クリスタルの封印

大林 朔也

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勇者と細い腕 3

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「悪かった。
 けれど、俺は槍の勇者だ。
 知らねばならない事がある。
 いつの日か、俺に話してもいいと思える日がきたら教えてくれ。その腕の事と、口を揃えて「精一杯」と言うことについても」
 フィオンは真剣な眼差しを少年に向けた。その眼差しは、絵画で見たことのある勇敢な騎士の瞳だった。
  
 リアムは唇を震わせながら下を向いた。二の腕の恐ろしい痕を手で隠すと、下を向いたまま口を開いた。

「だって…僕たち魔法使いの役割は…勇者様を支えて…役に立って…命にかえても…お守りすることなんです。
 その為に、存在しているんです。
 だから…精一杯頑張るのは、当然じゃないですか…。
 精一杯頑張らないと…いけないんです…僕は…僕たちは…どうしたら…」
 リアムが途切れ途切れにそう言うと、フィオンは絶句した。激しい怒りの感情が沸き起こってきて、岩ですら粉々に打ち砕けるほどだった。
 望まない言葉を吐かされているのは明らかだ。少年が、大人である騎士を守るなど聞いたこともなかった。

「それは…俺の役目だろうが…」
 フィオンが低い声で言うと、リアムは体をビクッと震わせた。
 男の顔色を伺うように顔を上げた少年の黒い瞳からは、大粒の涙がこぼれそうになっていた。

「あの…気に障ったのなら…すみません…。
 ごめんなさい」
 リアムが何度も謝罪の言葉を繰り返すと、フィオンは首を横に振った。

「もう、やめろ。お前が謝る必要なんてない。
 俺がイラついてるのは、お前にじゃない。
 お前に、そんな事を言わせている奴等にだよ」
 フィオンは険しい表情で言うと、自らの両手を見つめてから小さく笑った。

 空を見上げると、輝く星が落ちていった。
 ソレにつられるように、いくつもの星が落ちていくと、フィオンは怒りに震えながら目を閉じた。
(おさえろ…おさえるんだ…)
 何度も自分にそう言い聞かせてから、目を開けた。
 重苦しい空気が漂い、水面には不気味な黒い影が伸びていた。
 その影がリアムとルークをとらえようとするかのように迫っていく幻を見ると、フィオンはまた口を開いた。

「すまなかったな、リアム。
 けれど俺の力を信用してくれるのならば「命にかえても」などと言わないでくれ。
 俺は勇者であり、騎士団の隊長だ。
 だから、そんな事を言われても俺は嬉しくない。
 隊長である俺は、隊員の全てを生きて還さなければならないのだから。
 共にダンジョンに潜り、クリスタルを見つけ、無事に帰還することが魔法使いのやらねばならないことだ。
 な?そうだろう?」
 と、フィオンは言った。リアムはフィオンの顔をじっと見つめてから、下を向いて唇を震わせたのだった。


「ルーク、ごめんな。
 もう、この話はやめにしよう」
 フィオンはそう言うと、震えたままでいるルークの頭を優しく撫でた。

 温泉に浸かっているというのに、フィオンの体はすっかり冷めきっていた。輝く星の光でさえ、金や宝石といった馬鹿げた虚飾の世界を思い出させ、悍ましい光として茶色の瞳に映るようになった。
 冷たい石に背中を当てると、また立ち昇り始めた湯気と波紋を描く水面を見つめていた。
 夜風がヒューヒューと鳴り出すと、アーロンがようやく姿を見せた。

「待たせたね。思っていたよりも時間がかかってしまったよ。
 早く温泉に入らないと、体が凍えてしまいそうだよ」
 アーロンは素早く服を脱ぐと、立ち昇る湯気に包まれながら入ってきた。

「どうかしたのか?」
 と、アーロンが言った。

「遅かったな。隠れんぼでもしてたのか?
 俺たちは、どうもしてないさ」
 と、フィオンは答えた。

「そうか。なら良かった。
 暗い顔をしているから、何か良くない事でも起こったのかと心配したよ。
 フィオン、おかしな話などしていないだろうね?」
 アーロンがそう言うと、フィオンは愉快そうに笑い声を上げた。
 濡れた手で赤い髪をかき上げてから、目を細めながらアーロンを見た。その顔からは、すっかり笑みは消えていた。

