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勇者と馬 2
しおりを挟む結局、その日は宿屋には向かわずに、この場所でテントをはって野宿をすることにした。
フィオンが川で捕ってきた魚を火で炙る音と、彼等の談笑する声が合わさった。焚き火の炎が、暗くなっていく景色の中で明々と燃えていた。
「私、誤解をしてたわ。
アーロンはもっとやな奴で、贅沢が好きで、野宿は絶対嫌だというタイプだと思ってた。
なんせゲベート王国の王子様なんだから。
けど、全然違った。優しいし、食べる物に文句は言わないし、水を汲みに行ったりいろんな準備もしてくれる。馬の世話もしてくれるから助かるわ。
本当に…意外だったわ」
と、エマが言った。
「僕の事をそんな風に思っていたのか。早めに誤解が解けて良かったよ。
王子だなんて、やめて欲しい。国は違えど同じ騎士の隊長で、同じ勇者じゃないか。
望みは、一緒のはずだ。
野宿は好きだよ。月明かりは美しいし、息苦しい場所よりも空気がいい。
この辺りに町や村はないし、今から宿屋を探してウロウロしていたら夜になってしまう。
それに…町や村の盛大なもてなしは、申し訳なくてね」
アーロンは困った顔をしながら言うと、フィオンの顔をちらりと見た。
勇者一行は、町や村の宿屋に泊まる度に、盛大なもてなしを受けていた。食べきれないほどの食事と酒が用意され、最高の部屋が用意されていた。
宿屋の主人は「勇者様が来てくだったのですから」というお決まりのセリフを言い、それに見合った代金を受け取ろうとはしなかった。
「痩せた子供や暗い顔をした村人の姿が、どうしても目に入ってくるんだ。本当に…申し訳ないよ。かえって迷惑をかけているような気がする。
どう思う、フィオン?」
アーロンはそう言うと、灰色の質素なマントを体に手繰り寄せた。
村や町でそういう事が何度も起こったので、アーロンは質素なマントを買って全員に着せて身分を隠すようになった。さらに野宿をする為にテントを3張買っていた。
勇者一行であることを隠しながら、アーロンは人目を避けて進むようになっていた。
「まぁ、そうだな。
ゲベート王国の王子様が来たのならば、最高のもてなしをしなくてはないからな。王子様がかけてくる…無言のプレッシャーを感じてるのかもな。
なぁ…お前、なんで白の教会で、自分はゲベート王国の王子だと言わなかったんだ?」
丸太の切り株に座っているフィオンは冷たい声で言った。
「僕は王子だから勇者に選ばれたわけではない。
それに僕から言わなくても、フィオンやエマならもちろん知っていると思っていた」
アーロンはそう言うと、フィオンに向かって優しく微笑んだ。
フィオンがイラついた顔を見せると、エマが呆れた顔で2人を見ながら口を開いた。
「そういえば…貴族の御令嬢方の護衛を任された時に、ゲベート王国に素敵な王子様がいるって騒いでいたわ。
なんか…納得だわ。凄い人気だったけど、アーロンにはもう素敵な婚約者がいるんでしょうね」
と、エマは美しい令嬢を思い浮かべながら言った。王子であるアーロンには当然婚約者がいるのだろうと思っていた。
「今は…いないかな。そんな時間は、ないよ。
任務や雑務が多くて…忙しいから」
アーロンが目を伏せながら答えると、フィオンが自慢げに話し始めようとした。
「あんたには聞いてないわよ。何人もいそうだし」
エマは冷たい目で、フィオンを見た。あろうことか教会で女にモテたいと言っていたし、その軽そうな雰囲気では恋人がいたとしても他にも沢山女がいるとしか思えなかった。
「なんだよ、それ。偏見は困るな。
こう見えて、結構真面目かもしれない。いろんな面で、俺って結構いいかもしれない」
「自分で言うなんて、バカじゃないの?」
「まだよく知らないのに酷いな。
リアムとルークは失礼だと思うよな?な?」
フィオンが笑いながら話しかけたが、2人は何も答えずに微笑んでいるだけだった。
