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最終幕
VS時間旅行者⑦
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「さて……田中一が見てきた、これから君に起こる未来を教えましょうか」
ドサリ……と、力尽きたかのように床に体を投げ出した櫻子に、探偵が朗らかに声をかけた。
「まず初めに警告しておきますが、抵抗したら腕を捥ぎます」
「…………」
櫻子は絨毯にうつ伏せに顔を埋めたままだった。田中一は小さくため息をつき肩をすくめた。
「それから少しでも反抗的な意思が見えたら、君の大事な大事な坂本先生、彼をこの場に呼びますよ」
「!」
坂本の名が出て、櫻子の体がピクリと動いた。田中一の声が一段と嬉しそうに書斎に響いた。
「もちろん田中一は、君の正体をバラします。可愛がってきた助手が、実は裏では殺しも厭わない残虐な”バケモノ”だったと知ったら、坂本先生はどう思うでしょうね? 失望する? 彼も曲がりなりにも、探偵ですからね」
「わ、たしは……やってな……い!」
「あー無駄無駄、無駄ですよ。スマホで君が爪を立てて飛び回ってる姿、バッチリ撮影させてもらいましたから。この田中一が初めわざわざ無抵抗にやられて見せたのは、そのためです」
櫻子が涙声で小刻みに体を震わせながら、必死の形相で田中一を睨んだ。彼はスマホの形に膨らんだ胸ポケットを指差し、にっこりとほほ笑んだ。
「やがて失意に満ちた坂本先生は、田中一と二人で凶悪な連続殺人犯である天狗を退治する」
「!!」
「……これが、櫻子ちゃんが『田中一に抵抗した場合』の未来です」
赤く目を腫らした櫻子の鼻の先で、田中一の緋色の目がうっすらと三日月型に細められた。
「だけどもし、君が悔い改めるなら……」
「…………」
「今までの罪を認め、『私が犯人でした』と謝罪できるのなら、命だけは許してあげましょう。坂本先生にも、君の秘密は内緒にしといてあげます。知られたくないんでしょう?」
「……!」
「それとも、まだや
シュッ!!
と空気を切り裂く音がして、櫻子が腕を鞭のようにしならせ田中一の顔面に叩きつけた。獣じみた咆哮が部屋全体に轟く。最後まで言葉を紡げなかった田中一は、苦痛に顔を歪ませその場から飛び退いた。櫻子は赤いジャージを突き破り大きく羽を広げ、迷うことなくよろめいている探偵のその細い体躯に突撃した。
「……やれやれ。やっぱり、悲しい結末になってしまうようですね……」
一瞬、ほんの零コンマ一秒の間、田中一の緋色の目と櫻子の尖った瞳が合い火花を散らした。
「!」
だが彼女の漆黒の羽が、田中一の体めがけて空を切り裂いたその瞬間。またしても見えない何かに押しつぶされるように、櫻子は床に叩きつけられた。彼女の目の前に、いつの間にか引き千切られた両腕が転がる。狭い部屋の中に木霊したのは、またしても天狗少女の断末魔の方だった。
「過去に戻って、君の腕と、ついでに羽を引っこ抜いてきました」
櫻子が絨毯にひれ伏すその前で、田中一が面白そうに笑い、ゆらりと態勢を立て直した。彼の右手には懐中時計と、毟り取られた櫻子の漆黒の羽が数枚握られていた。自分が悲鳴を上げているのだと、櫻子は数秒後に気がついた。櫻子はともすれば失いそうになる意識の中、つい先ほど急に自分を襲った背中の激痛が、羽を捥がれたせいなのだとようやく理解した。傷口から溢れ出す新しい血液が、すでに絨毯を埋め尽くしていた血潮の上に滝のように流れ落ちる。
「これでもう飛べないねぇ。可哀想に……」
「!!」
田中一が真心から見せた憐憫の相に、櫻子が憤怒の表情で応える。田中一が手を広げると、羽はひらひらと宙を舞い、両腕を失った櫻子の目の前に落ちた。
「さて……ああ! 待っていましたよ、坂本先生」
「!!!」
突然田中一がぱあっと明るい声を響かせ、入り口の方を振り返った。暗闇だった書斎の扉が開かれ、四角い形の蛍光灯の明かりが外から差し込んでくる。櫻子は思わず息を飲んだ。
「櫻子君……?」
坂本の小さく、静かな言葉が書斎の中を転がった。心配そうなその声は、櫻子の耳にまで届き、彼女を襲ったついさっきまでのどんな痛みよりも的確に心臓を貫いた。
