クリスタルの封印

大林 朔也

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勇者とラスカの町 1

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「そんな名前の町は、地図にはのっていないぞ」
 アーロンは地図を見ながら不思議そうな顔で言った。

「地図には存在しない町だ。
 あの場所には関わりたくない。橋の近くの村に今夜は泊まろう。落橋すれば、ラスカの町を通ることになる。
 さぁ、行こう」
 フィオンはそう言うと、足早に宿屋を出て行った。

 見上げた空には、小さな雲のかたまりが広がっていた。
 フィオンはリアムを馬に乗せると颯爽と走り出した。その後を追うように、アーロンとエマも魔法使いを馬に乗せて走り出した。

 ポツポツと雨が降り始めた。昼を過ぎても休むことなく馬は走り続けたが、雨風はどんどん激しくなっていった。ずぶ濡れになりながら、ようやく村に辿り着いた頃には、すっかり暗くなっていた。
 村の門は、既に閉まっていた。
 一行の体には雨がどんどん吹きつけていき、空には雷が鳴り響くようになっていた。
 フィオンは門を叩いたが、何の声も聞こえてこなかった。すると今度は、雷鳴にも負けないほどの大声を出しながら門を叩き始めた。

 しばらくして門番が悪態をつきながら歩いてくる足音がした。門番の男は小窓を僅かに開くと、こんな嵐の夜にやってきた旅人を迷惑そうな目で見た。
 そこには雨で濡れたマントがまとわりいている屈強な体つきをした男が立っている。濡れて雫を垂らす赤い髪のしたから見える瞳は鋭く光っていた。
 門番の目には、困惑の色が広がっていった。何も見なかったとばかりに小窓を閉めようとすると、エマが顔を出した。

 エマに気づいた門番はフィオンを見ることなく、エマと話をしながら小さな3人の者たちにも目を向けた。
 ならず者ではなく旅人だと確信したのだろう。
 ようやく門の錠を外し、一行を中へと入れてくれたのだった。

「どうぞ。ひどい雨の晩ですね。
 ここいらは物騒ですからね。悪く思わないで下さいよ。
 よろしければ宿屋に案内しますよ」
 門番は低い声でそう言うと、辺りを警戒しながら門をすばやく閉めた。

 雨に打たれながら門番の後ろを歩いて行く一行を、村の大柄な男たちがジロジロと見てきた。男たちは鎧のようなものをつけ右手には農具を握り、左手には大きな黒い犬を連れていた。
 宿屋に着くと、門番が「お客様ですよ」と大きな声で言いながら呼び鈴を鳴らした。
 亭主らしき男が2階の窓から顔を出した。
 上を見上げながら手を振っている門番の姿を確認すると、ドタドタと音を出しながら下りて来て扉を開いたのだった。

 門番は大柄な亭主に一行を紹介すると、フィオンをチラリと見てから足早に戻って行った。

「すみませんね。お疲れでしょう。
 今日のような暗い夜は、この村はこうなんで。
 近くの町の悪い奴等が、村のまわりをウロウロしていることもありますんでね。さぁ、中にお入り下さい。馬は、そちらに。厩まで連れていかせますので。
 お部屋は、6室でよろしいでしょうか?2人部屋も空いてますよ。まぁ、たいていの部屋が空いてます。
 夕食はどうされますか?大した料理はないですが、あたたかいシチューなら、すぐにご用意出来ますよ。
 どうぞ、おくつろぎ下さい」
 客に喜んだ亭主は多弁に喋りながら、一行を客室へと案内したのだった。


 翌日、朝を告げる鳥の鳴き声で、リアムは早くに目が覚めた。彼等は2人部屋を選んで3室借りたのだが、隣のベッドで寝ているはずのフィオンの姿はなかった。
 リアムは不思議に思いながら起き上がった。窓から外を見たがフィオンの姿はなく、部屋のドアを少し開けると廊下の様子を伺った。もちろん、男の姿はなかった。
 首を傾げていると、他の部屋のドアがそれぞれ開いたので、リアムはそっとドアを閉めたのだった。

「おはよう、エマ」
 アーロンが声をかけると、エマは微笑んだ。

「おはよう、アーロン」
 エマがそう言うと、一緒に外へと出て行った。

 空は青く澄み渡っていたが、枝葉や石が沢山散乱し、地面の一部は陥没してひび割れも起きていた。
 地面に散乱した物を掃除する村人は「嵐がとてもひどくて眠れなかった」と口々に言い合っていた。
 その言葉通り、根本から倒れた木もあった。
 エマがその木を見ていると、それを飛び越えてこちらに向かってくる男の姿が見えた。
 難しい顔をしたフィオンだった。フィオンのズボンの裾は、すでに泥で汚れきっていた。

