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+5+ 貴方が私の世界の全て
しおりを挟むレオン・サーシャは自室の花瓶に挿した瑞々しく咲き誇った青薔薇に手を伸ばしかけて、その手を止めた。
ここ数日目眩が酷い。あんなに軽かった身体がずっしりと鉛の様に重く足がもつれる。
レオンは、いいえとかぶりを振る。
これが本来の己の姿なのだ。このひと月が奇跡の様な日々だったのだ。勘違いしてはならない。
己は罪深く呪わしき忌むべき存在。
魔界の吸血鬼として生を受けていながら〝陽の瞳〟を持って生まれてきた。
この晴天の瞳は、闇の眷属を滅する陽光の光を放つ。
生誕するなり己と目を合わせた父と母を一瞬で灰にしてしまった。
あの瞬間。金の瞳が信じられない様に見開かれたあの瞬間が脳裏に焼き付いて離れない。
そして、主の仇を討とうと剣を振り被った父の側遣いであるシャザールの父親も灰となってしまった。
主である吸血鬼に長く血を与え続けていた側遣いは、闇の眷属となっていたのだ。
レオンはベッドに座り両手で顔を覆った。
ごめんなさい。ごめんなさい。
あの光景が何度も何度もフラッシュバックして己を苛む。
許されない。罰せられるべきだ。己こそ灰になるべきだ。
しかし、死ねなかった。
吸血鬼のくせに、銀の弾丸で撃たれても、聖水をかけられても、白木の杭で心臓を貫かれても、死ねなかった。
十字架にかけられて朝陽に晒されようと、己の身体には何の変化も訪れはしなかった。
――――そんな絶望の中、彼に出逢った。
『この世界で一番強い悪魔様、どうか願いを聞いてください』
魔法陣での呼び出しに応えてくれたのが、ルキフェルだった。
ルキフェルは、魔界でも魔力の最も強く上流貴族である〝悪魔〟であり、その中でも高位の存在だと思われる。
ルキフェルの計らいで共に魔法学校に通う様になって改めて思った。
こんなに美しい魔性は見たことがないと。
見上げる程の長身。スラリとしながらも野生の獣のように鍛え抜かれたしなやかな体躯。すらりと伸びた手足。
漆黒の艶やかな髪。黒曜石の様に美しい切れ長の眼はまるで王者の様な不遜な光を放ち、形の良い唇は時に弧を描く。よくみせるルキフェルの顎を上げて見下ろす様は傲慢でしかし他者を魅了せずにはいられない鮮烈な魅力があった。
その抜きん出た美貌の悪魔と共に過ごす様になってひと月経つ。
最初は怖くて仕方なかった。
しかし、最近は優しい悪魔だと気付いてしまった。
ルキフェルはレオンが楽に過ごせるように極力魔気を抑えてくれている。
そうでなければ、出逢った頃の様に己は立つことも呼吸をする事もままならないだろう。
そして、最近は歩幅を合わせて歩いてくれる様になった。
ルキフェルは腰の位置が高く脚がとても長いのでレオンとは歩幅が違い過ぎるのだ。
そして、いつも封印を気にしてくれている。
余程やっかいな体質らしく、ルキフェルから離れると陽の瞳の封印が解けてしまう様なのだ。
ルキフェルはその為に魔法学校に編入してくれて、どんな時も側にいてくれた。
封印が解けかける度に、身体を寄せて、時には唇を合わせたりまでしてくれる。
この行為には特別な意味はない。『封印の為』そんな事は分かってはいるけれど、ルキフェルの息を呑むような美貌が近付くとドギマギしてしまう。
そしてルキフェルは声も良過ぎた。聞く者の魂までも狂わせる、と言うと大袈裟だろうか? 耳元で囁かれると腰が砕けて立てなくなる。
レオンはルキフェルに傾倒していた。
ルキフェルが現れるまでは、恐ろしくて屋敷の外に出る事も叶わなかった。
もう二度と誰かに害を成す行為をしたくなかった。
(早く、殺して。私を殺して⋯⋯)
それだけが望み。
おぞましい不死の己に罰を。
あの日、ルキフェルはレオンに己の高貴な魔血を与えた。
そして〝陽の瞳〟を封印した。
鉛のように重かった身体と心は羽根のように軽くなった。
ルキフェルは、学校に通わせてくれた。
学友が出来た。
ルキフェルが己に笑い掛ける。
ルキフェルが己に封印を掛け直す。
ルキフェルが己に『側に居ろ』と言う。
その全てが尊くて、キラキラと輝く宝物のように大切で、信じられないくらいに、嬉しい。
こんな時間を過ごせるなんて僥倖過ぎる。
身に余る幸せに目眩がする。
そして、ああ、そうかと得心する。
『貴様が幸せになった頃に殺してやる』
ルキフェルは悪魔だ。退屈凌ぎだとも言っていた。
ルキフェルにとってこれは契約の履行なのだ。
レオンは今目眩がする程に幸せだ。
ならば、もうすぐだろうか?
ルキフェルは、契約通り己を殺してくれるのだろうか?
それはいつ⋯⋯?
レオンはうっとりと目を閉じてベッドに横たわった。
今夜は〝夜会〟の日だ。二つの月が満ちる晩。あれからひと月が経ったのだ。
ルキフェルの高貴な魔血の効力が切れてきたようで、最近は立っているのも辛い。
以前の様に屋敷で篭りきりな訳ではないので、消耗が激しいと言うのもあるだろう。
チラリと部屋の隅で蒼く咲き誇る薔薇に目を遣り思う。
それがもうすぐなら、無駄に奪いたくない。せっかく綺麗に咲いているのだから。
「⋯⋯ルキフェル」
そっと唇に名を乗せて呟いてみた。
あの日、ルキフェルはまた唇を噛み切って血を与えようとした。
パッと弾けた鮮血。芳しい血の薫りに肌が粟立った。
卑しくも血を望んでいる自分に吐き気がした。
そんな価値など無い。己にこれ以上誰かを傷付ける資格などない。
早く⋯⋯。もう十分だから。
終わりにして下さい。
レオンはルキフェルに依存した。
ルキフェルだけが希望で、ルキフェルが居ないと何も出来なくなっている己にも気付いていた。
ルキフェルに与えられる罰が欲しかった。
あの綺麗な手で終わりにして欲しかった。
「ルキフェル⋯⋯。ルキフェル⋯⋯」
なんて美しく愛しい響きだろう。
(貴方が私の世界の全て⋯⋯)
レオンは枕を抱きしめて、きゅうっとしなる胸の痛みに目を閉じた。
「早く、私を殺しに来て」
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