「田中一も、こんなことを彼女が望んでいるとは思ってもいなかったので、非常に心苦しいのですが……これも、あなたの助手が選んだ未来です」
「……!」
「ええ、ご覧の通りですよ。説明はいらないでしょう? 今ちょうど、今回の事件の犯人を追い詰めていたところです。あとで動画もお見せしますよ」
田中一の晴れやかな声に、しかし誰も答えるものはいなかった。坂本が一歩、また一歩とゆっくり書斎の中に入ってくる音が聞こえた。櫻子は歯を食いしばった。
「彼女は、知られなくないと思っていたんですがねえ。もっと素直になって、全てを白状してくれれば……」
「…………」
坂本が櫻子の背後で立ち止まった。背中から剥き出しになった羽の付け根も、もはや隠す気力さえなく、櫻子は息も絶え絶えになり体を震わせるしかできなかった。田中一が坂本の肩に手を置き、耳元で囁いた。
「見て下さい、彼女のこの羽、この爪! これじゃあ、正に妖怪じゃありませんか……」
「…………」
「これが、櫻子ちゃんの正体だったんですよ、坂本先生。彼女は自分が殺人鬼だということを隠して、ずっと裏で先生を利用していたんです。挙句、言うに事欠いてこの田中一が犯人だなんて言いがかりをつけてきましたからね。だけどこの状況、どう見ても……フフ。先生。坂本先生なら、世界一の名探偵である田中一と、この”バケモノ”、どっちの言い分を信じますか?」
「そんなの決まってるじゃないか」
坂本の静かな一言に、田中一がほほ笑みを顔に貼り付けたままピタリと固まった。坂本がゆっくりと田中一を振り返った。
「……おかしいな。田中一が見てきた未来と少し違うぞ? 一体何が……」
坂本の表情を見て、田中一の顔が引きつった。坂本は着ていた紺の羽織を横たわる櫻子にそっと被せ、もう一度、田中一に向き直りはっきりと言い放った。
「今度は僕が守る番だ」
「……まあいいか。予定が少し変わっただけだ」
ゆっくりと立ち上がる坂本を見て、田中一が急に一切の興味を無くしたように顔の表情を捨てた。まるで餌を見る昆虫のような目で坂本を眺め、それから予備動作もなしに右手の懐中時計を弄った。
「……?」
だが、何も起こらない。
眉をひそめたのは、田中一の方だった。もう一度、今度は左手で丁寧に時計に備え付けられたゼンマイを回す。だが、時計は動く気配すらなかった。
「何だ……? 何が起きてる?」
「時計って、精密な機械でできてるんだ」
「!?」
田中一が困惑する中、次に口を開いたのは、坂本探偵だった。
「たくさんの機械が時計の中には詰め込まれてる。機械式時計の内部には」
そこで坂本は田中一の手のひらを指差した。
「ゼンマイの解ける速度の制御装置にテンプという部品がある。磁気がこのテンプの動きに影響を与えると、磁気帯びって言って、時計が動かなくなったりするんだ。日本製なら、一般的な時計の耐磁性能の基準は60ガウス」
「な……!?」
「良くできたやつでも耐性は200ガウスだ。これがどれくらいかって言うと、携帯電話のスピーカーで約200ガウス。タブレット端末なら約400ガウスある。家具の扉のマグネット部分なら、約800ガウス」
「一体……!?」
「”時計”は簡単に狂わせられるってことさ。そこで櫻子君の羽の部分に、事前にセロハンテープ型の磁石を仕込んでおいた」
「何?」
坂本が絨毯の上に散らばる櫻子の羽を指差した。田中一の顔が普段よりさらに青ざめていった。
「バカな……ちょっと待ってくださいよ。事前に仕込んでおいた?」
次第に余裕を失っていく”平成最後のシャーロック=ホームズ”に、坂本は黙って頷いた。
「どうして彼女の正体をすでに知っているんだ? アンタは頭ファンタジー探偵のはずじゃあ……!?」
「僕は……坂本虎馬」
坂本は落ちていた櫻子の羽を一枚拾い上げ、扉から差し込む光に透かして見せた。うっすらと貼られたマグネットテープが、蛍光灯の光に反射して輝いた。田中一が動かない時計を握りしめ、後ずさった。
「まさか……”過去”が変わって、アンタと、この天狗の”未来”も……!?」
「巷じゃ”推理の鬼”なんて言われてるけど……。僕はちょっと物理学を齧った程度の、しがない探偵の一人だよ」
横たわった櫻子が密かに白い歯を見せたのに、田中一が気づくことはなかった。