「なんだよ、味方はいないのか…」
フィオンが大袈裟に溜息をつくと、沈んだ顔をしていたマーニャもようやく微笑みを浮かべたが、手に持つ魚にはほとんど口をつけていなかった。
火の始末をしてテントを張り終えた頃には、空に月が輝くようになった。彼等を見下ろすかのような月の下で、勇者が交代で見張りを始めた。野宿をする時には、いつも順番で見張りをすることにしていたのだった。
エマがフィオンと見張りを交代すると、エマはマーニャのいるテントに入って行った。フィオンがリアムと同じテントで、アーロンがルークと同じテントだった。
マーニャは横になっていたが、エマがテントの中に入ってくると目を開けた。マーニャは疲れてもうぐっすり眠っているものだと思っていたので、エマは驚いた顔をした。
「どうしたの?眠れないの?」
「お話しがしたくて、起きていました。
エマ様は、妹様がいらっしゃるんですか?」
マーニャがそう言うと、エマはマーニャの顔をじっと見つめた。
「いないわ。どうしてそんな事を聞くの?」
「私にとても優しくして下さるので、きっと妹様がいるのだろうなと思ったのです。もし私にも姉様がいたら…と思うと…とてもあたたかい気持ちになるんです。
変なことを言ってしまって、すみません。
私の方が、実年齢は随分上なのに」
と、マーニャは少し顔を赤くしながら言った。
「いいのよ、マーニャ」
エマはそう言うと、弓を静かに置いた。
マーニャの側に座り込んで栗色の柔らかい巻き髪を撫でると、エマの手首のあたりがキラキラと光った。
「エマ様、綺麗な光ですね。
ブレスレットですか?」
マーニャはその光を見ながら言った。
エマの右手首にはブレスレットが巻かれていた。ハートが3つ重なり合い、自由に空を飛ぶ蝶のようなデザインだった。そのハートの部分は、薄暗いテントの中でも白く輝いていた。
「ありがとう。
でも、これね、本当はブレスレットじゃなくてネックレスなの」
エマは輝くブレスレットを撫でながら、遠い昔を思い出すような目をした。
「ネックレス?どうして腕にしているんですか?」
マーニャがそう言うと、エマは表情を曇らせながらブレスレットを服に隠して見えないようにした。
「すみません。
でも…あの…自由に空を飛び回る蝶のようで本当に素敵です。もう寝ます、ごめんなさい」
「いいのよ。マーニャ。
私はネックレスなんて似合わないから。だからブレスレットにしているの」
エマが沈んだ表情で言うと、マーニャは勢いよく首を横に振った。
「エマ様はお美しい方ですから、似合います!」
マーニャが大きな声でそう言うと、エマは微笑みを浮かべた。
「ありがとう、マーニャ。
疲れたでしょう。お休みなさい」
エマがもう一度栗色の髪を撫でると、マーニャも微笑んでから目を閉じた。
(妹ね…。
今は…いないわ)
エマは心の中でそう呟きながら、マーニャの寝顔を見つめていた。その寝顔は口元に微笑みを浮かべていたが、疲労を感じさせるものだった。
いつからかマーニャをいなくなった妹のように、エマは思うようになっていた。だから、こんなにもマーニャのことが気にかかるのかもしれない。
怯えながら馬にしがみついている姿は、いつ落馬してもおかしくないほど危険だったので、エマは自分の馬にマーニャを乗せたいと思うほどだった。
マーニャが寝息をたて始めると、エマはネックレスに触れてから唇を噛み締めた。
(私に…このネックレスをつける資格なんてない。
私は妹を守れなかった。大事な妹を。あの男から妹を救う為に、ここまでのし上がった。
いつも矢を放つ時にネックレスから妹を感じ、確実に的を射抜いてきた。
そうして…やっとチャンスを手にした。
あの男から妹を救い出す為の…チャンスを)
エマの心は怒りの炎で燃え上がりながら、毎夜そうしてきたように大切な弓の手入れを始めたのだった。
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