皇帝と灰被

積もった埃

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 魔法大戦。歴史上において、人類の文明と惑星の生命体の進化を歪めたとされる戦争。規模を問わなければ既に五度起きているその戦争は、一世紀足らずで人類の魔法への適応力を齎した。
 そのいずれでも脅威とされたのが、魔法を自在に操る魔法使いたちである。飛行し、大地を焼き、嵐を起こし、水を腐らせるその技は、生命を奪うことは造作もなかった。

 厄災、星の癌、神秘、破滅の力。様々な呼ばれ方をしてきた魔法は、遂に国際条約で定義付けられた───"奇跡"と。

「以上が最低限の知識だ。分かったか?」

 問いかけに対し、机上に広げられた本と紙を見比べて首を捻ったのを見て男がため息をつく。

「全く......本当に分からないんだな」

 諦めた様子で男がコーヒーに口をつける。

「分からないのは国際条約についてだ」

 呆れられたことを察したらしく、手元の紙を机に叩きつけて指を指したのは、国連における魔法の扱いをまとめた要項だった。

「"魔法は文明進歩の糧として奇跡の名を冠する"。何だこれ?」
「そのままの意味だ。各国のトップたちは、科学や現行人類の理論で証明しきれない領域を魔法として扱い、これを奇跡と呼ぶことにした」

 それだけだ、という男に不服そうな顔をする。

「戦争は文明を進歩させる。それは旧世界の歴史で分かる」
「科学ではなく魔法を基軸とした文明、か」
「まあ、魔力無しには生きづらいことこの上ない世界だろうな」

 国際条約締結前ならいざ知らず、ほとんどの魔道具が魔力操作で成立するようになった現在で、魔力無しの肩身は狭い。コスパの問題だとか、なんだとか。企業はそういう理由を表では口にしているが、実際はただの圧力。

「魔力なんてなくても生きれる」
「生物としてはな」

 知性を以て文明を築く種が、娯楽を持たずにいることは不可能だ。少なくとも人類は。
 そう言った男にそういうものかと理解して本を捲る。

「それにしても」

 男が視線を寄越す。

「灰被の機能が欠落してるのは厄介だな」

 捲る手を止めて深紫の目を見る。好奇の目ではあるが、値踏みするというよりは面白いものを見る目だ。

「灰色の髪に灰色の目。喪失した肉体の即時の恢復。その際の他生物の発生から死滅までを行う現象。魔法史にある通りだが、機能のひとつである記録能力が致命的なまでに皆無」

 考え込むように口元に手を当て、じっと観察する目に眉根を寄せる。

「物覚えは昔から良くない方だけど」

 実際、昔から良くない。一を言われても一すら次の日には忘れていることが多い。

「ふむ。忘却機構は灰被には適応されないはずだが......」

 ぶつぶつと独り言をし始めたのを見て手元の本を読み進める。
 挿絵と長ったらしく書かれた過去の栄光。あるいは人類の罪とやらを明らかにした文字の羅列。

 たったそれだけのもので、何が分かるというのか。ただの民間人すら戦争に登用され、勝ち目のない戦場に行って玉砕する。その度に、、自分のようなものが生まれては死んでいくだけの、累積される淀みを歴史と呼ぶ人間の悪辣さに何の興味も湧かない。
 死ぬために生まれたのか、という友の言葉を思い出す。そんなことはない、とは言えなかった。あの場所ではそれが常識のようなものだったからだ。

 ふとページを捲る手が止まる。"聖女"という文言に続いて書かれた内容に目を見開いた。

 ───あらゆるものを在るべき形に戻す奇跡の力。それは灰被に死をも齎す。

 灰被の死。その前例を一度だけ目にしたことがあった。
 周囲一帯を灰燼に帰し、自らの肉体すら灰へと変え、再生能力すら焼き尽くした膨大な焔。灰被は不死身だが
 もし本当に"聖女"という存在が灰被に死を齎すのだとしたら、厄災という他ない。灰被の死は文明の滅亡を意味するとされ、最悪の場合、この惑星における文明全てが死滅する。

 文明の死、という考えに胸がざわつく。灰被としての本能から来るものなのか、気分のいいものではない。
 本を捲ろうとしたところで、部屋の扉がノックされた。黙って視線だけを男に寄越すと、つまらなさそうな目で肘をついて扉の先を視る。
 入れと言えば扉が開かれ、数人の少女が入ってくる。

