クリスタルの封印

大林 朔也

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剣と弓

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「この剣と弓は…どうしたんですか?」
 と、アンセルは驚きながら言った。同時に両腕はガタガタと震え出した。答えは、もう分かっている。このような武器が、ダンジョンに残されているとは夢にも思わなかった。

「かつての勇者の武器です。
 こちらに向かっている勇者も、剣と槍と弓を携えています。彼等と対等に話し合いたいのであれば、アンセル様も彼等と対等になりえる強さを身につけておかねばなりません。
 強き者達は目を見ただけで、相手が信頼のおける人物かを判断出来ます。出来ないと判断されれば、アンセル様の言葉は彼等には何一つとして届きません。
 その為には心身を鍛え、なんとしても剣を使えるようになって下さい。もちろん弓もです。
 弓は剣と槍の攻撃を防ぐことは出来ませんが、弓は精神を鍛え、放つ矢には大きな力を込めることが出来ます。
 この剣を使い、私と稽古をしていただきます。
 さっそく今日から始めましょう。剣の勇者は二刀流でしたので、ちょうど良かったです。1本はアンセル様がお使い下さい。もう1本は私が使います」
 ミノスはそう言うと剣を取り、アンセルの震えている手を掴むと強引に剣を握らせた。

 全長1メートルもある十字型の鍔が特徴のロングソードである。剣の勇者がよほど高い身分の者だったのか、鞘も柄も輝くような金色で、華美過ぎる装飾が施されていた。
 その中でもアンセルの目を引いたのは、グリップに埋め込まれた宝石にも見える赤い石だった。宝石に興味があるわけでもなく、何の宝石なのかも分からなかったが、アンセルが見つめるとその赤い宝石は光りを発した。
 その光を見ているうちに、アンセルの心臓はドクンドクンと激しい音を立てた。

 アンセルの表情は険しくなっていった。鍛えた腕で持つ剣は、実際はさほど重いわけでもないのだがズシリと重たく感じられたのだった。

「剣を鞘から抜いてみて下さい。
 この剣は、普通の剣とは違います」
 と、ミノスはアンセルの顔を見ながら言った。

 アンセルは頷くと、剣を鞘から恐る恐る抜いた。
 銀色に輝く鋭い剣身には水面のような模様が刻まれ、その水面を漂うかのように沢山の文字も細かく刻まれ、燃えたぎるような力を宿しているように思えた。
 その模様と文字が優美な光を放つと、アンセルの表情は緩んでいった。
 
「すごく…鋭くて…綺麗で…そして恐ろしいです」
 アンセルはそう言うと、すぐに剣を鞘に納めてしまった。

 数百年前の剣が錆びることなく美しく輝いているのは、ずっと手入れをし続けていたからだろう。
 しかし、仲間を殺した勇者の剣である。手入れを出来る気持ちが、アンセルにはよく分からなかった。

(苦しくなかったのだろうか?悲しくなかったのだろうか?
 俺ならば…出来ただろうか?
 そもそも…この剣を…俺が握ってもいいのだろうか?)
 アンセルは戸惑いを覚え、困った表情をしながらミノスを見つめた。

 ミノスはアンセルの思いを察すると、少し表情を曇らせながらポツリポツリと話し始めた。

「どうして、このような武器を保存していたのか疑問に思われたことでしょう。
 アンセル様が多くの魔物を殺した剣を握ることに戸惑われる気持ちも分かります。
 しかし、他に…力と戦うことが出来る剣はありません。
 この剣は、私の両親が20階層から持ち帰りました。19階層に持って帰り、ずっと手入れをし続けました。
 風向きが変わる「その日」がやってくるかもしれないと…両親は口にしていたのです。
 全ては…そう…取り戻す為だったのです。
 私もその思いを受け継ぎ、この剣を守り続けてきました。いつからか「その日」が来ないことを祈るようにもなりました。しかし「その日」は必ずやって来るのだと気づき…剣を使った鍛錬もするようになりました。
 心とは…本当に複雑なものです。「その日」が本当に来てしまうとは…勇者が私達を殺すようなことは何としてもあってはならない」
 ミノスはそう言うと、赤い宝石を見ながら深い溜息をついた。
 
「私は剣の勇者を…見たことが…あります。彼の本来の姿は…きっと勇猛果敢だったのでしょう。
 魔王と戦い、その絶大な力と…絶望に叩き落とされながらも、ようやく目を覚まして守るべきものの為に戦いました。この2本の剣を体の一部のように使い、絶大な力を持った魔王に挑んだのです。時は…もう遅すぎましたが。
 もちろん全てが終わった20階層で血まみれの状態でこの剣を見た時、私は勇者の武器を大変憎く思いました。沢山の仲間を殺した男の武器ですから。
 しかし、私は同時に…希望を見たのだと気付きました。
 彼がいなければ弓の勇者も死んでいたことでしょう。剣の勇者が希望を繋いだのです。そして弓の勇者が、弓を引いた。
 絶望を希望にかえることが出来るのは…選ばれたる勇者ですから。勇者がいなければ、もう…見ることはないでしょう」
 ミノスはそう言うと、アンセルに向かって微笑んでみせた。だが、その微笑みは疲れ果てていて、迫り来る恐ろしい風向きの変化を心から悲しく思っているようだった。

