クリスタルの封印

大林 朔也

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鎖帷子と無様な稽古 1

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 それから数日後、トレーニングと袋を背負い階層間の往復を終えたアンセルが部屋で素振りをしていると、ミノスが突然現れた。
 ミノスは銀色に輝く鎖帷子を手に持っていて、腰には剣を差していた。今から鎖帷子を着て真剣での稽古が始まるのだと分かると、アンセルの全身に鳥肌が立った。

「アンセル様、鎖帷子が出来ました。広場に行きましょう」
 と、ミノスは言った。

 広場に移動するとマーティスが待っていて、マーティスはアンセルに向かって軽くお辞儀をした。
 ミノスは広場の扉を閉めると、アンセルに鎖帷子を手渡した。アンセルは鎖帷子を広げ、形と手触りを確認した。鎖帷子の形は歪で、本の挿絵で見たことがある鎧とは違って頑丈さはないように思えた。これを着ていたとしても、剣で斬り裂かれたら死んでしまう気がしてならなかった。
 もう少しどうにかならないものかとアンセルが暗い表情をしていると、ミノスが口を開いた。

「形は歪ですが、何の問題もありません。この鎖帷子がアンセル様の身を守ります。
 衣服の下に着ていただけたらと思いますが、とりあえず上から着て下さい」
 と、ミノスは言った。

 アンセルは言われたとおり服の上から鎖帷子を着てみることにした。思ったよりも軽くて動きやすく、体を自由に動かすことが出来た。鎖帷子はきらきらと美しく輝いたが、それを着ている男の心は暗かった。

(こんなもので…本当に身を守れるのだろうか)
 アンセルは小さく息を吐いた。不安によるものなのか、両腕がカタカタと震えていた。

「アンセル様」
 マーティスはアンセルの目に不安の色が浮かんでいるのを見ると、穏やかな表情を浮かべながら声をかけた。

「美しい鎖帷子です。リリィが心を込めて作ったものです。不安に思われるかもしれませんが、作る者の思いが込められています。
 思いは、力になります。アンセル様は愛する仲間の思いを纏ったのです。お互いの思いが合わされば、より強いものとなってアンセル様を守ってくれるでしょう」
 マーティスがそう言うと、アンセルは少し考え込んでから頷いた。

「分かった。ありがとう」
 アンセルがそう言うと、マーティスはアンセルの震えている両腕を掴んだ。

「アンセル様、腕が震えていますよ。まだ何も始まっていないのですから、恐れることはありません。
 それに、僕もいます。大丈夫です。
 アンセル様、真の力を引き出すのです。鍛え続けば、必ず強くなりましょう。
 しかし腕や足が斬り落とされた場合は元には戻せませんので、気をつけて稽古をして下さい。
 斬り傷ならいくらでも回復出来ますが、部位が離れてしまうと無理ですから」
 と、マーティスは言った。
 
 アンセルはようやく少し安心出来たところだったのに、また深い谷底に突き落とされたような気がした。
 いつもの冗談だろうと思いながらマーティスの顔を見たが、その瞳は真剣だった。悪い冗談でもないと分かると、アンセルは背筋が寒くなっていった。

「さっそく始めましょう。剣を構えて下さい」
 ミノスは広場の中央で立ちながら言った。

 アンセルは目に不安の色をまた浮かべながら剣を構えた。剣の稽古をする男の目ではなかったが、ミノスは何も言うことなく剣を鞘から抜いた。
 するとアンセルの目に、剣を構えたミノスが異様に大きく映った。アンセルは剣を握ったまま後退り、悲鳴でも上げるかのように口を小さく開けたのだった。
 銀色に輝く鋭い剣先を見ているだけでアンセルは怖くなり、その手から剣を落とし、ヘナヘナと膝をついていた。再び剣を握って立ち上がることも出来ずに、ガタガタと震え出したのだった。これほど剣の稽古に場違いな男はいなかった。

(足が震えて…立てない。
 恐れるな…立ち上がれ)
 アンセルは心の中でそう叫んだが、心と体に広がっていく恐怖が虚しく勇気を飲み込んだのだった。もともと勇気すらなかったかのように、開いた口を閉じることすら出来なくなっていた。

 ミノスは何も言わずに、アンセルを見下ろしていた。
 赤い瞳は厳しく光り、目の前で膝をついている男に無言で、その理由を問い続けていた。
 赤い瞳に映る惨めな自分の姿を見たアンセルは恥ずかしくなり、ぽっかりと口を開けたまま下を向いたのだった。

『キサマは…弱いな』と囁く声が聞こえると、転がっている鋭い剣身に無様な自分の姿が映っているのが見えた。その姿は、その声が言うように、弱いだけの男だった。

「顔を上げなさい。
 今すぐに剣を持って、立ち上がりなさい」
 と、ミノスは低い声で言った。

 けれど、アンセルは顔を上げることも剣を握ることも出来なかった。
 素振りの稽古と、相手を前にしての真剣での稽古は全く違っていた。その場の雰囲気も、恐ろしさも、何もかもが想像を遥かに超えていた。
 斬られるかもしれない。
 殺されるかもしれない。
 アンセルはすっかり恐怖に打ちのめされていた。

「アンセル様、顔を上げなさい。
 今すぐに剣を持って、立ち上がりなさい。
 立ち上がることが出来ないのなら、右足を斬り落とします」
 ミノスはそう言うと、下を向いたままのアンセルの目に入るように鋭い剣先をちらつかせた。

 アンセルは体を震わせながら恐る恐る顔を上げた。自分を見下ろすミノスの表情は厳しかった。体を斬り裂かれたかのような衝撃が走り、抱く恐怖はますます強くなるばかりだった。

 アンセルが剣を握り立ち上がる気配がないと分かると、ミノスはアンセルの右足目掛けて勢いよく剣を振り下ろした。

「ひぃぃっ!」
 アンセルは叫び声を上げながら、顔を背けて目を瞑った。今すぐに剣を握り、振り下ろされた剣に立ち向かうことなど考えられなかった。

 力の前に、アンセルは怯え、何もすることが出来なかった。

 しかし、アンセルは右足に痛みを感じることはなかった。
 おそるおそる目を開けると、ぎりぎりのところで剣が止められていたのだった。

「何をしているのですか?」
 と、ミノスは剣を向けながら言った。

 アンセルはミノスの激しい怒りを感じると、さらに臆病に震え上がった。喉はカラカラに乾いていき、何も答えることなく歯をガタガタさせるだけだった。

「何をしているのですか?」
 ミノスは今にも爆発しそうな怒りを抑えながら、アンセルに問い続けた。

「すみ…ません…」
 アンセルはようやく小さな声でそう答えた。
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