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勇者とゼロ 2
しおりを挟む港から出ると、宿屋に戻る道とは全く別の方向にフィオンは早足で歩き出した。いくつもの角を曲がって狭い道を通り抜け、町の大通りに出ると人混みをすり抜けるように歩いた。そしてまた狭い路地へと入り薄暗い階段を上って行くと、レンガ造りの倉庫のような建物が見えた。
フィオンはその建物の扉に彫られた獅子の紋章のなかで、獅子が前足を上げているものを押した。扉が動くと、フィオンはアーロンの腕を掴んで素早く中へと入って行った。
そこで目にしたのは、美しい噴水と薔薇の花が咲く庭園だった。フィオンは噴水の前へと歩いて行き椅子に腰掛けると、アーロンにも座るように手で合図をした。
「ここなら誰も来ないし、いなくなった。
俺はプライドなんか持っちゃいない。お前は俺のことを何も見ていない。お前も結局は自分の見たいものを見ているだけだ。
俺に何かを期待してるような口ぶりは、迷惑なんだよ。
お前がどんなに間違っているのか、俺の口から話してやろう」
フィオンはキラキラと光を放つ噴水を見ながら言った。
「こんな落ち着いた場所で、誰かの目を気にすることなく話が出来るのなら僕は嬉しいよ」
と、アーロンは言った。
「だろ?感謝しろよな。そろそろ受け取るとするか…」
フィオンは立ち上がると、色とりどりの薔薇が咲く庭園の中を歩き出した。
満開のつる薔薇が絡んだアーチをくぐり抜けて、ドームの中に入ると、そこには美しい鳩が彼が来るのを待っていた。
フィオンは鳩に優しく触れてから手紙を受け取り、またアーチをくぐり抜けて戻って来ると、アーロンの隣にドサリと腰を下ろした。
「今日は、ゼロのつく日だからな」
と、フィオンは不思議な言葉を呟いた。
一枚の紙を読んでからポケットに乱暴にいれ、もう一枚を手に持ったままアーロンの顔を見た。
「死体の処理はすんだ」
と、フィオンは言った。
「そうか、ありがとう」
アーロンがそう言うと、フィオンはもう一枚の美しい空色の手紙を口元に寄せてから口を開いた。
「俺は、ゼロの男だ」
「ゼロ?どういう意味だ?」
アーロンは怪訝な顔をしながら言った。
噴水の音は心を落ち着かせるような優しい音であったが、フィオンにはその音すらも届かないのか瞳は鋭く光っていた。
「知らなかったのか?そんな風には聞いてなかったか?
お前も男だから興味があるのかと思っていた。
俺と彼女のことは、ソニオの騎士なら誰もが知ってる。
毎月ゼロのつく日に、この手紙を送ってくる年下の貴族の未亡人と会い、俺にはない全てを提供してもらっている。
ここまで上り詰めたこの俺が、最後はどうしようもなくて女の力に頼っている」
と、フィオンは言った。
2人の間には、冷たい風が吹いた。
同じ騎士の隊長ではあるが全く違う人間なのだと、その身に感じさせるかのような冷たい風だった。
美しい噴水の水面には空を飛ぶ鳥の影が映ったが、鳥はすぐに遠くへ飛び去っていった。
「恋人がいるのは知っていた。その女性のことだろう。
僕は…愛し合っているのだと思っていた」
アーロンがそう言うと、フィオンは冷めた目を向けた。
「愛し合う?笑わせんな。
お互いに愛し合ってなどいない。
なんで俺が、高慢な貴族の女なんて好きにならないといけない。彼女の言うことには全て従う代わりに助けてもらい、ただセックスしてるだけだ。男と女だから、そうなるだろう。愛し合ってるなんて思うな。
なんだよ、その顔?こんな男とは思ってなかったか?