 ミノスは不意に天井を見上げると目を閉じた。それからアンセルの瞳をじっと見てから、今度は弓の勇者の武器を手に取っり、アンセルに弓を手渡そうとした。

 しかしアンセルは指の先端が弓に触れた瞬間、体に凄まじい電流のようなものが走った。顔を歪ませながら慌てて指を引っ込めた。弓を手にすることすら拒むかのように、指の先から痛みがどんどん広がっていった。アンセルの体は激しく拒否反応を示したのだった。

「どうされましたか?」
 ミノスが探るような目でアンセルを見ながら言った。

「分かりません。
 体に電流のようなものが走った…気がしました」

「恐れることはありません。
 これは、かつての魔王の片目を射抜いた弓です。
 アンセル様とは、関係がありません」
 ミノスは静かにそう言ったが、真っ青な顔をして汗をダラダラと流しているアンセルを見ると、弓を紫色の布で包んだのだった。

「明日から、マーティスがドラゴンの炎を呼び起こす魔術を施します。
 体力もついてきているようですから、肉体的には耐えられるでしょう。肉体的にも精神的にも完成した時、ドラゴンの炎は必ずアンセル様に応えるでしょう。
 立派な魔王になられます。
 ドラゴンの炎が強力な力となり、全ての者を守れることでしょう。
 では早速ですが、剣を使ってみましょうか」
 ミノスがそう言うと、アンセルは額の汗を拭ってから頷いた。

 ミノスは慣れた手つきで剣を鞘から抜くと、鋭く光る切先をアンセルに向けた。誰かを殺せる武器を持つ男は恐ろしく、アンセルの体は凍りついていった。
 勇者相手に素手で立ち向かおうとは思ってはいなかったが、ドラゴンの炎を操れるようになることを期待していたので、こんな事になるとは思ってもいなかった。
 ミノスから発せられるオーラにも怯えてしまい、剣を鞘から抜くことすら出来なかった。

「アンセル様、恐れてはなりません。恐れの気持ちを抱いたままでは、本来の力は発揮出来ません。
 さぁ、アンセル様も剣を鞘から抜いて下さい。
 剣を握り、戦うのです」
 ミノスはそう言ったが、アンセルは剣を抜けなかった。
 恐れもあったが、かつての勇者の武器で戦えと言われても混乱状態にあった。ミノスの言葉は頭では理解出来るが、心は追いつかない。
 様々な感情が、アンセルが剣を握ることを妨げていた。

「勇者を殺す為ではありません。
 仲間を守る為の剣を抜くのです。
 アンセル様、他に方法はありません。
 ドラゴンの炎は、それからの話です」
 ミノスの言葉を聞くと、アンセルは震える手でようやく剣を鞘から抜いた。

「私に剣を振りかざして下さい。
 大丈夫です。何も心配することはありませんよ。
 ただ、剣の稽古をするだけです」
 と、ミノスは言った。

 アンセルは言われたように剣を振りかざそうとしたが、両腕には力が入らずに剣を握ったままダラリと下げているだけだった。誰かを斬り殺せる剣など今まで握ったこともないのに、それを振りかざすことなどアンセルには出来るはずもなかった。
 アンセルは恐れ、怯え切っていた。
 ミノスが一歩近づくと、アンセルは驚いて剣を手から離した。それは大きな金属音を上げながら、床に落ちていった。

「その程度の覚悟では、仲間を守ることなど出来ません。
 アンセル様の戦いは、勇者の首を斬り落とすことではありません。アンセル様に出来るようになって頂きたいのは剣を自在に操り、剣で攻撃を防御することです。
 剣を使いこなせれば盾がわりとなります。殺さない戦いを選んだアンセル様は、剣で守り抜かねばなりません。
 剣で、仲間の命と自らの命を守るのです」
 ミノスがそう言うと、アンセルはガタガタと震えながら床に転がっている剣を見つめた。
 ミノスは転がっている剣を拾い上げると、もう一度アンセルにその剣を握らせた。