「誰?」
「気にしなくていい」
「気にするけど」

 少女たちは黙々と書斎を掃除し始め、男は何食わぬ顔で机上の紙束を手に取った。完全にアウェーで取り残されている。
 ソワソワと落ち着かないのを見兼ねて男が口を開く。

「ソイツらは人型魔道具エクスマーキナーだ」
「えくす......何?」
「簡単に言えば人工知能」
「?」
「......動力さえあれば勝手に動く人形」

 あぁそれなら、と理解を示したところで目の前に紅茶が入ったティーカップが置かれる。白銀のウェーブがかった髪の少女が一礼する。

「ありがとう」

 少女がその言葉に動きを止める。じっと目を向けられ、見つめ返す。互いに何も動かない時間が過ぎ、しばらくして困惑した様子で男を見る。
 どうしたらいいと聞けば、手元の紙束から顔を上げて見た男がああ、と納得したように仕事に戻っていいと命じる。その言葉に少女は畏まりましたと下がり、他の少女たちと共に部屋を出て行った。

「あまり傾倒するなよ。ただの人形だ」
「しない。だが、人形であれ、してもらったことには礼をすべきだろ」

 律儀な奴だな、と鼻で笑った男が紙面を見て閉口する。

「アインス」

 机上の紙を集めてまとめながら目だけを寄越す。熱い紅茶に苦戦しているのがバレたかと思ったがそうではないらしい。まとめた紙の上に分厚い本を重し代わりに置く。

「喜べ。初の仕事だ」

 今後、この男の言う喜べ、という言葉は信用しないと決めた。

 久方ぶりに見た外の世界は、記憶にある頃より遥かに平穏で活気に溢れ、それまで微睡みの中にいたような意識がはっきりと世界平和を認識して覚醒するほどに変わっていた。
 外に出るにあたり、男が外套を着けるよう促す。どうやらこの髪と目は目立つようで、見る人が見ればすぐに灰被と看破されるという。

 面倒ごとは増やさないに限ることには同意だが、外套はむしろ人目を惹くのではないかと断ったところ、魔法使いはほとんど容姿を隠すから関係ないと言って男も同じ外套を着てフードを目深に被った。
 それに倣って着用して男の屋敷を出る。柔らかな日差しと優しい風が吹き、草花を揺らす道を歩く。季節は春が近いのか、鳥は囀り穏やかな顔で道行く人々が笑う姿を横目に、前を歩く男の後ろを離れずついて行く。

 屋敷からある程度離れると、道の様相は様変わりし、それまでけもの道に近かったそれはアスファルトで舗装され、道幅も広く幾本にも繋がる道路となっていた。
 市街地に入り、忙しなく行き交う人間の多さに圧倒される。交差点で信号待ちの中で周囲を見回していると、一際巨大な建造物が目に入った。記憶にはない外装が螺旋を描くように造られ、よく見ればその内側の構造は反対に螺旋を描いているのが分かる。

「......?」

 その螺旋構造を見て一瞬だけ視界が揺れた気がした。不思議に思ってもう一度目を凝らして見るが特に何もない。人酔いでもしたかと考えたところで、信号機から横断可能を知らせる音が鳴る。
 そういえば目的地を聞いていないな、と思い出して男に聞けば、明確な目的地はないという。それで何が仕事になるのだろうか。

「直に分かる」

 そう言われては仕方ないかと黙って着いていく。これだけ世情から離れた格好をしていても不自然なほどに視線は感じず、まるで視界にすら入っていないのではないかと錯覚する。凡そ、そういうものだと認識されているか、或いは外套が魔道具であるかのどちらかだろう。
 螺旋の建造物の上層は雲で見えず、これほどの高層建築を可能とする技術的進歩を遂げていることに驚いた。科学が基盤とはいえ、魔法主体の時代というのは正しいようだ。

「そこの魔法使いさん、ウチ寄ってかない?」

 それだけ進歩してもキャッチの文化はそのままなのかと肩を落とす。民間の文化は何年経過しても思想と価値観に左右されるとはいえ、大差ないのは歴史的に分かるが、真昼間からよくやるなと声の方に視線を向ける。
 手書きの売り文句が大袈裟にアピールされている内容のプラカードを持った男性と目が合う。正確には目が合ってしまった。しまった、と思った時には男性がパッと表情を明るくしてニタリと笑う。その悪どさたるや、罠に掛かったものをどうしてやろうかと考える蹂躙者のそれである。