「橋が壊れて流された。復旧するには数週間かかるらしい。
 遠回りをする方法もあるが日数がかかり過ぎるのと、山の土砂が崩れていて、そこも通行出来ないかもしれない。
 行きたくはないが使命がある。ラスカの町を通ろう」
 フィオンがはっきりとした冷たい声で言うと、アーロンがフィオンの顔を見た。

「分かったわ。
 そこには、フィオンは行ったことがあるの?よく知っているようだけど…治安の維持にでも行ったのかしら?」
 と、エマが聞いた。

「行ったさ。数年前にな。
 まぁ…治安の維持といえば、ある種の治安維持だろう」
 フィオンはそう言うと、木の枝が散らばった地面に目を向けた。

 フィオンは数年前の自分を思い出していた。思い出したくもない沢山ある過去の一つだった。
 暗闇に紛れてラスカの町を襲撃して殺戮をおこない、彼は騎士となったのだった。
 末端兵から兵士となった者たちが、兵士から騎士となる為の試験の一つだった。もちろん正式な試験というよりも、当時のとある隊長の思いつきだった。
 何人生きて帰って来れるのかを、隊長たちが賭けていたゲームだった。もし生きて帰って来たとしても、精神が壊れていくだろうから何の問題もない。それを酒の肴にでもしようと思っていたのだろう。
 
 ラスカの町は、昔はとある産業で発展していたのだが、産業の衰退と共に強盗や窃盗が増えていき、治安はどんどん悪化していった。
 すると暴行や殺人を犯して他の町を追われた者が流れてくるようになった。
 町を建て直そうと励んでいた人々は、どんどん町から離れていき、今のような状態になった。
 ならず者ばかりが住むようになり、廃墟となった建物やゴミが放置されている。
 だがソレらを取り締まるはずの騎士団が「騎士団」としてそもそも機能していない為に、町は放置されていた。
 それに、とある隊長が目をつけたのだった。

「我等、ソニア王国の誇り高い騎士団は治安を守らねばならない。国民が安心して暮らせるように、安全を脅かす町を改革せねばならない。
 その町は、ゴミで溢れている。ゴミは一掃してこそ、綺麗になる。
 そうだろう?
 その重要な任務を、お前たちにさせてやろう。
 ゴミを多く処分した者を騎士にしてやる。
 ただし、3人だけだ。
 いいか!お前ら!騎士になりたければ、夜明けまで町を綺麗に掃除してこい!処分したゴミの数を証明する為に、ちゃんとゴミの一部を袋に入れて持って帰って来るんだぞ!」
 と、隊長は言った。

 隊長の命令は、絶対である。
 なんとか待遇の改善を求めて騎士になろうと夢見る若い兵士たちは、馬車に揺られながらラスカの町へと連れて行かれたのだった。

 その夜は、細い月の夜だった。
 地面を照らす神々しい光は届かずに、町を襲撃する黒ずくめの男たちを闇が味方していた。
 それとも光がそれを望んでいるからだろうか?
 それは、誰にも分からなかった。

 隊長が右手を上げると、殺すか殺されるかのゲームが始まった。
 この国では生命の奪い合いですら、ゲームとなる。
 殺さねば、自分が殺されるしかないのだから。骸ですら放置され、家族や友のもとにかえることもない。

 生き残ったのは、フィオンともう1人だけだった。
 2人が血まみれになりながら戻って来ると、隊長は生きて帰ってきたことに心底驚いた顔をしていたが、すぐに大きな声を上げた。

「おいおい、本当に殺りやがったぞ」
 と、隊長は腹を抱えて笑い出したのだった。

 腰の袋は、真っ赤な血を垂れ流している。
 想像を絶するような地獄を見てきたフィオンは騎士となったが、もう1人は気が触れて自死したのだった。

 嵐の後の地面を見るフィオンの目には、水溜りに浮かんで死んいる虫が映っていた。
 虫の体はちぎれていて、足がユラユラと揺れている。
 ソレを見ていると、フィオンはくり抜いて持ち帰った体の一部を思い出したのだった。

(俺が殺した奴等は、間違いなく悪党だった。
 悪党ならば、殺してもいい。
 悪党に死を与えるのは、騎士にとっては栄誉なことなのだ。
 ならば、それがどんな殺し方だとしても許されるのだろう。殺すことに変わりはないのだから。
 この町の奴等は、助けを求めた人たちを何人も痛めつけて殺した奴もいたのだから)
 フィオンはそう自らに言い聞かせ、助けを求めた者たちの体に槍を突き刺したのだった。

(生かしておいたら、また酷いことをする。
 これは、今までの報いだ。
 今の俺には、それが許されている。
 これは俺が上り詰める為にやらねばならないことだ。
 隊長になるまでは、一欠片も自分の意思など持ってはいけない。この騎士団で生き抜く為には、命じられたままに殺さねばならない。
 それに1人殺せば、より多くの人を救うことが出来る)
 フィオンはソレを信じながら、自らの感情を殺すかのように悪党を滅多刺しにした。
 肉を突き刺し骨を砕いた後に、もう2度と動かないように心臓を突き刺してから、ナイフを使って目玉をくり抜いたのだった。