「アンセル様は自らが傷つくよりも、誰かを傷つけるほうが怖いでしょう。
 大丈夫です。私のことは何も気にすることはありません。
 私も、アンセル様が勝つことだけを考えます。
 これから真剣で稽古をすることになります。その方が緊張感も味わえましょう。ここにくる勇者は騎士であり、歴戦の強者です。緊張感をもってやらねば敵いますまい。
 まずは素振りをして、剣に慣れてましょう。防具が出来てから、本格的な稽古を広場でしましょう。
 防具ですが、鎧をつくる時間も技術も私達にはありません。鎧ではなく鎖帷子がアンセル様の防具です。鎖帷子を着て、その上から服を着て下さい。
 アンセル様の本来の力が発揮できれば大丈夫です。ドラゴンの鱗は、そう簡単には傷つけることは出来ませんから。
 アンセル様の鎖帷子はリリィに作らせましょう。すぐにボロボロになりますので、他の者達には見られないほうがいいでしょう。すぐには上手く作れないとは思いますが、あの子は真面目でし、アンセル様にとって最高の鎖帷子を作るでしょう。
 私からリリィに言っておきます。あの子も喜ぶと思います」
 ミノスはそう言ったが、アンセルの頭にはあまり入ってこなかった。

 アンセルは殴られた腹の痛みを思い出し、それ以上の事がこれから始まるのだ思うと逃げ出したくなった。勇者が来る前に死んでしまうような気がしてならなかった。
 
 ミノスは青ざめた顔をしているアンセルの顔を見たが、構わず話し続けた。

「素振りですが、私も誰かに教わったわけではありませんので正しいかどうかは分かりません。
 私のやり方をアンセル様にお伝えしますので、まずは見て下さい。その後で、一度やって見ましょう。
 まず始めに、剣を振りながら前後に動きます。まっすぐ剣を振り上げ、同時に右足を前に出し、振り下ろすのと同時に左足を引きつけます。後ろに下がる時も同様です。
 しっかりと肘をのばし、脇もしっかりとしめて下さい。ただ振るというよりも、一振り一振りを意識して素振りをして下さい。惰性で振るのではなく、気持ちを込めて振って下さい。
 目の前に打ち負かしたい相手がいると思い、振ってみるのもいいかもしれません」
 ミノスがそう言うと、アンセルはゆっくりとした動作でミノスがやっていたように素振りをした。
 剣が描く弧は恐ろしかったが、仲間を守る為に剣を振ると思えば柄を握る手には力が入っていった。

(打ち負かしたい相手…それは…弱い自分自身だ)
 アンセルは心に広がった黒い渦を思った。
 その事はミノスには言わなかったが、剣を握るアンセルは黒い渦とは…臆病な自らの心の闇だと思っていたのだった。





 稽古が終わり、少ししてからリリィが部屋にやって来て、アンセルの体を採寸することになった。
 人間の体ではこんな短期間で体は変化することはないが、アンセルの体はトレーニングによって筋肉がつき少し逞しくなっていた。

「アンセルさま、黒い服とてもお似合いでしたよ。
 リリィの知っているアンセルさまじゃないみたいで…ドキドキしました。魔王としての威厳がでていて…素敵でした。
 ゆったりめで作ったつもりだったんですけど、あの…そうでもなかったようですね。着心地はどうでしたか?
 あの…アンセルさま…聞いてますか?」
 と、リリィは言った。
 一生懸命に気持ちを伝えたのに、アンセルは上の空だった。何か感想を言ってもらえるのではないかと期待していたリリィは少し悲しそうな顔をした。

「え?ごめん…ちょっと考え事をしてた」
 と、アンセルは答えた。剣のことで頭がいっぱいになっていたので、リリィの話は全く聞いていなかった。 

「そう…ですか。
 あの…逞しくなられましたね。薄手の服を着ているとよく分かります。以前、体を拭いた時とは違います。
 二の腕が凄いです。トレーニングの成果ですね。他の洋服は大丈夫でしょうか?まだ着られますか?」
 リリィはそう言ったが、アンセルは体つきも男らしくなっていて、どこか遠くにいってしまったような気になっていた。

「あぁ、そうだな。
 まぁ…ダボダボの服ばっかりだから、丁度よくなったよ」
 アンセルはそう言うと、素振りの方法を忘れないようにブツブツと繰り返し始めた。

「そう…ですか…」
 リリィは以前のような楽しい会話はしばらく出来ないのだろうと思い直すと、サイズをサラサラとメモしたのだった。

「次は、胸囲を測りますね」
 リリィがそう言うと、アンセルは腕を上げた。
 体格差もあり、小さなリリィが測ろうとすると、アンセルに抱きつくような状態になった。逞しくなった体を感じたリリィは思わず顔を赤くした。

 その時、不意にアンセルがリリィを見下ろした。
 アンセルの目には、赤い顔をしているリリィが困っているように映った。

「顔が赤いけど、大丈夫か?少し休もうか?
 料理も頑張ってくれてるし、疲れたんじゃないかな?」
 と、アンセルは言った。

「大丈夫ですよ!それにもう慣れましたから!」
 リリィはそう言うと、アンセルから離れた。
 
 リリィの柔らかな感触を服の上から感じても今のアンセルは何も思わなかったが、心を落ち着かせるような優しい香りが彼女からほのかに香っていたのだった。


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