「してねぇよ。
 おかしな話なんてな。
 してたと言えば…お前の話をしてたぐらいだよ。綺麗な顔してるよなっていう話ぐらいだ」
 フィオンがそう言うと、酒を握るアーロンの手がピクリと動いた。

「そうか。
 そんな事を言われたのは初めてだから、驚いて酒を落としそうになったよ。
 僕には、君の方が綺麗な顔をしているように思えるよ。
 多くの人を夢中にさせる魅力的な瞳だ。いや…もっと近づきたくなるような…そう…相手を狂わせるような危険を孕んだ瞳とでも言うべきかな」
 アーロンはそう言うと、優しく微笑んだ。

 すると、フィオンもまた口元に笑みを浮かべた。
 冷たい夜風が彼等の顔に吹き付けると、フィオンの赤い髪が濡れているのに炎のように揺れ動いた。黙り込んでいた魔法使いはくしゃみをし、濡れた髪が月明かりで美しく光った。

「さぁ、飲もうじゃないか。
 今は、多くの事は忘れてしまおう。
 ルークとリアムは、もう休むといい。時間がかかってしまって申し訳なかった。念の為に辺りを見てきたが、もちろん誰もいなかった。
 星空は美しいが、雲が妙な動きをしている。
 ヨカラヌ者たちの足元を照らすことはないだろう。その道は暗くなり、坂道を転げ落ちていくことになる。
 安全だから、先に戻って寝ているといい」
 と、アーロンは言った。

 ルークとリアムはお互いの顔を見合わせてから、ゆっくりと立ち上がった。動揺しているのか、彼等は入ってきた時とは違って、腕を隠すことは忘れているようだった。
 アーロンもチラとその痕を見たが、何も言うことなく、姿が見えなくなるまで見送っていた。

 アーロンはフィオンに酒を渡したが、フィオンはもう酒など飲む気にはなれなかった。

「フィオン、飲まないのか?
 僕は、飲むとしよう」
 アーロンは酒を飲み、白い息を吐いた。

(何故、アーロンは何も聞かなかったのか?
 既に知っていたのだろうか?
 だが、今の視線は確かに腕の痕を確認していた。
 まさか共に温泉に入ろうと言い出したのも、俺の反応を見ようとしていたのか?
 いや、まさかな…そんな事をして…一体何になる…)
 フィオンはそう考えながら、酒の香りと色を確かめてから一口飲んだ。その酒はとても上品な味がして、何も知らなければ、きっと格別に感じたことだろう。

 フィオンは顔を上げると、酒を飲んでいるアーロンの顔にじっと目を注いでいたのだった。




 朝日が昇ると、木々の隙間から射し込む光はとても美しかった。鳥の鳴く声が出発の時を告げたが、フィオンの心にはその光が薄れて届くことはなかった。
 一晩中、腕の痕が頭から離れなかった。
 あれこれ考えるうちに心に巣食う暗くて嫌な記憶ばかりが蘇ってきて、彼の心はどんよりとしていたのだった。

 軽い食事をとると、颯爽と馬に跨り、この場所から離れた。
 朝の爽やかな風を全身で感じながら馬を走らせたが、まとわりついたモノは風に消えていくことはなかった。
 次の目的地に着くと、フィオンはリアムの顔を見た。
 今までと変わらずに穏やかな表情をしていたが、フィオンは今までのようにリアムを見ることは出来なくなっていた。

 青い空に輝く太陽の熱をジリジリと感じると、フィオンは体が熱くなっていくのを感じた。

 アーロンが水を汲みに離れると、フィオンは木の下で馬を撫でているエマの隣に立った。いつもとは違う真剣な眼差しにエマは驚いた顔をしたが、フィオンに昨日の事を問われると、エマの馬を撫でる手が止まった。馬は嬉しそうに尻尾を振っていたが、エマは馬から手を離した。

「どうなんだ?腕に妙なものを見なかったか?」
 フィオンがそう言うと、エマは頷いた。

「やっぱり、あったのか。
 エマは聞いたんだな」

「赤黒い痕ならあったわ。
 マーニャに何をされたのかと聞くと泣き出したから、それ以上は聞かなかったけれど…ひどく怯えていたわ。
 恐ろしい色をしていたわ。
 えぇ…許せないわ…」
 エマが怒りを込めて言うと、風がヒュウヒュウと音を立てて鳴り出した。

 草は荒れ狂う波のように揺れ、木の太い枝ですらガサガサと激しく揺れ動いたのだった。
 
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