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第二章/痛いのと酷いのドッチが好き?

エピソード1『白い悪魔』

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「アイツを返せっ!」
「ん~、そうは言われても、どの子のことかな。心当たりがありすぎて分からないな」
「――こ、の……っ! 長い金髪の、小柄で、青い瞳の」
「君たち天使はたいてい金髪碧眼じゃないか。他に目印はないの?」
 天界と魔界の狭間で白い翼の男がふたり、空中にて対峙していた。
「サラという名の美しい天使だ。これと同じ指輪をしているはずだ! 貴様が上級天使を次々と誘拐しているのは分かっているんだぞ。第二大悪魔!」
 上級天使は左手薬指の銀の指輪を見せつけて、息を荒らげながらそう叫んだ。
 対してそれを受けた男は飄々とした態度で肩を竦めてみせた。
「ああ……、サラちゃんね。いたかもねぇ、そんな名前の子」
「――――返せ。俺の『唯一の星エトワール』だ」
 剣を抜いて構えた上級天使に向かって、ゆっくりとした口調で男は告げた。
「無理な相談だね。だって、もう――食べちゃったから」
 そう言って薔薇の花弁のような美しい唇に残酷な笑みを刻むのは金髪の大悪魔。
 名を、アンドリュー・セラフィナイトといった。
 悪魔のくせに純白の翼は、かえって異質な禍々しさを放つ。
「――なっ!」
 驚愕する上級天使に、アンドリューは淡い翡翠色ペリドットの瞳を薄く細めた。
「あの子が望んだんだよ。『ボクの心臓を食べて。アナタとひとつに溶け合いたいから』……ってね?」
 ゆっくりと宥めるように語る美しい声に、上級天使は内容の残酷さを聞き逃してしまいそうになる。
「嘘……、嘘だっ!」
 上級天使はわなわなと震えながら、何度となく首を横に振った。
 信じられないのだろう。
 己の愛する恋天使こいびとが悪魔の手に堕ちてもう二度と還らないという現実が。
「可愛らしい子だったよね。とても好きだったよ。あの子の心臓ね。甘くてとろけそうで……とても美味しかった」
 うっとりと語られる台詞に、上級天使は激昂し叫び声をあげて斬りかかる。
「天使のふりをして油断させて近づいて――ッ! 卑怯者! この……悪魔めッ!」
 ザンッ!
 空を切る音が響く。
「いいね、その台詞。そのまんまだけど、いつ聞いても最高の賛辞だ。惚れ惚れするよ」
 アンドリューは、ぞくぞくと駆け巡る快感に淡い翡翠色ペリドットの瞳を愉悦に染める。
「死ねっ! 貴様など死んでしまえばいいっ!」
 ザシュ……ッ!
 涙を流しながらの痛恨の一撃が、アンドリューの胸を斬り裂いた。
「うふふ……ふふ……っ」
 うつむいた白い悪魔の表情が長い金糸の前髪で隠れる。
 自らのザックリと裂けた胸元に手をやり、吹き出る鮮血と痛みに、……陶酔する。
 溢れる不吉な笑い声に。弧を描く口元に。
 上級天使は戦慄を覚えた。
「あ、あぁぁぁ……っ?」
 込み上げて止まらない震えは全身を巡り、剣を握る手がガタガタと震える。
 既に瞳は怯えたように曇り、歯の根が合わずカチカチと恐怖が音色を刻んだ。
「――いいね。痛いのは好きだよ。生きてるって気がするから。そして、痛みを倍にして返すのも大好きだよ。僕はね、血と痛みが一番美しいと思っているから」
 ゆっくりとぞっとするほどの美貌を上げて、猟奇的な微笑みを浮かべた美しくも凶悪な悪魔は、純白の翼を広げ白く美しい手をゆっくりとかざした。
「ひっ!」
「痛いのと酷いの、ドッチが好き?」
「たっ、たすけ……っ」
「――――切り裂け。
 ゆっくりと動いた唇に載せられた呪文と同時に上級天使を切り裂く風。
「ひいいい、助けて……ッ!」
 上級天使の伸ばした左手が空を切る。その薬指に煌めいた光にアンドリューは静かに眼差しを細めた。
 バシャアッ! と深紅に視界が染まる。
 紅く染まった白い羽根が舞い散り、上級天使の身体は光の球へと昇華し、天に吸い込まれるように消えていった。
「……ああ。綺麗だね」
 残された銀の指輪を虚空にかざして、アンドリュー・セラフィナイトはその小さな輪の向こうをうっとりと見上げた。