お前が俺をどう思っていたのかは知らないが、俺はそういう男だ」
「何故、そんな事をしている?」
アーロンがそう言うと、フィオンは溜め息をついた。
美しい薔薇に目を向けてから右手を見た。その手は真っ赤な薔薇のように赤く染まっているように彼には見えていた。
「お前には、分からんだろうな。国王の息子のお前には、永遠に分からん世界だよ。
俺は成り上がりだ。この国の隊長は、俺を含めて皆んな狂っている。弱っちいところを見せたら、簡単に寝首を掻かれる。
俺も隊長になりたての頃は、大変だったんだ。隊長にまで上り詰めたが、待っていたのは所詮現実だ。そこには、夢も理想も希望もない。
いつも肉体的にも精神的にもキツい任務が下った。もう休む暇もないほどだった。俺は耐えられるが、俺の隊員の心と体はもたない。騎士や兵士といえども人間だ、脆さもある。
人間の汚い部分を見続けると、心が病んでいく。どんなに鋼のような肉体があっても、心はちがう。傷も癒えないうちに、新たな傷を負わされる。
それに俺がもらった領地が最悪でな…まぁ、いい場所なんかくれるわけもないよな。本来俺がもらうはずの領地は、いつの間にか別の隊長のものになってたよ。何をしても荒廃したままだった。何とかするだけの知識も財力もないしな。そうだ…俺には何もなかった。
隊長になったところで、情けねぇよな。結局は戦場に出て、敵を殺しまくるしかなかった。戦場に出て、敵の首をとることでもらえる金貨でやり過ごしていたけど、そんなものには限界がある。追い詰められていった。
そんな時に聡明で美しく、財力と深い人脈もある彼女に誘われた。
彼女は俺には無いものを…全て持っていた。国王と側近とも話が出来るし、領地の経営もしてくれる。
それと引き換えに、俺は彼女の足元に跪き、プライドの全てを捨てた。上り詰めた果ての景色は、そんなもんだった。
それでも俺は、この地位をなんとしても守り続ける。
まぁ、もともとセックスは好きだし、俺も美人を抱けるから満足はしてるんだけど。我儘で束縛も強くて、気も強いけど。でも、可愛いからな。
華々しい騎士団の隊長といえども、成り上がりの現実はそんなもんだ。それが、俺だ」
「そうか…すまない」
「なんだよ?その顔。哀れみのこもった目だな。
すまないなんて言葉、二度と俺に言うな」
と、フィオンは吐き捨てるように言った。それでも気がすまなかったのか、氷のように冷たい目を向けた。
「俺が歩いてきた道を哀れむな。
それだけはイラつくから」
フィオンがそう言うと、吹く風が噴水の水面を彼の怒りのようにザワザワと揺らしたのだった。
「なぜ彼女は君の事を?どうやって知り合ったんだ?」
「俺が凱旋した時に、たまたま俺を見たんだとよ。
よくある貴族の女の気まぐれだろう。
こんな国だからな、自分に絶対に逆らわない強い番犬でも欲しかったんだろう。それか早くに夫を亡くして寂しかったのかもな。俺はいろんな女を抱ける方がいいんだけど」
「他にもいるのか?彼女が悲しむぞ」
「彼女との約束がある。
関係を続けている間は、他の女とは寝ない。たとえ番犬でも、いろんな女と遊び回ってるのはプライドが許さないんだとさ。だから、サヨナラさせられた」
フィオンはそう言うと、彼女の手紙を見つめたあとにポケットにそっとしまいこんだ。
その瞬間、心地よい風が吹き、フローラルのいい香りが漂った。ほんの一瞬だったが、その香りに気が付いたアーロンはフィオンの腕を掴んだ。
「彼女が君をただの番犬として見ていると思っているのか?ただの体だけの関係だと?
彼女が君に惚れていないと、本当にそう思っているのか?」
アーロンはフィオンの瞳を見つめながら言った。
「そうだ。彼女から愛していると言われたことはないし、俺もそんな気はない。
だから、お互いに心はない体だけの関係だ」
フィオンはそう言うと、アーロンの手を振り払った。
「ちがう」
と、アーロンは言った。
フィオンは返事をしなかったが、アーロンは言葉を続けた。
「彼女との始まり方が、どうだったかは知らない。
どうして彼女が君を求めたのかは、本当のところは今の僕には分からない。
でもフィオン、彼女は本気で君に惚れている。
その手紙にふきつけられた香水は、とても高貴なものだ。貴族の中でも、一部の限られた者にしか手に入らない。
プライドの高い貴族の女性が、何らかの事情があって本当の思いを口では告げられずに、愛しているという気持ちを香りに託すものだ。
ちょうどいい時に風が吹いたから、僕もフローラルのいい香りを久しぶりに感じさせてもらった。
特別な香りだ。相当の想いが込められている。
全てを賭けてもいいほどに、君に惚れているぞ」
アーロンがそう言うと、フィオンは顔を背けた。
彼の瞳には美しい噴水と薔薇の花が映り、ドームの中で綺麗なドレスを着ている女性の姿が思い起こされた。
しかし散っていく薔薇が目に入ると、失ってきた数々のものが脳裏をよぎり、フィオンは静かに首を横に振った。
「君も本当は感じているんだろう?