顔を強張らせる田中一の目の前にいたのは、先ほど会った時とはまるで雰囲気の違う、精悍な顔つきをした”推理の鬼”坂本虎馬だった。
ドサリ……と、力尽きたかのように床に体を投げ出した櫻子に、探偵が朗らかに声をかけた。
「まず初めに警告しておきますが、抵抗したら腕を捥ぎます」
「…………」
櫻子は絨毯にうつ伏せに顔を埋めたままだった。田中一は小さくため息をつき肩をすくめた。
「それから少しでも反抗的な意思が見えたら、君の大事な大事な坂本先生、彼をこの場に呼びますよ」
「!」
坂本の名が出て、櫻子の体がピクリと動いた。田中一の声が一段と嬉しそうに書斎に響いた。
「もちろん田中一は、君の正体をバラします。可愛がってきた助手が、実は裏では殺しも厭わない残虐な”バケモノ”だったと知ったら、坂本先生はどう思うでしょうね? 失望する? 彼も曲がりなりにも、探偵ですからね」
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櫻子が涙声で小刻みに体を震わせながら、必死の形相で田中一を睨んだ。彼はスマホの形に膨らんだ胸ポケットを指差し、にっこりとほほ笑んだ。
「やがて失意に満ちた坂本先生は、田中一と二人で凶悪な連続殺人犯である天狗を退治する」
「!!」
「……これが、櫻子ちゃんが『田中一に抵抗した場合』の未来です」
赤く目を腫らした櫻子の鼻の先で、田中一の緋色の目がうっすらと三日月型に細められた。
「だけどもし、君が悔い改めるなら……」
「…………」
「今までの罪を認め、『私が犯人でした』と謝罪できるのなら、命だけは許してあげましょう。坂本先生にも、君の秘密は内緒にしといてあげます。知られたくないんでしょう?」
「……!」
「それとも、まだや
シュッ!!
と空気を切り裂く音がして、櫻子が腕を鞭のようにしならせ田中一の顔面に叩きつけた。獣じみた咆哮が部屋全体に轟く。最後まで言葉を紡げなかった田中一は、苦痛に顔を歪ませその場から飛び退いた。櫻子は赤いジャージを突き破り大きく羽を広げ、迷うことなくよろめいている探偵のその細い体躯に突撃した。
「……やれやれ。やっぱり、悲しい結末になってしまうようですね……」
一瞬、ほんの零コンマ一秒の間、田中一の緋色の目と櫻子の尖った瞳が合い火花を散らした。
「!」
だが彼女の漆黒の羽が、田中一の体めがけて空を切り裂いたその瞬間。またしても見えない何かに押しつぶされるように、櫻子は床に叩きつけられた。彼女の目の前に、いつの間にか引き千切られた両腕が転がる。狭い部屋の中に木霊したのは、またしても天狗少女の断末魔の方だった。
「過去に戻って、君の腕と、ついでに羽を引っこ抜いてきました」
櫻子が絨毯にひれ伏すその前で、田中一が面白そうに笑い、ゆらりと態勢を立て直した。彼の右手には懐中時計と、毟り取られた櫻子の漆黒の羽が数枚握られていた。自分が悲鳴を上げているのだと、櫻子は数秒後に気がついた。櫻子はともすれば失いそうになる意識の中、つい先ほど急に自分を襲った背中の激痛が、羽を捥がれたせいなのだとようやく理解した。傷口から溢れ出す新しい血液が、すでに絨毯を埋め尽くしていた血潮の上に滝のように流れ落ちる。
「これでもう飛べないねぇ。可哀想に……」
「!!」
田中一が真心から見せた憐憫の相に、櫻子が憤怒の表情で応える。田中一が手を広げると、羽はひらひらと宙を舞い、両腕を失った櫻子の目の前に落ちた。
「さて……ああ! 待っていましたよ、坂本先生」
「!!!」
突然田中一がぱあっと明るい声を響かせ、入り口の方を振り返った。暗闇だった書斎の扉が開かれ、四角い形の蛍光灯の明かりが外から差し込んでくる。櫻子は思わず息を飲んだ。
「櫻子君……?」
坂本の小さく、静かな言葉が書斎の中を転がった。心配そうなその声は、櫻子の耳にまで届き、彼女を襲ったついさっきまでのどんな痛みよりも的確に心臓を貫いた。
「田中一も、こんなことを彼女が望んでいるとは思ってもいなかったので、非常に心苦しいのですが……これも、あなたの助手が選んだ未来です」
「……!」
「ええ、ご覧の通りですよ。説明はいらないでしょう? 今ちょうど、今回の事件の犯人を追い詰めていたところです。あとで動画もお見せしますよ」
