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鎌鼬 7
しおりを挟む「禁を犯してはならない」
紅天狗は低い声でそう言うと、鎌鼬の瞼から湯気が上がり自慢の鎌が小さくなっていった。否、異様なまでに大きかった鎌が、体に合った大きさに戻ったといった方が正しいのかもしれない。
紅天狗が右手を離すと、目を開いた鎌鼬の瞳の色は橙色ではなく紫色になっていた。紫色の目をぱちくりさせると、鎌は美しい輝きを放った。
だが、それは一瞬だった。
鎌はみるみる錆びついていき、風で飛んできた石が左の鎌に当たるとヒビが入り脆くも崩れ落ちていった。
「ワシの…鎌が…宝の…鎌が…」
鎌鼬は大粒の涙を流しながら鎌の破片を集めようとしたが、冷たい風がその破片をさらっていった。
「宝とはな、磨き抜いてこそ価値がある。
お前が、宝であるはずがない。
宝であるならば、誰かを蔑むような言動はせぬものだ。
そのような者は、決して本物にはなれぬ」
紅天狗がそう言うと、右の鎌も音を上げながら粉々に砕け散っていった。
「あっ…あっ…助けてください。
お願いします…すみません…ごめんなさい。
助けて…お願いします」
鎌鼬は怯えた顔で何度もそう言い続けた。
しかし紅天狗は鎌鼬が何を言おうとも、険しい表情をしながら鎌鼬を見下ろしているだけだった。
「昌景を縛っていた紐が切れたのは、お前が馬鹿にしていた翡翠色の鎌鼬が死に際に施した妖術によるものだ。
お前がぺちゃくちゃと喋っていた間に、血が紐を徐々に溶かしていき、最後は昌景自身の力で切った。
相手を馬鹿にしていたお前は、結局のところ、何も見えてはいなかった。
それにな、女神の怒りは山の神様にも引き継がれている。女神の怒りは、山の神様の怒り。山の神様は、お前がこれまでしてきた事を知っておられる。
お前はな、自らの都合のいいように考え過ぎだ。
罪を犯していながら自らが助かろうとする為の何の意味もない言葉を、俺は受け入れぬ」
紅天狗は雪よりも冷たい氷のような声で言った。
「頭!かしらぁ!」
鎌鼬は立ち上がると、空に向かって大きな声を上げた。
だが新たな旋風が起こることはなく、寂しい風が吹いて右の鎌の破片もさらっていくだけだった。
「なんでだ…なんでだ…。
ワシの鎌が…なんでだ…どうなってるんだ…」
鎌鼬はヘナヘナと崩れ落ちていった。
涙と鼻水でグチャグチャになった雪を鎌のなくなった両腕でかき回し始めた。雪の下から土が顔を出すと、鎌のなくなった両腕は見るも無惨な姿になっていた。
「分からぬか。
ならば、最期に教えてやろう。
お前の方こそ、考えもしなかっただろう?
どうして鎌鼬が、この青い花を怖がり近寄ることも出来ぬのか。
かつてお前達の頭は異界でもっと影響力を強めたいという野心を抱き、もっともらしい大義を掲げて別の領域に攻め入ったことがある。
だが、失敗に終わった。
多くの鎌鼬を失い命からがら逃げかえってきたが、数日経つともう次の侵攻について考えるようになっていた。
ある夜、月明かりの下で、凍った池に映る自らの姿を見た。
真っ赤な瞳は攻撃的で爛々と光り、両腕の大きな鎌は鋭く光っていた。まさに戦闘に有利となる、理想的な鎌だった。全ての鎌鼬が、このような瞳と鎌であれば負けはしなかったと思った。
すると、後ろにいる配下の鎌鼬の姿が目に入った。
自らとは対照的な青い瞳は頼りなく、深傷を負った自らよりも小さい鎌にはヒビが入っていて、もう使い物にはならないように思えた。このような鎌鼬がいるから負けたのではないかと思えてならなかった。
全ては歪んだ感情が見せた幻だったが、奴の中で愚かな思想が浮かび、ある悍ましい計画を実行に移すことにした。
次の日、この場所に、領域中の鎌鼬を集めた。
青い瞳をした鎌鼬を紐で縛り、侵攻に失敗した全責任を押し付ける為に、皆の前に引きずっていった。
『戦に負けたのは、この青い瞳をした鎌鼬の責任だ。
コイツは、我等の情報を敵に流していた。
コイツは以前から、暖色系の瞳をした鎌鼬の大きくて鋭い立派な鎌を妬んでいた。敵と通じ、暖色系の瞳を持つ鎌鼬を砂金と引き換えに次々と敵に殺させて、青い瞳をした鎌鼬が支配する領域にしようと画策していたのだ。
だが敵は薄汚く、情報だけが利用され、コイツも深傷を負った。
コイツの裏切りによって、多くの同胞が死に、勝利が約束されていた戦が失敗に終わったのだ。