「こんにちは!魔法使いさんはどんな子が好みですか?僕のオススメはレイっていう小柄な子ですね。綺麗な顔ならジルかサツキかな。あ、変わった子も沢山いますよ!」

 驚くほどの速さで距離を詰められ、逃げる隙もなく捲し立てられる。進行方向を理解して先に回り込みながら話を展開する辺りが慣れていると分かるが、あれだけ視線すら寄越さない中で魔法使いだけを狙って声掛けしていたのだろうか。

「おい」

 口を開きかけたところで肩を掴まれて後ろに引かれた。驚いて向けば、男が若干不機嫌そうな顔で立っていた。

「何してる」
「雑なキャッチに捕まってた」
「キャッチ?」

 何を言っているんだと呆れた顔をされ、話しかけてきた男性がいる方を見るがそこには先ほどの男性はおらず、それどころかキャッチをしている人間はいない。
 それどころか、周囲にある店はショッピングモールやオフィスばかりで、飲食店と言っても居酒屋などは見当たらない。

「あれ?おかしいな......」
「おかしいのはお前の記憶力と方向感覚だ」

 着いて来ていたと思えば突然いなくなり、逆探知をしてみればほぼ真逆の方に歩いていたことが判明したという。外套を着ていなければ交番に行って迷子捜索のための魔法行使すらしたかもな、と半笑いの男にすまないと謝る。

「蝶々か鳥でも追いかけてたか?」
「どちらかというと......幽霊?」
「視覚野に問題があるようだな。新しくしたらどうだ」

 冗談に聞こえない言葉に再度謝罪すれば、反省したと見られたのか男が腕時計を確認する。

「丁度いい時間だな。行ってこい」

 どこに、と言うが早いか男が杖を取り出して一振りした瞬間、周囲の景色が引き伸ばされ、歪み、切り替わる。数度瞬き、周りを見回す。男の姿はない。
 半歩下がって靴裏から伝わる感触が異なることに気づき、下を見ればアスファルトでも砂利でもなく、レンガが敷かれている。珪砂で隙間が潰され、ちゃんと整備されているようで凹凸感はない。

 先ほどの街並みはどこへ消えたのか、人気のない薄暗い路地裏のような場所に立っていた。湿気と何かの臭気を感じながら、開けた道へ出ようと壁伝いに進む。
 明るい方へ向かっていると、微かに人の声が聞こえる。耳をすませば言い争いをしているようだった。気づかれないように足音と気配を消して近づいていく。曲がり角の先からの声は次第に大きく鮮明になった。

「だから嫌だって言ってるでしょ」
「そこを何とか頼むよ、君しか頼れないんだって」
「嘘ばっかり。もうゴメンよ」

 ヒートアップする口論の内容を聞く限り、痴情のもつれか何かだろうと察する。必死に女性に頭を下げる男性が縋りつき、女性は本気で嫌がっているらしかった。
 面倒な人間関係はいつの時代も同じのようだ。無視してしまおうと足早に曲がり角を通り過ぎようとしたところで、鈍い音と何かが落ちる音が聞こえて足を止める。明らかな発生源の方へ戻って曲がり角から覗き込むと、一人が倒れ、もう一人が息を荒らげて立っているのが見えた。

 声を上げるのを忘れていたのは、立っているのが到底人と呼ぶには悍ましく、それでいて未だ人の名残を残す出で立ちだったからだ。呼吸出来ていたかは分からない。しかし、真冬に冷水を浴びるよりも急速に冷却されていく思考が、辛うじて硬直する指先を動かす指令を出したことで、逃走の判断をするに至ったのは事実だった。
 シャボン玉が集まって膨張するように人の姿を失くすそれが、こちらを向いたのが分かる。影のように光を通さず、光源を背後から浴びているのに輪郭しか視認できないそれ。目にあたる器官は確認できないが、おそらく、目が合った。