 そこにいたのは、ただの手練れの殺し屋だった。
 誇り高い騎士の姿など何処にもいなかった。
 いつだって忘れられない戦場があるが、戦場ですらなかった。そういう所業をした場所に行くと、忘れようとしている事を思い出させられる。

(結局は「コイツら」と同じなんだ…と)
 苦い過去を思い出すと、フィオンは笑い出した。

「さぁ、行くか。グズグズしてる場合じゃない。
 ラスカの町にはまだ距離があるし、雨で濡れて道も悪いからな。
 ラスカの町を通り、日が暮れるまでに、次の町の宿屋に辿り着かねばならない」
 フィオンは顔を上げながら言うと、スタスタと宿屋の部屋へと戻って行った。

 一行が朝食を取り宿屋を出発しようとすると、亭主は心配そうな顔をしながら近付いてきた。

「嵐が過ぎ去った直後ですので、道は悪くて危ないのですよ。
 しばらくここに泊まってはいかがですか?」
 と、亭主は言った。

「ありがとうございます。
 しかし先を急がねばならないので、出発します」
 フィオンがそう言うと、彼等を勇者と知らない亭主は真っ青な顔をしながら小さな声で話し始めた。

「あの…ラスカの町を…通るんですよね?
 あの町は…本当に危険ですよ。
 生命が大事なら止めておいた方がいい。橋が復旧するまで待つか、遠回りをされた方がいいです。数週間かかりますがね。
 よほど腕っぷしが強くなければ、無事には通れませんよ。
 それにお客様は女性を2人も連れている。絶対に止めといた方がいいです。タチの悪い行いばかりをする連中です。悪党なので、殴り合いだけではすまなくなりますよ。安全ではありません。
 町を通る時には、1人につき金貨1枚を要求してきます。無茶苦茶でさぁ」
 亭主はそう言い終わると、エマとマーニャの顔をチラチラと見た。

「ご心配いただき、ありがとうございます。
 けれど、大丈夫です。
 奴等より、俺の方が強いですから」
 フィオンがニッコリと笑うと、亭主はその自信に満ちた顔を見ながら口をポッカリと開けたのだった。

「なら…無事を祈っとりますんで。
 どうか、お気をつけて」
 亭主がそう言うと、フィオンはもう一度礼を言ってから出発したのだった。

 馬を引きながら村の門を通り抜けると、フィオンは後ろを向いて全員の顔を見渡しながら口を開いた。

「先に言っておく。
 奴等に顔を見られないように、マントのフードをしっかり被るんだ。
 町の中は荒れ果てている。気になるだろうが、周りをキョロキョロと見るな。余計な争いは避けたい。
 ゴロツキ共は日中は武器を持ってる男には向かってこないが、今回ばかりは…そうもいかないだろう」
 フィオンはそう言うと、マーニャと目線を合わせるように屈み込んだ。

「危ない目には合わせたくないから、マーニャの長くて綺麗な髪は一つに束ねて隠すんだ。
 何が起こっても、絶対に守るから」
 フィオンは力強くそう言うと、マーニャを安心させるかのように優しく微笑んだ。

「はい。フィオン様」
 マーニャは栗色の綺麗な巻き髪を束ねると、マントのフードを被りきっちりと隠したのだった。

「そうだ。ありがとう。
 町に入ったら、俺が先頭を歩く。リアムとルークは俺の後ろを付いて来るんだ。その後を、エマとマーニャが歩いてくれ。エマ、マーニャを頼んだぞ。
 背後から襲って来るだろうから、後ろはアーロンに任せた。アーロン、油断するな。
 俺たちを挑発するだろうが、無視して進もう。
 いい馬もいるから気を付けろ。馬の機嫌をそこねるようなことをして暴れさせるかもしれない」
 フィオンは騎士の顔を見ながら言った。

「あぁ、大丈夫だ。任せてくれ」
 アーロンの口元は笑っていたが、その目は悪党を思って既に鋭く光っていた。

「危険が迫れば、奴等を殺さねばならなくなる。
 悪い奴等が、大勢いるところだから。
 でも俺は…出来るだけ…戦場以外では人を殺したくないんだ」
 と、フィオンは槍を見ながら言った。

(そうだ…まだ俺は人を殺すわけにはいかない)
 フィオンは自らにそう言い聞かせながら馬に跨ると、手綱を握り締めたのだった。

 一行は雨でぬかるんだ道を進み出した。空は晴れ渡っていたが、漂う空気は嫌なものだった。
 フィオンのマントは後ろになびき、風で赤い髪がユラユラと燃えるように揺れていた。


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