に広げて錠剤を舌根にのせた。
 引き抜いた指は、マーニャの体液で少し糸を引いていた。

 アーロンは水差しを手にすると、尖った飲み口を彼女に咥えさせた。

「マーニャ、いいよ。飲んで」
 アーロンがそう言うと、マーニャの喉が動いて錠剤を飲み込んだようだった。

 アーロンは全てが終わると、マーニャをベッドに寝かせた。水で湿った唇を丁寧に紙で拭きとってから、耳を澄ませて呼吸が乱れていないことを確認した。

「マーニャ、しばらくお休み。
 薬を飲んでくれて、ありがとう。
 本当に、すまなかった」
 アーロンは悲しい顔をしながらそう呟いていた。

 フィオンは驚いた顔をしながら見ていたが、マーニャの頬に少し赤みがさしたのを見ると胸を撫で下ろした。

「フィオンが側にいてくれて良かったよ。
 こんなやり方しかなかったが、口移しよりかはいいだろう」
 と、アーロンは言った。

「すまん。俺のせいだよな…」
 と、フィオンは暗い顔をしながら言った。

「君のせいじゃない。ただ、溢れたんだ。
 次に目覚めたら、いつものマーニャに戻っているよ。
 君がマーニャの様子を見ていてくれ。僕は他にする事があるから先に部屋に戻るよ」
 アーロンはそう言うと、袋を持って部屋から出て行った。


しおりを挟む

処理中です...