 本能的な忌避感。生命体として察知する、理解し難いもの。人間の思考の外側に類する何か。これを理解してはならない、人間として死を迎えたいのならば、目の前に広がる光景は忘却しなければならない。シナプスが極限まで全身の神経に逃走を働きかける。
 だが、踏み締めた足は逃走ではなく、それの足元で倒れている人間の救出のために動いた。レンガを蹴り、人間を担いで走り出す。背後を確認する暇はない。勢いのまま道を飛び出して光の下に出る。そこで飛び出した場所が、先ほど男に魔法か何かで飛ばされる前に居た場所だと分かる。

 周りを見回して先ほどの場所から距離を取ろうと地面を蹴った時だった。

「不合格じゃ」

 視界が上向く。遅れて来た衝撃で顎を殴打されたと理解し、抱えていたはずの人間がいない事に気づいた。バランスを崩して臀をつくとヒールの音が鳴る。
 目の前で止まったヒールを見て顔を上げる。陶器のようにつるりと傷一つない肌、差し色として艷めく赤い唇、白を基調としたゴシック調の服装を纏う小柄な少女が立っていた。
 何より目を惹いたのは、日差しを浴びて煌めく長い金髪と、切れ長の目を装飾する長い睫毛が揺れ、その下で見下ろす紫水晶。その色彩は魔法使いとしての大成を約束された色。記憶にある友のそれと酷似していた。

「おい、聞いておるのか」

 鋭く細められた目と聞き馴染みのない口調にハッとして数秒遅れて間抜けな返事をする。その返事に舌打ちした少女が不服そうに片手に持つ日傘を握って杖を振るように突きつける。

「貴様、名は」
「アインス」

 名を聞いた少女が片眉を上げて嘲笑するように口角を上げる。

「嘘はつかぬ方がよい。我はさほど気は長くないぞ」
「嘘はついてない。君が危ないと判断したから助けた」
「白々しいな」
「すべて事実ですよ、女帝」

 背後からの声に振り向くといつの間にいたのか男が立っていた。人目を気にせずフードを脱いで人当たりのいい笑みを浮かべる。ゾワッと嫌悪感が走る。

「これは貴殿の犬か?サクラ」
「ええ。何か粗相でもありましたか」
「ふん、粗相など可愛いものよ。我のの邪魔をしたのじゃ、不敬罪で即刻処分するがよい」

 出来ないと言うのならば、と言って傘の形状が剣に変わる。ヒタリと首に触れ、皮膚が切れて血が滲む。直近で似たことがあったな、と思いながら大人しく男の返答を待つ。

「宜しいのですか」
「どういう意味だ」
「コレは灰被ですよ」

 風がひときわ強く吹き、フードが剥がれる。不味い、と被り直そうとしたところで首に当たっていた剣が食い込み、首の肉を斬られる。
 パッと吹き出した血で衣服と外套が汚れていく。地面に広がった血の海に身体が沈む。またか。そう思いながら、息を吐く。

 金色の粒子が舞い上がり、斬られた首と血の海から発芽する植物たち。蔦が首に巻き付き、切断箇所を縫合するようになぞる。萎れて枯れる頃には血の海もなければ首の傷もなく、衣服に着いた血も綺麗さっぱり無くなっていた。
 身体を起こして首を確認すると元通り繋がったままだ。少女を見れば、二つの紫水晶が零れ落ちそうなほど見開かれ、剣となった傘を握る手が微かに震えているのがわかる。

「......本当に、灰被なのか」

 首を傾げ、男に視線を向ける。目を細めたのを見て少女に頷くと、少女の表情が歪む。まるで悔しさと怒りの入り交じったような顔に戸惑っていると、少女の後方遠くから数人のスーツに似た正装を着た大人が駆けてくるのが見えた。
 その声に舌打ちした少女が刃を下ろすと傘に戻る。

「......アインスと言ったな。貴様の名と顔、覚えたぞ」
「はぁ......」
「我はダレット。何れ会う機会があろう。忘れるな」

 まるで仇敵か好敵手に出会ったラスボスか何かのような言い方に苦笑いをする。以前に会ったことはないはずだ。記憶が正しければ。
 じっと見つめて去っていった少女の背中を見送っていると、後頭部を小突かれる。

「用件は済んだ。帰るぞ」

 それだけ言ってフードを被った男が歩き出す。数秒遅れて、慌ててフードを被ってあとを追いかける。
 後で聞いた話だが、仕事というのは嘘でただの嫌がらせに使われたという。次からはこの男の言うことはまともに受け取らないようにしようと決めた時であった。
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