「あいかわらず悪趣味だな」
 ふいに響いたよく通る低くて聞き心地のいい声に、アンドリューは、返り血に染まった身体でゆっくりと振り返った。
「……ゼアス」
 視界に映るのは見慣れた美貌。
 黒い翼に漆黒の艶やかな髪。
 濃紫色のマントがなびく。
 氷のように冷ややかな青紫色アメジストの切れ長の瞳が憮然としてアンドリューに向けられている。
「なんだ。見てたの?」
「いや、今来たところだ。見ているくらいなら止めている」
 あいかわらずニコリともしない無愛想な同胞に、アンドリューは肩を竦める。
「ゼアス殿はお優しいことで」
「莫迦か。天界と揉めるなと言っているのだ。魔王ルキフェル様のお手を煩わせたくない」
 淡々と述べる冷ややかな美貌を、アンドリューはふうんと見やる。
「上級天使の一体や二体、別にバレなきゃどうってことないんじゃない?」
「いいや、駄目だな。既に第四大天使ウリエス・ルヴィエが嗅ぎ回っているぞ」
「ああ、確か。探索能力に特化してるとかいう五大天使ね」
 めんどくさ、とアンドリューは天を仰いで肩を竦めた。
「別にどうせその内り合うんだから、同じことだと思うけどね」
「今はまだその時ではない。規律を守れと言っている」
「もう。ゼアスはいつもお小言ばっかり」
「天使を飼っては飽きたら喰らうのはいい加減やめろ。それに先ほどだって悪戯に切り刻む必要はなかった」
 ゼアスは憮然として呟きながらアンドリューの胸元に手をかざす。
「これもわざとか? 自らをも切り刻んで、お前はどこまで堕ちれば気が済む」
 ゼアスは深いため息をつきながら、アンドリューの裂けた胸元から未だ吹き出る血を青紫色アメジストの光で癒やし始める。
「……別にいいのに。ゼアスはなんだかんだ言っておせっかいだ。僕はね、痛いの好きなんだ。生きてるって気がするでしょう。どうせ死ねやしないんだ。だって、千年もあるんだよ? 退屈でたまんない」
「……サドな上にマゾが。救いようがないな」
「ふふ。自覚はあるよ。でも、自分だけマトモって顔は気に入らないなあ。君が大悪魔まで進化するためには喰らった人間の魂は千は下らないはずでしょう?」
「誰のせいだと……ッ」
 ゼアスはうんざりしたように不機嫌そうに眉間の皺を深くした。
「ふふふ、分かってるよ。上級の君が僕のためにここまで登りつめて来てくれたのには、愛を感じちゃったもの」
「心地の悪い言いまわしをするな。全ては魔王様の恩義に報いるためだ。お前のお目付役は俺に課せられた使命だからな」
「やだなあ。そのつれない言い方。……でも、御前試合はつくづく爽快だったね。繁殖期中期組の僕らが前期組に圧勝なんだもの。君なんか首位だよ? 第一大悪魔に就任しちゃうんだもの。叔父上もびっくりだよ」
「たまたま対戦カードがよかっただけだ。水は俺の支配下だ。……そして、お前は手を抜いたな」
 第一大悪魔ゼアス・サイファは、じとりと金髪の白い同胞を睨みつけた。
「だって、君とやりあったって仕方ないじゃない。魔法学校で十分張り合ったから知ってる。疲れるだけだし、それに。第一ファーストなんて面倒なだけ」
 第二大悪魔アンドリュー・セラフィナイトはしれっとそんなことを言ってベッと赤い舌を出して見せた。
 こんな調子でいつも面倒事を押しつけられてばかりのゼアスは深々とため息をついてしまう。
「とにかく、もう天使にはかかわるな。いいな」
「はあーい。まあ、純粋な子も飽きちゃったし。次はそうだね。淫魔インキュバスとかどうかな。きっと可愛いよ」
 アンドリューが愉しげにそう言うと、ゼアスの頬が僅かに強張った。
「――よせ。同族に手をかけるな」
「なに? 怖い顔。珍しいね。ゼアスが感情的になるなんてさ」
「……。そんなんじゃない」
「ああ、もしかして君の担当のの心配したの? まさか眺めてる内に情がわいちゃったとか?」
「下らんことを」
「心配しなくても、さすがの僕も叔父上の持ちモノに手をつけたりはしないでしょ」
「くれぐれも間違いは起こすな」
「はいはい。……癒やさなくていいよゼアス、僕の血は毒だよ。忘れたの」
「お前こそ忘れたのか。――お前の毒は、俺には効かない」
「ああ、そうだったっけ? ……じゃあね。今日のこと、叔父上には内緒にしてね?」
 アンドリューは、天使と見紛うほどに美しく無垢な笑みを浮かべると、白い翼をバサリと広げる。
 そして、身を翻しかけてふいに動きを止めた。
「――ねぇ。後どれだけ『徳を積んだら悪いことしたら』僕の翼も黒くなるのかな?」
 どこか虚ろな眼差しでポツリと溢れた言葉に、ゼアスは息を呑んだ。
 生まれつき白い翼が今更黒くなるわけもない。分かっているはずだ。
「お前の翼が白かろうと黒かろうと、あの方はお側に置いて下さる。魔力チカラだけが全て。いろなど気にしているのはお前だけだ」
 聞いているのかいないのか、アンドリューは天を仰いだ。
「……。ねぇ、何処にいるのかな? 永すぎる時間を僕と寄り添える存在ひとは」
 残酷な眼差しが、まるで迷子の子供のように心許なく揺れている。
「……『片翼フェイト』か。探しているのはお前だけではない」
 ――――千年の寿命は永すぎる。
「俺たちはいつだって共に寄り添える半身を探している」
「そう。僕たち悪魔の間では『片翼フェイト』……。天使たちの間では『唯一の星エトワール』っていうんだって。僕はそっちの響きの方が綺麗で好きだな」
「好きにしろ」
 どうでもよさそうなつれない返事をした青紫色アメジストの悪魔の端正な横顔をチラリと見てから、アンドリューがポツリと呟いた。


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