それが分からない男でもあるまい。
それとも彼女が君に愛してると言えないように仕向けているのか?酷い男だな、君は」
アーロンがそう言うと、フィオンは小さく溜息をついてから口を開いた。
「なんで、こんな時に…風なんか吹くかな。
彼女が俺をどう思ってるかは関係ないし、恋人同士になるつもりはない。毎回彼女を抱く前には「愛してはいないし、これからも愛することはない」と言っている。
それに彼女が頷いてからしか、彼女を抱かない。
彼女の夢につきあわされるのは、ごめんだ」
「酷い男だな、君は。
彼女はもう君から離れられない。香りに託すほどに、夢中になっているんだから。
そこまで君に惚れているんだ。彼女にそうさせるほどのことを君がしたんだろう?体だけじゃなく、心も激しく揺さぶったんだ。
気付かないうちに彼女の欲しい言葉でも囁いたんだろう。そういうところは、大いにありそうだからな。
しかし僕が思うに…女性を愛してはいけないと自らに呪いをかけているようだ。本気になるのが怖いのか?
それとも大切な人でも失くしたのか?」
「ちがう!」
フィオンは立ち上がると、大きな声を出した。
「お前、マジでぶっ殺すぞ。
恋や愛は、俺には要らないだけだ。面倒くさいし理解も出来ない。鬱陶しくて邪魔だ。女とはセックスが出来るだけでいい。
彼女はただ夢の中で作り出した俺を見ているだけだ。
今は夢を見ているが、夢から覚めれば後悔する。
決して彼女は俺を愛してなどいない。
それに俺は女を幸せに出来る男じゃない。
そんなこと俺には…俺だけが女を愛して愛されて、俺だけが幸せになるなんて許されない。俺は彼女を愛することはない」
フィオンはそう言うと、美しい薔薇の花を見ながら頭を抱えるように座り込んだ。
「ベラベラと喋らされた。失敗したな。いつも調子を崩される。
もう彼女の話はたくさんだ。
ようやく自由な旅を満喫してるんだから、彼女の顔を思い出させるな。
お前はどうなんだ?ここまで俺に言わせたんだ。
お前も、なんか喋れよ」
フィオンは顔を上げると、アーロンの肩をバンッと叩いた。
「そうだな。
けれど、何故彼女の話を僕にしてくれる気になったんだ?」
「なんでかな…。俺にもよく分からんわ」
と、フィオンは言った。
「そうか。ただ…どんな話を聞かされようとも僕は君がすきだ。
最後の言葉で、君が君なりに彼女を大事にしていると僕は思ったよ。
僕も、いた。優しくてたおやかな花のような女性だ」
アーロンの瞳は、その女性を見ているかのように優しくなった。
「花か?」
「そうだ。今では遠いところにある美しい花だ」
アーロンは立ち上がると、美しく咲く白い薔薇の花に近づいて行った。その花は、アーロンですら手の届かない高い場所で咲いていた。
「今でも愛しているような口ぶりだな。
なんで別れた?」
「愛しているから別れたんだ。
僕には、やらねばならないことがある」
アーロンはそう言うと、ゆっくりとフィオンを振り返った。
「愛しているのに別れたのか?
複雑すぎて、よく分からんな」
と、フィオンは言った。
「よく分からないのは君の方だ。
君も、なかなか複雑だ」
アーロンがそう言うと、フィオンは聞こえなかったかのように赤い髪をかき上げてから立ち上がった。
フィオンがアーロンの隣に立ってその白い薔薇を見つめると、アーロンは静かに口を開いた。
「僕は生涯彼女だけを愛し続ける。
この腕で二度と彼女を抱き締められなくても。
彼女の美しい全てを、ずっと覚えている。
僕は彼女だけを、今も、これからも愛し続ける」
アーロンは愛しい女性を思いながら言った。
彼は今もなお恋い焦がれていた。
共に過ごした美しい数々の思い出に浸りながらも、騎士の剣を強く握り締めたのだった。
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