青い瞳をした鎌鼬と交尾をすれば、このような裏切り者が生まれてしまう。このような卑しい心と小さな鎌を持った鎌鼬が生まれてしまう。
それは我等の衰退を意味し、いずれ滅びてしまうだろう。
青い瞳をした鎌鼬は、全て処刑せねばならない。
青い瞳をした鎌鼬は、鎌鼬にはなりえない。
暖色系の瞳をした鎌鼬のみが、真の鎌鼬となりえるのだ。
我等は種の繁栄と存続の為に、裏切り者と弱さを許してはならないのだ!我等の正義と強さと安全は、裏切り者と弱さを絶滅させることによってのみ守られる!』
頭は声高に叫んで不安と憎しみを煽り、青い瞳をした鎌鼬の鎌を切り落としてから首も刎ねた。側にあった木も切り倒すと、自らの強さを主張するように血にまみれた鎌を掲げた。
『大きくて鋭い立派な鎌』『優位性』は、暖色系の瞳をした鎌鼬の耳には心地よく響いた。
敗北による苛立ちと日頃の不満と鬱憤をぶつける対象ができたことに、暖色系の瞳をした連中は喜んだ。
頭の言葉が真実かどうかなど、どうでも良かった。
こうして青い瞳をもつ鎌鼬は忌み嫌われるようになり、残忍な方法で次々と殺されていったのだ。
だが、これで終わるはずがない。
理性を失った連中は狂い、さらなる凶行が行われた。
青い瞳だけでなく寒色系の瞳をした鎌鼬も憎しみの対象となり、様々な場所から締め出されて子を作ることも制限された。
愚かにも、色の選別をおこなった。
青でも赤でも黒でも緑でも、神が与えた色は美しい。
本来優劣などない色に優劣をつけ、罪もない命と可能性を摘んだのだ。
その結果、女神の怒りに触れ、暖色系の瞳をした鎌鼬は生まれなくなった。女神はそうすることで、お前達の目を覚まさせようとしたのだ。
だが生まれた子の瞳の色を見ても、鎌鼬は驚愕し憤慨し嘆くだけだった。同胞の目を恐れ、自らも危うくなるのではないかと思い、生まれたばかりの子を、最初に犠牲となった青い瞳をした鎌鼬の死に場所に連れてきて次々と殺したんだ。数えきれぬほどの屍が埋められることもなく放置されていたから、増えたところで分かりはしないと思ったのだろう。屍はそのまま放置し雪が覆い被さっていったが、雪が溶けると青い花が咲き、一年中咲き続けることになった。
そう…殺された者の数だけ、強く美しい花が咲いたのだ。
美しい青い花となって、摘まれた生命を咲かせたのだ。
それが、この場所だ」
紅天狗がそう言うと、青い花が見事な輝きを放った。
青い花は摘まれることも枯れることもなく、本来そうであったはずの喜びに満ち溢れた日々を、こうして姿を変えて送っていくのだろう。
「多くの鎌鼬は恐れ慄いたが、狂った頭は止まらなかった。
頭は生まれた子を集め、瞳の色を変えるだけでなく鎌も異様なほど大きくなるように妖術を施すようになった。
だが許されざる操作に、細胞は悲鳴を上げて崩れ落ちていく。
多くの鎌鼬が犠牲になり、ようやく橙色に変えることに成功した。
お前は、そんなかの1匹だ。
頭が何度もお前を守ったのは、成功した実験体だったからだ。成功体が上手くいけば、その方法でどんどん増やしていくつもりだった」
紅天狗がそう言うと、鎌鼬の体が激しく震えた。聞き取れないほどの小さな声だったが「嘘だ、嘘だ」という言葉を、僕は聞いたような気がした。
「お前の本来の色は、紫色だ。
俺が術を解いた時に、鎌は本来の輝きを放った。
妖術でいじくり回された異様な大きさではなく、その者が持って生まれた自然の美しさだ。
お前達は、それを否定してはならなかったんだ。
否定しなければならなかったのは、頭の思想だった。
お前達は立ち上がり、凶行に走る頭を止めなければならなかったが、頭を恐れてお前達は立ち上がることはしなかった。
お前達の目は覚めることはなかったが、青い花への思いは、女神がお前達の魂に埋め込んだ。
最後の慈悲だった。
それに、気づかないとはな」
紅天狗はそう言うと、鋭く光る刃を鎌鼬の目の前にかざした。
鎌鼬は自らの本来の色である紫色を見ると、大きな声を上げながら泣き崩れ、男の足元に跪いて助けを求めた。
「お願いします…許して下さい。
もう2度としません。これからは大人しくします。ワシの鎌は…もうなくなりました。洞穴の中で…ずっと大人しく暮らします。
禁のことは知らなかったのです…ワシにとって…初耳でした」
鎌鼬は哀れを誘うような声を出したが、銀色の瞳は険しくなるだけだった。
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