田中一の晴れやかな声に、しかし誰も答えるものはいなかった。坂本が一歩、また一歩とゆっくり書斎の中に入ってくる音が聞こえた。櫻子は歯を食いしばった。
「彼女は、知られなくないと思っていたんですがねえ。もっと素直になって、全てを白状してくれれば……」
「…………」
坂本が櫻子の背後で立ち止まった。背中から剥き出しになった羽の付け根も、もはや隠す気力さえなく、櫻子は息も絶え絶えになり体を震わせるしかできなかった。田中一が坂本の肩に手を置き、耳元で囁いた。
「見て下さい、彼女のこの羽、この爪! これじゃあ、正に妖怪じゃありませんか……」
「…………」
「これが、櫻子ちゃんの正体だったんですよ、坂本先生。彼女は自分が殺人鬼だということを隠して、ずっと裏で先生を利用していたんです。挙句、言うに事欠いてこの田中一が犯人だなんて言いがかりをつけてきましたからね。だけどこの状況、どう見ても……フフ。先生。坂本先生なら、世界一の名探偵である田中一と、この”バケモノ”、どっちの言い分を信じますか?」
「そんなの決まってるじゃないか」
坂本の静かな一言に、田中一がほほ笑みを顔に貼り付けたままピタリと固まった。坂本がゆっくりと田中一を振り返った。
「……おかしいな。田中一が見てきた未来と少し違うぞ? 一体何が……」
坂本の表情を見て、田中一の顔が引きつった。坂本は着ていた紺の羽織を横たわる櫻子にそっと被せ、もう一度、田中一に向き直りはっきりと言い放った。
「今度は僕が守る番だ」
「……まあいいか。予定が少し変わっただけだ」
ゆっくりと立ち上がる坂本を見て、田中一が急に一切の興味を無くしたように顔の表情を捨てた。まるで餌を見る昆虫のような目で坂本を眺め、それから予備動作もなしに右手の懐中時計を弄った。
「……?」
だが、何も起こらない。
眉をひそめたのは、田中一の方だった。もう一度、今度は左手で丁寧に時計に備え付けられたゼンマイを回す。だが、時計は動く気配すらなかった。
「何だ……? 何が起きてる?」
「時計って、精密な機械でできてるんだ」
「!?」
田中一が困惑する中、次に口を開いたのは、坂本探偵だった。
「たくさんの機械が時計の中には詰め込まれてる。機械式時計の内部には」
そこで坂本は田中一の手のひらを指差した。
「ゼンマイの解ける速度の制御装置にテンプという部品がある。磁気がこのテンプの動きに影響を与えると、磁気帯びって言って、時計が動かなくなったりするんだ。日本製なら、一般的な時計の耐磁性能の基準は60ガウス」
「な……!?」
「良くできたやつでも耐性は200ガウスだ。これがどれくらいかって言うと、携帯電話のスピーカーで約200ガウス。タブレット端末なら約400ガウスある。家具の扉のマグネット部分なら、約800ガウス」
「一体……!?」
「”時計”は簡単に狂わせられるってことさ。そこで櫻子君の羽の部分に、事前にセロハンテープ型の磁石を仕込んでおいた」
「何?」
坂本が絨毯の上に散らばる櫻子の羽を指差した。田中一の顔が普段よりさらに青ざめていった。
「バカな……ちょっと待ってくださいよ。事前に仕込んでおいた?」
次第に余裕を失っていく”平成最後のシャーロック=ホームズ”に、坂本は黙って頷いた。
「どうして彼女の正体をすでに知っているんだ? アンタは頭ファンタジー探偵のはずじゃあ……!?」
「僕は……坂本虎馬」
坂本は落ちていた櫻子の羽を一枚拾い上げ、扉から差し込む光に透かして見せた。うっすらと貼られたマグネットテープが、蛍光灯の光に反射して輝いた。田中一が動かない時計を握りしめ、後ずさった。
「まさか……”過去”が変わって、アンタと、この天狗の”未来”も……!?」
「巷じゃ”推理の鬼”なんて言われてるけど……。僕はちょっと物理学を齧った程度の、しがない探偵の一人だよ」
横たわった櫻子が密かに白い歯を見せたのに、田中一が気づくことはなかった。
顔を強張らせる田中一の目の前にいたのは、先ほど会った時とはまるで雰囲気の違う、精悍な顔つきをした”推理の鬼”坂本虎馬だった。
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